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記憶芽吹く 中年の「今」に見つけたもの

この文章は、株式会社マイナビとnoteの投稿企画
#想像していなかった未来」をテーマにした記事です。

一枚の羽はあったが、背中の翼は折れており、
あの高い壁を超えることは難しいように思えた。
手のひら大のボトルに一口の水はあったが、
それ与えるべき種が手元に見つからなかった。

高校から数年引きこもった状態に近かった私は、
「なにくそ」と思い、遅咲きの大学生活を送った。
研究生活も20代後半の就職活動も大変だったが、
なんとか社会人になれた矢先のことだった。
大きな環境変化に耐えるコンディションを整えきれなかった。
製品の研究開発をして大きなことを成そうと思った時、
大きな体調不良により、出鼻をくじかれ職を離れることになった。

どうも避けようのなかったことだったのではないかと思う。
18歳の挫折から立ち直ろうともがいていた歩みが、
一続きにひっくり返ったように思われた。

治療生活に数年をかけ、若さや可能性が少しずつ失われていく感覚に、
どうしようもない先の道の細さを感じた。
勢いで崖を駆け上がる無茶は、18歳の時の二の舞になるだろう。
目の前は低い沼地が延々と続いているだけのように感じた。

アルバイトと治療生活を交互に繰り返した。
その時は、結婚・収入・夢を諦めた。

そのうちにパートで情報システム関係の仕事を勤めることになった。
最初の数年は全くモチベーションが低く、生きる実感がしていなかったが、
だんだんと体調がよくなっていったことで、見える世界が変わっていった。

職場と上司に感謝していることは、
体調に合わせ柔軟に勤務時間を調節してもらえたことだ。
職場はたまたまお世話になった方から紹介してもらった所だ。
これは、「縁」だと思い、自分は「運」がいいと思い直した。

内面には感じられなくとも、職場の環境には変化があった。
組織はほどほどの規模なので、
人が入ったり、抜けたりで新鮮な空気が入ってくる。
それは、少し気持ちにさわやかさを与えてくれる。
そんな中でパート仕事も変化が生じていった。

勤め始めて7年が過ぎた。
飲んでる薬の量も少なくなってきた。
気づくと、アイデアをメモすることが増えていった。
「そうだった」。昔はそうやってメモ魔のように付箋が増えて、
大学の教授から「アイデアマン」の称号を得ていたのだった。
自分の生活の習慣が再び登場した。

「中年になると伏線回収の時期が来る。だからそれまで待て」と、
動画で誰かが言っていた。
その年代になると、今までのことが
「こういう意味だったのか」と分かるようになるらしい。
もちろんすべてが良い意味とは限らないが、
生きている意味の再発見できる気がしてきた。

体調のサイクルと共に、
少し調子が悪くなると、悩みと共に、内面世界に潜る。
否定の代わりに優しい言葉を自分にかけ、今できることを考える。
そうすると、内面からコップ一杯の水をすくう感覚が得られる。
切り取られた昔の輝いていた瞬間を思い出し、その記憶にその水をやる。
そうすると、メモの習慣を思い出した時のように、
なぜか記憶の種が芽を吹いて、日常生活に色を加えることが
繰り返し起こるようになった。

読書好きの仲間がいて影響されたんだっけ。
本を再び読みだす。

人間関係うまくいかないときもあったけど、
話題を仕入れるのは好きだったな。
仕事仲間に毎日ネタを話すようになった。

高校の文化祭の役員をやって盛大に失敗したのが、
引きこもりの要因になったけど、
細かくサポートするのは好きだったな。
職場のイベントの役割を少し買って出るようになった。

留学、一人旅、難関試験の挑戦はしてたんだったよな。
40歳以降の挑戦リストと目標を書き出す。

高校時代も10年前も、こんな道中は全く想像していなかった。
「一旦」諦めたものがどれだけ手に入るかはわからない。
しかし、目指すものに向かって1日を細かく過ごすというのは、
希望と充実感をとても与えてくれるということを知った。
背中に羽は折れていることは変わりがないが、
目指す方向に「今」を歩む瞬間ということは、それだけで幸福なのだ。

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