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距離感が人生を左右する

ちょっとご無沙汰になりました。
なんだか体調がスッキリしなかったり、ちょっと変化があったり、色々な気づきがあったり、心の整理をしておりました。

ふと家事をしていた時に降ってきた
「あなたの承認欲求を子どもで満たさないでください」という言葉が
結局のところ私の根本でした。

自分で自分を認めて理解して受け止める事をすっ飛ばしていること、
他人に満たしてもらいたい、他者からの承認がないと不安だという気持ちが根っこにあって、

子どもの食事のマナーが悪いのも、足が臭いのにそのまま過ごしているのも、テストのケアレスミスが気になるのも、
つまるところ子どもが周りの人から嫌われるんじゃないか、できないことで困るんじゃないか、と、徹底的に他者の目を気にしているからそこにフォーカスしていた。
傷つかないように困らないようにという不安が前提にあるところから生まれてくる気持ちと、改めて向き合っておりました。

自分で自分が何をしたいのかも分からなくなっていましたが、ただいま自分の気持ちを観察する練習中です。

5年生、絶賛反抗期長男の口答えも暴言もイライラも全て、私の前提が根本的に間違ってることを示してくれているのがよく分かります。

大切ゆえ、愛しているからこそ、なんだけど。
親の伝え方、やり方、度合いを間違ってしまうと、子どもは苦しいのですね。
その苦しさはきっと忘れているだけで私たちも子ども時代に味わったことがあるはずなんですが。

【不登校・潜在意識】子供への愛の伝え方を間違ったら 子どもの心は弱くなります。

この動画は、学校に行きしぶっているお子さんを持つおかあさんとのお話会の切り取り動画です。

我が家は行きしぶりは今のところないけど、親の心構えはどんな子供、年齢であれ、共通のものです。
この動画にすごく反応する私は、この画面の向こう側のおかあさんと同じ素質があるのです。

理想があって、きちんとしたいところがあって、それを繰り返し繰り返し伝えてきていたのですが、その伝え方、やり方、度合いを間違えると、子どもは苦しくなってしまっていた。

「子どもは大人のミニチュアではない」という言葉は、過去のやらかしてきたことを彷彿とさせる痛い言葉です。

こうあらねば、と思えば思うほど
(それは母側の問題なのに)
自分は大丈夫なのか?と、母の不安で子どもが潰されていく。

この動画のタイトルのままですが、
子どもへの愛の伝え方を間違ったら、子どもの心は弱くなる。まさにその通りです。
不安を持って子どもとの距離を縮めたまま関わっていると、間違いなく子どもの人生を不自由なものにするのです。

子どもが困っているように見えて(実は困っていないことに勝手に困っている認定をして)
「どうしてあげたらいいんだろう」と母は考えてしまう。
子どもの悲しみ、苦しみを排除してあげたいと思ってしまうけれど、そこは親の範疇ではなくて、
親のできる部分は自分で自分の苦しみやストレスと折り合いをつける練習を安心してさせてあげる。
子ども時代はその練習中、準備中、大人へ向けて少しずつ進化中。

子どもがしんどそうな時、ちょっと様子がおかしいな、なんか違うな、と感じた時には、その原因追求、原因排除に親は注力するのではなくて、しっかり甘えさせ、弱音を吐ける安全地帯になってあげること。
弱音を吐いていい、愚痴を言ってもいい、不安になってもいい。
たくさんマイナスの感情を吐き出させだけでいい。叱咤激励も厳しいアドバイスもいらない。
どんな感情も受け入れてもらった子は、安らぎを得て、ちょっと頑張ってみようかな、ちょっと一歩踏み出してみようかな、もしかしたら楽しいことあるかもな、と思えるのです。

学校って、
面白くもないし、つまらなくもない、理不尽なこともちょいちょい起きるなんとも微妙で曖昧な場所。
楽しくて毎日ワクワクしながら行ける子もいるでしょうが…それはごく一部の子の話かもしれない。
もし、自分の子どもが学校が楽しくない、行きたくないと言っても、それは全然おかしいことでもとんでもなくまずいことでもなく、人生の中の大きな通過点の一つだから。
大丈夫。親元にいる間に安心して、いろんな気持ちも経験も重ねていってもらいましょう。

その時に私たち親が感じる「不安」はあって当然の気持ちですが、子どもにかぶせるものではないことだけは、確かです。

みなさんは、どんな不安がありますか?
不安はあって当たり前だけど、それで自分や子どもを責める材料にはしないこと。
そのためには話をしたり、書いたりすることで整理することもオススメです。

子どものことが不安でたまらない方。
心の整理をするお手伝いを、よかったらさせてくださいね。

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