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2025.1.24 関心と無関心

起きたのは7時22分、近年稀にみる大寝坊だ。
きっと昨夜遅くまで映画を観ていたのが原因なので自業自得である。
お弁当を作る時間ももちろん無くキッチンの棚ににかろうじてあった永谷園のお茶漬け(カップ)と冷蔵庫に常備している野菜生活を鞄に詰め込んだ。

今日の出勤プレイリストは春ソングだった。
私が住んでいる地域は年に1回雪が降るか降らないか、他県が1桁台の気温の日でも10℃台なんて事がよくある温かい場所だ。今日も車の天気予報の欄は【🌞:15℃ / 3℃】と表示されており私は一足先に春の気分に浸っていた。


午前中の日次業務も終わり、午後からは打ち合わせに使用するパース(3Dの空間を立体的に表現した透視図)を作成していた時に後輩から話しかけられた。

後輩は自分より6歳年下の今年新卒で入社してきた男の子なのだが、どうやらバイクの購入を検討しているようだった。私は全くと言っていいほどバイクに詳しくなければ、乗る予定もなかったので内心(なんで私に相談するんだろう…..カタカナいっぱいで全然わからないぞ💦)と思っていた。

左隣から「バブもいいんだよなぁ、CB400も捨てがたいし、でもゼファーもかっこいい」などと聞いた事もない単語がたくさん聞こえてきたと思ったら杏さんどう思います?と話を振られた。

なので「うーん、バブは入浴剤しか知らないし個人的には柚子の香りが好きだよ」と適当に答えたら「も~すぐボケるんだからぁ」と謎のボケ認定をされやれやれ🤷‍♂️感を出されたのが面白かった。


昨夜は映画『関心領域』を観た。
友達から勧められ観たいと思っていたのだが、作品の題材が"アウシュビッツ収容所の隣に住む家族"なのもあり自分の心が落ち着いておりゆっくり観れる時にしようと決めていた。

※以下、ネタバレを含んだ感想と考察。
(精神的に大丈夫な方のみ読んでくださいね)


-あらすじ・感想・考察(ネタバレ含む)-

あらすじ

空は青く、誰もが笑顔で、子どもたちの楽しげな声が聞こえてくる。そして、窓から見える壁の向こうでは大きな建物から煙があがっている。時は1945年、アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす家族がいた。第76回カンヌ国際映画祭でグランプリに輝き、英国アカデミー賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞、トロント映画批評家協会賞など世界の映画祭を席巻。そして第96回アカデミー賞で国際長編映画賞・音響賞の2部門を受賞した衝撃作がついに日本で解禁。

マーティン・エイミスの同名小説を、『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』で映画ファンを唸らせた英国の鬼才ジョナサン・グレイザー監督が映画化。スクリーンに映し出されるのは、どこにでもある穏やかな日常。しかし、壁ひとつ隔てたアウシュビッツ収容所の存在が、音、建物からあがる煙、家族の交わすなにげない会話や視線、そして気配から着実に伝わってくる。その時に観客が感じるのは恐怖か、不安か、それとも無関心か? 壁を隔てたふたつの世界にどんな違いがあるのか?平和に暮らす家族と彼らにはどんな違いがあるのか?そして、あなたと彼らの違いは?

映画『関心領域 The Zone of Interest』オフィシャルサイト


感想・考察

あらすじで紹介されている通り、アウシュヴィッツ強制収容所の隣地に自宅を構える所長と家族たちの幸せな日常が淡々と描かれていく。作中では収容所内部や収容者たちの姿が描かれることは全くなく、家族の視点(映像は三人称視点)では中の様子なんて知る由も無いので映像を見始めた段階では家族が隣で起きていることに所謂"無関心"なことに違和感を感じないかもしれない。

ただし家族も同じ平野内に居住を構え、当然に共有しているものとして昼夜問わずに「音」が聞こえてくる。何かにすがるような泣き声、断末魔のごとき叫び、パンッと乾いた音で響く銃声など….壁の向こうからあらゆる音が聞こえてくるなかで、家族たちは平然と幸福な日々を重ねていく。この壁一枚を隔てた【天国】と【地獄】の対比が見る者を恐ろしい気持ちにさせる。

これを「なんて冷酷な人たち!」とは言い切れない。
私たちの多くも、日々テレビや新聞で世界中の悲惨な現場を、あるいは日本国内における悲劇的事象を見聞きしながらも安穏と暮らしているのだ。立場を変えてみれば私たちのやっていることはこの家族と同じという事になる……となれば、作品に登場する家族は概念としては人間誰しもが入れ替え可能であるものと言えるだろう。

映画の後半、この作品の主人公であるルドルフ・ヘスは仲間たちが楽しそうに参加するパーティー会場を見つめながら最終的なユダヤ人を地上から抹殺する計画【大量殺戮を目的とした有毒ガスの実験】を思いつき、暗闇を見つめたかと思ったら映像は現在のアウシュビッツ収容所を映し出す。

この作品を観た者は先ほどまでここで何が行われたかを見ており、その後に見せられるこの圧倒されるような量の被害者たちの遺品、そして実際に何万という人々が焼かれていった焼却炉を嫌でも目にする事になる。無意識的にも映画を観た人々ははそれらに関心を持たされ自ずとそこに目がいってしまうのだ。

しかし、映像はそれら(夥しい量の被害者の遺品)には目もくれず、ごく普通の美術館をオープンする前のようにその前でただ清掃する人々が映し出される。毎日接してる彼らにとってそこは単なる職場であり、人々を恐怖のどん底へと陥れた悲劇の場所ではないのだ。

ここでこの映像を見た人々は気付く。
人間とは本質的にはこういう生き物なんだという事に。ここがこの作品の最もゾクッとさせられる部分だと私は思う。戦争という非常時でなくとも、意識しなければ人間は普通に【意識的な無意識化】を出来てしまうのだと理解した時、自分が同じ人間だという事をとてつもなく恐ろしく感じた。







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