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朝、「南無妙法蓮華経」を唱えている件。

不自由のない暮らしをしているのに、常に漠然とした不安がある。

健康だ。
目も見えるし、耳も聞こえる。
食べることに困ったこともない。
両親も生きている。
本も読もうと思えば読めるし、情報にもアクセスできる。

本は読もうとしないと読めない。
最近はもっぱら読めていない。

積読がある状態で新しい本を買う気になかなかなれない。
積読が新たに生まれるのが怖い。
だがこのままでは永遠に本を読めない。

なにかすらすら読める本を買ってみようかな。
成瀬の本、読んでみたい。
本の話になってしまった。

最近は朝、目が覚めた、もしくは目が覚めそうな時に急に不安になる。

今後の人生を考えたり、途方に暮れたりする。

朝が怖い。

そんなときは「南無妙法蓮華経」を唱えている。

これが日蓮宗ということだけはわかっている。

育ててくれたおばあちゃんが一緒に寝る時に「南無妙法蓮華経」と繰り返し繰り返し唱えていたのだ。

なんか落ち着く。

追記
南無妙法蓮華経をGrok3に聞いてみた。
回答は以下の通りです。
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「南無妙法蓮華経」は、サンスクリット語の「ナマス・サッダルマ・プンダリーカ・スートラ (Namas Saddharma Puṇḍarīka Sūtra)」を日本語に訳したもので、日蓮宗でよく唱えられるお題目です。以下にその意味を分解して説明します:

- **南無 (Namu)**: サンスクリットの「ナマス (Namas)」に由来し、「帰依する」「信じる」「敬う」という意味です。心から信頼し、身をゆだねる姿勢を表します。
- **妙法 (Myōhō)**: 「妙」は「不思議で優れていること」、「法」は「真理」や「教え」を指します。合わせると「素晴らしい法則」や「究極の真理」という意味になります。
- **蓮華 (Renge)**: 「蓮の花」を意味し、清らかさや悟りの象徴です。泥の中から咲く美しい花にたとえ、どんな環境でも真理が輝くことを示します。
- **経 (Kyō)**: 「スートラ」、つまり「お経」や「教え」を指します。ここでは「法華経」という特定の経典を意味します。

つまり、「南無妙法蓮華経」とは、「私は素晴らしい真理である法華経に帰依します」という意味合いになります。法華経は、お釈迦様が説いた教えの中で、すべての人々が仏になれる可能性を持つと説く重要な経典です。日蓮宗では、このお題目を唱えることで、その教えを信じ、実践する意志を表すとされています。
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