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水泡に帰す。

 工夫一つで料理の出来が断然変わり
それを実際に作って食べてみた時の喜びは格別だ。

 仕事を終え、スーパーへ赴いて買い物をした。
夕方のスーパーはいつも混んでいる。都心だろうが地方だろうがそれは変わらない。特に都心のスーパーは面積が狭いため、余計混んでいるように感じるだろう。

僕がいつも買い物をしているスーパーも動線が狭く、カゴを持っている者同士のカゴが頻繁にぶつかってその度に申し訳ない気持ちになる。
レジ前なんかはもう地獄だ。律儀に列を守っている人々で、もはや動線どころではない皆割り込みされないよう必死に自分の場所を取っている。
蟻がその列を崩さないよう一定の間隔を空けて進むように。

 スーパーが混んでいるのは、人々の食事の時間がだいたい同じだからだ。皆同じような時間に買い物へ向かい、同じような時間に食事をする。
何故このようなことになっているのだろう。分散することはできないのだろうか。

 家族で暮らしていて、皆一緒に食事をする家庭のルールがある家が多いことは分かるが、一人暮らしや同棲している人たちはどうだろう。
人によって食事の間隔は違うし、腹が減るタイミングも違う。
それなのに何故、スーパーに行く時間が皆同じなのだろう。

 いや、これも答えは大体出ている。仕事の時間も大体同じなのだ。
更に言えば、人間は皆太陽と共に起き、沈むと寝るのだ。
そうなると大体腹の減る時間も同じになってくるし、何より家族と暮らす者にとってはまとめて作る方が楽だ。僕もそう思う。

 スーパーが混雑するのを、人々は何の疑問も持たず非効率な方法で何十年もとっているのではないかと否定したかったのだが、結局頭の中の討論者達は満場一致で討論を諦めてしまっていた。

 などと考えている間に並んでいたレジで僕の会計のが回ってきていた。
レジ打ちのバイトの若い青年は声をかけても13番会計機へ進んでくれない僕を、通りで牛の横断に遭遇してしまったドライバーのような顔で睨んでいた。僕は慌てて会計機で会計を済ませ、家に帰った。

 家に帰るとすぐ「鶏むね肉ときのこのクリーム煮込み」のレシピ動画を
検索し、作り始めた。最初に肉以外の素材を切ってしまい、最後に肉を切る。鶏肉には細菌が潜んでおり、それを包丁に着けないための手順だ。
切った後に熱湯で包丁やまな板を洗うもの忘れてはいけない。

 レシピ通りに作るのが料理を成功に導くための重要なポイントだ。
鶏肉を焼く前に、小麦粉をまぶすかまぶさないかはで柔らかさが全然違う。この手間を掛ける掛けないで仕上がりが変わってくるのだ。
なんでも旨味を内側に閉じ込め、調味料が絡みやすくなるのだそうだ。
料理に無知であれば鶏肉を焼く際、このような手順を踏むことはまずない。誰かに教わるか、レシピを見なければ分からない。

 料理を始めてからもう10年近く経つが、いまだにこの種のちょっとした
工夫は知らないことの方が多い。たかが自炊されど自炊。
僕が料理を毎日休まず作るようになったのはそれが大きい。プロセスを知っていることで結果を最大限楽しめるようになるのだ。

 僕はスーパーの列に並んで考えていたことを思い出した。
皆この喜びを味わうために、スーパーへ赴き今日の献立を考えているのだ。そこには家族への愛情や、自分への労いの気持ちが含まれていると感じた。

僕は混雑しているスーパーも悪くないと思った。
いい気分で鶏肉を焼いていると、レジが混んでいるのは都心だけかもしれないと思い始めた。地元のスーパーはそこまで並んでいなかったような気もする。

そうなると何故こんなにも都心に人が集中しているのだと考え始める。
もっと分散できないものだろうか。土地が余っているから引っ越せばいいじゃないか。しかし僕もその都心に暮らす人の一人だ。そもそも何故・・・



気付いたら鶏肉は真っ黒になっていた。


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awabuk
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