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自我って存在するのかしら
わたしは創作活動をしている時、自我がなくなります。
見えてはいるのだけど意識だけはここにない感じ
その空間一体に自分が溶け込んでいる感じ
意識の拡大、つまり無我です。
脳が上から降りてくるイメージみたいなものをキャッチして脊髄から神経へ電気信号を伝達して身体が勝手に動きます。
そしてとりあえずは荒削りなりに創り上げた作品を意識を取り戻した時に初めて見ます。
そしてこれはどういうメッセージなのだろうかと考え込みます。
果たしてわたしへのメッセージなのか、他人へのメッセージなのか、
そもそも意味なんてあるのか
それらはハッとさせられることもあれば、意味不明のときもあります。
ここからはわたしの見解にすぎません。
自我なんてものは錯覚なんじゃないかなと思うのです。
自我はわたしたちが今まで生きてきた単なる記憶の積み重ねから発生したイメージの投影で
無我こそが私たちの本体なのではないかしらと思ってみたりもします。
答えなんてあるようでないものだけれど。
わたしたちが自我があると思うのは身体があるから。
ではなぜ身体があるかと言うと3次元に生きるためには時間と空間に縛られる必要があるから。
脳がvrゴーグルみたいな役割を果たしていてそれを介して私たちはここに存在していると錯覚しているのではないかしら。
肉体は脆い。
エゴとは肉体のことではないかしら。
肉体を持ったからこそ私たちにはエゴが生まれる。つまり自我が生まれるのではないかしら。
ここまでで一旦、このとりとめのない机上の空論を終着点とすることに致します。
余談ですが天才と呼ばれる数学者や物理学者は先に式を発見してから証明を考えていたらしいです。
恐れ多いことですが、もしかしたら彼らも・・・いや、単なる誇大妄想に過ぎませんね。
ここまで読んでいただきありがとうございます。