#25. 大魔法使いヤザヴィの遺志
何者でもない者たちの物語:烈火の魔女と本読むゴブリン
#25. 大魔法使いヤザヴィの遺志
ゴブリンが魔法の才を持つことは、極めて稀である。
それも、数十年に一人、といった稀さではない。数百年に一人、という稀さである。
それを理解していたヤザヴィは、後世に現れるであろう、才能あるゴブリン族の魔法使いのために、ダネガリスの野を築いた。弟子のダネガリスが、死後もここに留まるという制約をもって、長きにわたって強力な魔法の力を保たせている。
ここは、ゴブリンの魔法使いのための修行の場だ。
“長く、緩い道”は、それはとてつもなく長い道のりだが、段階を経て魔法の才を伸ばしていけるように設計されている。
“短く、険しい道”は、才能ある者のための近道である。
このいずれかの選択肢を選べるのは、ゴブリンの魔法使いのみ・・・そして、王家の者の許可が必要だ。森に入ろうとするものは、血の盟約の魔法によって、それを示さなければならない。
それ以外の者は、強制的に“そのどちらでもない道”を歩まされることになる。そこは、ヤザヴィとダネガリスが趣向を凝らしいた死の迷宮である。それは、ゴブリン王国への侵入を防ぐ強力な防壁となっている。
だがまさか、ゴブリンと人間の魔法使いが共にやってくる時が来ようとは、ヤザヴィは想定していなかった。
ゴブリンと人間が友になること、ましてやその人間が力ある魔法使いであることなど、ヤザヴィとファーマムーアの前例を除けばありえるはずがなかった。
しかし、チーグという「前例のない人間の文化好き」が現れ、その仮定は覆された。
「おもしろいね、あんたたち」
ダネガリスは酒を飲みながら興味深そうに一同を見回した。
「人間好きのゴブリン王子に、それを支える部下・・・人間の魔法使いに、なんとドワーフまで」
もともと眠そうな目つきのダネガリスは、いっそう目を細くしてノタックの持つハンマーをにらみつけた。
ゴブリンの亡霊の一人が、ノタックのハンマーに興味津々だったが、それに触れぬよう一喝する。
「おい、それに触るんじゃないよ!それは不吉な武器だ・・・私たちにとってはね」
ノタックのハンマーが魔法の武器であることに、ポーリンは気づいていたが、死者にも攻撃を加えることができるものとまでは思わなかった。
国外に追放されながら、そんな貴重な武器を持っているノタックとは一体何者なのだろうか?
いずれそれを聞いてみようと心に決めたが、いまはそれよりも大事なことがたくさんあった。
ダネガリスは縮れた毛をかき上げながら、言葉を次いだ。
「だがあんたたちは、『ただそれだけの存在』だ。ヤザヴィが望んだ、ゴブリンの大魔法使いじゃない」
ダネガリスは改めて酒を飲みながら、ため息をついた。死者たちにとっては、本物の酒なのだろうか、とポーリンは不思議に思っていた。
「ヤザヴィに匹敵するゴブリンの魔法使いが現れる日まで、あたしゃ、ここを守護するだろう。それが、ヤザヴィとの盟約。だが、ゴブリンの王子よ・・・せめてもの報酬に、これをやろう」
手品のように手を巧みにうごかし、手のひらのなかから小さな灰色の角笛を出した。それは幻影ではなく、本物だった。
「おお~」
と、周囲のゴブリンの亡霊たちからどよめきがあがる。
ダネガリスはそれをチーグに放り投げた。
「ゴブリンの音楽隊の角笛。それを吹けば、こいつらを一時的に召喚できる・・・私を含めて」
受け取ったチーグは、ダネガリスの言葉を聞きながら、それをまじまじと見つめた。
「正直なところ―――」
と、ダネガリスはけだるそうに皮肉っぽい笑いを浮かべた。
「飲んだくれてたいして役に立たんだろうが」
周囲のゴブリンの亡霊たちから爆笑が沸き起こった。
チーグは笑い声の中でも、力強くその角笛を握りしめた。
「・・・いや、なんにせよ、ときに数は力になる。感謝する、伝説に聞くダネガリスよ」
「伝説、だって。あたしゃ、伝説なのか」
ダネガリスは失笑するように繰り返しながらも、まんざらではなさそうに目を輝かせていた。
「ときに、この角笛は何回使える?」
チーグが確認する。
「さあね」
ダネガリスは肩をすくめた。
「おそらく一度きり・・・角笛に宿ったヤザヴィの魔力によっては、二回使えるかも」
「十分だ」
チーグは角笛を大事にベストのポケットへとしまった。
「さて」
ダネガリスは指を軽く鳴らした。
「ここからゴブリン王国まで、そなたたちの行く手を阻むものは存在しないだろう。今日はひとまず、ゆっくりと休むがいい・・・あたしの歌と踊りは、あんたらの体力を幾分か回復させるだろう」
そういっていたずらっぽく笑う。
「あたしゃ、魔法の才能はさっぱりだったが、これだけはヤザヴィに褒められたものさ」
「・・・いろいろと感謝する。そして、あんたが望んだゴブリンの大魔法使いじゃなくて、悪かったな、ダネガリス殿」
チーグは神妙な面持ちでそうつぶやいた。
「なんの」
ダネガリスはケラケラと笑う。
「あたしゃ、幾星霜ぶりに生きたゴブリンに会えてうれしかったよ」
陽気にそう言う。
「・・・いくせいそう?」
ずっと黙って話を聞いていた付き人のノトは、さっぱり理解が及ばなくなってデュラモを見た。デュラモも肩をすくめていた。
その夜、死せるゴブリンたちによる宴会は長く続いた。
ノタックは早々に眠りに入り、亡霊たちと話をしようと試みるチーグにしばらく付き合っていたノトとデュラモも、やがて階下に準備された寝所へと向かった。
ダネガリスは上機嫌に鼻歌を鳴らしていた。
ポーリンはどうしても聞きたいことがあり、ダネガリスの元へと向かった。
「ええと、ダネガリス。あなたは、大魔法使いヤザヴィに仕えていた。その経験をふまえて、聞きたいことがあります」
「ああ・・・」
ダネガリスは、やや渋い表情をして演奏を止めた。鼻歌を止められたことへの不快感もあったが、正直なところ「人間」はあまり好きではない。
「人間・・・女の魔法使い。本来ならば、話もしたくないが、今晩は特別だ。いいだろう、言ってみな」
「ありがとう。あなたから見て、私の魔法使いとしての素質は、どうなのかを知りたい」
聞きたかったことだが、いざ聞くとなると語尾が震えた。真実を知りたくもあり、一方で知ることの怖さもある。偉大な魔法使いを目の当たりにしてきた者の目に、彼女の力はどう映るのだろうか。
「ふうん」
ダネガリスは眠そうな目を細めながら、上から下までまじまじとポーリンを眺めた。この旅を通じて、彼女は魔法使いが好む上質な肌触りのローブを着ておらず、深緑色のマントの下には軽装の皮鎧に革のブーツ、腰には短刀を下げる、という小柄な女戦士のような出で立ちである。
だが、かつてヤザヴィの中に感じた魔法の力に類するものを、確かに彼女の中にも感じていた―――規模は異なるものの。
「そうね、『素質はありそう、でもまだまだこれから』といったところかしらね。ただ、それだけ」
「・・・なるほど」
ポーリンはその言葉の意味を十分に受け止めきれずに、表情を曇らせた。彼女が目指す道のり、それはまだまだ遠そうだ。けれども、全く認められていないというわけでもないということは、せめてもの救いであった。
彼女は背筋をピンと伸ばすと、気持ちを切り替えて、ダネガリスの縮れ毛で眠そうな顔をまっすぐに見つめた。
「ともかく、今日は“伝説”と話すことができて光栄でした、ダネガリス」
「あらあら」
ダネガリスはそっけなく言いながらも、ちょっと嬉しそうな表情を浮かべていた。
「人間の女の魔法使いから、光栄と言われる日が来るとはね。でも調子に乗るなよ、人間」
ダネガリスは再び窓の外を向き、小さく歌を奏で始めた。
その音色が心地よいのを、ポーリンは確かに感じていた。
「ありがとう、ダネガリス」
(つづく)
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