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不機嫌な君と真夏の果実 | Amber - 映画【君の名前で僕を呼んで】

 イタリアの俊英、ルカ・グァダニーノは前作の『ミラノ、愛に生きる』(2009)と『胸騒ぎのシチリア』(2015)と本作を含めて、欲望の三部作と呼称している。欲望とは何か。彼の作品では、観光やヴァカンスを目的に訪れた場所で、登場人物たちが普段の生活では抑えている欲望や、感情を発露させていく、もしくは本来の自分自身の姿と向き合い、ある種のめざめに気づいていく。彼の作品について、エリック・ロメールの名前を頻繁に引き合いに出されるのも、そうした理由からだろう。

 北イタリアの避暑地を舞台に、大学教授である父の研究に付き添ってやってきた十七歳のエリオは、父の助手をつとめる二十四歳のオリヴァーに導かれるようにして、自身の感情と向き合い、彼に惹かれていく。冒頭のシーンから振り返るに、日々の退屈をやり過ごしていたエリオの前に現れたオリヴァーのことを、彼は「侵略者だ」と呼ぶ。それは待ち望んでいた来訪者の呼び名であり、彼の懐に忍び込み、この先の日常を一変させていく者としての象徴的な呼び名だ。
 本作は二人の健康的な肉体を持つ美男子のめぐり合う物語を表面的なベースとして置きながらも、物語の下層には、古代のギリシアの彫刻や哲学の古典、考古学や文献学のイメージの断片的なコラージュが為されていて、まさにエリオの父が古代の遺跡を掘り起こしていくように、歴史に埋もれた同性愛者たちの暮らしと、現代を生きる若者たちの青春とを並列させて、その歴史の溝を埋めていく(こうしたイメージはどこか澁澤龍彦を想起させる)。しかしながら、本作がいわゆるゲイ・ロマンスであるというレッテルに対して、ルカ・グァダニーノはインタビューの中で頑なに否定し、本作を“ある青年が大人への第一歩を踏み出す物語”であると踏まえた上で、語られているのは彼の強く純粋な“欲望”についてであり、それは社会的や歴史的に、あるいは社会に思想で定義づけることはできないものである、と話している。この作品がそうした普遍的なテーマを扱っていることは、終盤のエリオと父との会話からも感じ取れる。人は誰しも十代の頃に感じた稀有な体験をいつしか忘れ、心をすり減らしながら三十代になっていく。父は自分自身もそうであったことを告げた上で、エリオにはそうなって欲しくはないと想いを告げる。物語の最後にエリオが、まぶた一杯にためた涙を乾かすように、燃え上がる暖炉の炎を見つめ続ける姿は、彼がこれまで体験してきた痛みや切なさ、そして喜びを、その両の瞳に焼き付けようとするかのようにも見える。

監督のルカ・グァダニーノのインタビューはこちら


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awakia
主に新作映画についてのレビューを書いています。