チベット人との大切な出会い
こんにちは!あわこです。
「チベットの人と出会ったこと」
これは、私がデンマーク留学で出会ったことで最も印象的だったことのひとつです。
デンマークの学校には、チベットの人が5人いました。
彼らは毎日家族みたいに一緒に行動し、彼ら同士ではチベット語をしゃべっていました。
私は彼らと仲が良く、よく一緒に過ごしていました。
よく冗談を言い、いつも適当で明るく、笑顔がチャーミングな人たちでした。
一緒にご飯を食べたり、雑談したり、料理を作ったり、スウェーデンに遊びに行ったり…ごく普通に過ごしました。
その生活のなかから、文化のちがいが垣間見えるのが楽しかった。
部屋に行くと壁にダライラマの掛け軸があったり、
遊びに行くと肩からチベットのお守りをさげていたり、
やたらと辛いものに強かったり、
誕生日パーティーで「カタ―」という布(5色あり、お祝いの時は白いカタ―を渡すのが風習)を自分の首から主役の首へと渡してお祝いの気持ちを表したり…
(彼らが参加するほとんどの誕生日パーティーでカタ―をあげていた。君たち何枚持ってるの)
(彼らがいるときに私の誕生日は来なかったけど、どうしても欲しかったから無理矢理せがみ、ゲットしたのは苦い思い出)
一緒に過ごしていてチベットの文化を感じる瞬間がたくさんありました。
仲良くなると、現地で食べてる料理を作ってくれたり、一緒にインド映画を観たりしました。(チベット人でも、ここはさすがインドに住んでるだけあり、笑いのツボはインドだった。日本人の私たちはインド映画が理解できなかった。)
また、夜に飲んだり、だらだらとよく話をしました。
私は彼らの文化にとても興味を持っていたので、いろんなことを聞きました。
普段は普通にしてるけど、祖国の話になるととても丁寧に、真剣に答えてくれるのです。
そのなかで印象的だったエピソードを紹介します。
チベット語
チベット人は英語で学校教育を受けるので、
「すごい!日本人なんてほとんどの人が英語話せないよ、英語を使う機会がないから」
と言ったら、
「日本語を守れるからいいことじゃん!」
と言われました。
インドではいろんな言葉を使っている人がいるから、本屋に行ってもまずチベット語の本はなく、教科書さえも英語だそう。スマホでメッセージするときも、チベット人同士でさえも普段は英語を使います。チベット文字のキーボードもあるけど、日常的には英語でテキストを打つのだそうです。
でも、会話はチベット語。普段から2つの言語を操るという不思議なコミュニケーションを普通にしています。
だから、彼らにとって母国語のチベット語は民族意識を形成するツールでもあるのです。
こういう考えって、日本にいるだけでは絶対にできない考え方だと思います。
パスポート
チベット人は、パスポートの代わりにチベット人独自の「グリーンブック」という証明書を持っています。ちなみに黄色。
インドで生まれても国籍はインド人ではないため、インドのパスポートではなく、チベット亡命政府が発行する証明書を持っています。
正式なパスポートではないため、チベット人が海外に渡航するのは一苦労です。海外へ行くとなると、ビザを取得するためにさまざまな書類を提出し、承諾を得なければならないそうです。
同じ学校にいた彼らもまた、グリーンブックを持っていました。そして、ヨーロッパ内に滞在できる期間も日本人の私たちよりも短く、再度ヨーロッパに行くのは難しいため、私のチベット友達は学校を少し早く卒業しヨーロッパ旅行に行っていました。
適当な彼ら
彼らは、何事においても結構適当でした。
遊びに行くのも気分だし、時間も遅れたり、授業もそんなに出なかったり。
「なんとかなるさ」的な感じ。
悩み相談をしたら、
「Everything works well, don't think too much, OK?」
「=全部うまくいくから深く考えるな、いいね?」
と返ってきました。
適当でした。
でも、その適当さが好きです。
また、チベット人は一般的に冗談が好きらしいです。
本当にその通りで、冗談ばかり言って何が本当なのかわからない節も結構ありました。無駄に年齢詐称したり。それ面白くないよ。
明るく楽しく生きてて何よりなのですが。
こんな風に一緒に生活していたのですが、
なぜ、私が彼らにこれほど興味を持ったのか。
それは、彼らが置かれているチベットの政治的状況があるからだと思います。
デンマークにいる間は普通に一緒に過ごしてるのに、私と彼らは、生まれた環境と置かれた状況が全く違うことが信じられませんでした。
デンマークの学校が終わればまた別世界で過ごすことになるのだろうか…という、若干の恐怖もときどき感じていました。
ここで、チベットの政治状況を説明します。
チベットとは
チベットは、チベット高原のエリアに位置し、現在は中国のなかの「チベット自治区」として存在します。多くが遊牧民として暮らしており、主にヤクを育てています。
チベット文化のベースは全てチベット仏教であり、古くからの伝統を誇りをもって受け継ぎ、いまも生活に文化が根強く残っています。
人権弾圧
中国の中のチベット人は、中国政府から弾圧されています。
そのため多くのチベット人はインド・ネパールを主とした世界各国に亡命し、独自のチベットコミュニティで生活しています。チベットの宗教的リーダーであるダライ・ラマもインドに亡命し、チベット亡命政府を建てています。
いまも、中国内のチベット自治区に住むチベット人は、人権弾圧のため国外に亡命を試みる人がいます。
私が学校で出会った5人のチベット人のなかでは、自力で逃げてきた人と、おじいちゃんおばあちゃんの世代が逃げ、自分はインドで生まれたという人がいました。
自力で逃げた人からは、そのときの話も聞きました。
涙をこらえながら、淡々と、語ってくれました。
話してくれてありがとうと、本当に、心から思いました。
そう伝えたあと、それ以外、何を言っていいかわかりませんでした…。
こんなことは、遠い世界の話だと思っていました。
生まれる場所が違うだけで、どうしてこんなに環境が違うんだろう…
インドのなかのチベット
ダライラマがインドに亡命しているため、多くのチベット人がインドに住んでいます。日本にもいます。
興味深いことに、チベット人は独自にインドの中にチベットコミュニティを作り、チベット人のみが通えるチベット式の教育を行なう学校に通うため、インドにいながらもチベット人として育ちます。
学校でチベット仏教を熱心に教わるため、当たり前のように宗教が生活の一部となっています。SNSでもダライラマの教えの投稿をシェアしていたり。日本の学生では宗教関係の情報共有はありえないけど、チベット人の間ではごく普通のこと、当たり前に自分に関係することなのです。
また、小学校5年生まではチベット語で授業を行い、6年生からは全て英語で勉強するそうです。
なので、チベット人は英語が話せます。
インドでは、インド人とチベット人は基本的に一定の距離があるそうです。日本にいる外国人コミュニティのような感じでしょうか。
デンマークの同じ学校にインド人が一人いました。
ある一人のチベットフレンズが、「こいつは例外。俺たちにこんなに優しいインド人見たことない」と言っていました。
そのインド人の彼もよくチベット人と一緒にいましたが、実は、彼もチベット人とは一定の距離を感じていたようです。逆に、彼はチベット語は話せないし、そもそもの文化が違うようだったので、どうしても見えない壁があったのだと思います。
祖国を想う
彼らに共通しているのは、「祖国に帰りたい」という思い。
「祖国」=「弾圧下ではない、文化が尊重されたチベット」です。
チベット人は、チベットの自由を常日頃から願っています。
自治区内で人権弾圧があれば、世界中のチベット人が中国大使館の前でデモを起こしたり、SNSでムーブメントを起こしたりしています。
インドで生まれたチベット人は、祖国のチベットに行ったことも見たこともありません。
でも、いつかは祖国に帰りたいと思っているのです。
当たり前に祖国で暮らすことができている日本人の私は、なかなかこれが理解できずにいました。
この理由を聞いてみると、自由が欲しいからだそうです。
インドにいてもインド人ではなくチベット人として生きるし、見た目もインド人とは異なるため、差別を受けるそうです。仕事の時も扱いがひどいと、友達は言っていました。
祖国に行けば、自分たちの国があれば、そのような目に遭わない。
自分たちの文化を引き継ぎ、守りながら暮らしていける。
だから、祖国が欲しいのだといいます。
私は、全くそんなことを感じたことがありませんでした。
「自由」という言葉を、個人の問題ではなく国全体の問題で語る必要がある世界線があるということ。それが目の前の友達に起こっているということは、すぐに実感できませんでした。
彼らに自由が訪れることを願ってやみません。
もしかしたら彼らか生きている間には叶わないことかもしれません。
一緒にデンマークで時をすごし、新たな気づきを与えてくれた大切な友達のために、日本人の私ができること・・・
大きなことは、今の私にはできなそうです。
チベットに対する関心を持ち続けることは私にもできる。
まずは、自分がチベット文化を楽しむ。そこから何かにつながればいいなと思います。
(2024.10.17 一部編集)
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