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幼き自分へ

条件付きで認めることが、無意識レベルで、自動運転よろしく日々実行されていて、
発信し、条件振りかざしてから気づきます。

子どもに対しても、自分自身に対しても。

過去に傷ついた自分がいます。
その傷を見ないふりしてずっと蓋をしてきていることもたくさんあります。
一つ一つを丁寧に掘り起こす必要はないと確信しています。
過去の出来事にじっくり向き合ったところで、今は変わらないし未来も変わらないから。無駄に傷をえぐる必要はなし!
必要なら勝手に思い出すことがあるかもしれないから、とりあえず横に置いておき。

どこか心の奥底にモヤモヤがあって、あと一歩のところで、よくわかんないんだよ〜って、ジタバタ地団駄踏んでいる私がいます。
なんかめっちゃくちゃ、臍を曲げて、ぷんぷん怒っています。
最悪のメンヘラ女子です(訂正、おばはんです)。

片付けしたくなかったの!
しっかりした子を演じるの嫌だったの!
みんなと同じことしたかったの!
おやつたくさん食べたかったの!
自分ちだけよそと違うことやってるの嫌だったの!
学校行きたかったの!
勉強したかったの!

なんで私だけこんなに我慢して、特殊条件クリアしなきゃいけない環境に置かれなきゃいけなかったわけ?
ムカつく!やはり親に対して、ムカつく。

その拗ねてる気持ちを手放せないまま、

片付けしてよ!
先にやることやってよ!(私の優先順位に従ってよ)
静かにしてよ!
喧嘩しないでよ!

と、条件付きで子どもを見ている。
私は無条件に受け入れてもらいたかったんじゃないのか?
自分がしてもらえなかったんだからって、
子どもにその腹いせをぶつけているのです。(マヂ最低)

そんなスネスネ感情を、親友(心友)Yさんにガーッとアウトプット。

彼女とは長い付き合い。
バックグラウンドを含めお互いによく知っている信頼感とともに、今学んでいるジャンルは違えど、心のことを学ぶようになったきっかけは同じ。
ぐっちゃぐちゃの感情をぶちまけては思考を整理させてくれる、大切な友人です。
ジャッジ抜きで客観的に見てくれる。

昨夜LINEのやりとりで、このスネスネ感情を見事に整理してくれた。 

以下、YさんからのLINE

「拗ねてるって被害者意識にも似てるのかなぁなんて思ったりするのだけど、それって誰しも持ってる感情だと思うのね。
だけど、そこの拗らせ方が、過去の親との関係性に大きく左右されるのかなぁ。
今書いてて思ったんだけど、「拗ねる(すねる)」「拗らせる(こじらせる)」って同じ漢字なんだね。」

「素直に育ってきた人は、気付きに対しても素直。だからすんなり素直に変化できる。
でも何かしらの問題を抱えながら育った人は、気付きを得た後ももがく、というか。
だから素直に変化することを自分で止めてしまう。」

私の拗ねっぷりの裏側に隠れていたものを見事な言語化をしてくれたおかげで、一気に見えてきたのです!

以下、私のLINE
「そう!それ!それ!
私ってめっちゃ被害者なんだよー、可哀想すぎるんだよーって、ジタバタしたり、一人で押し入れ潜ってるような感じだよ、今の私!
言語化すばらしい!
「拗ねる」と「拗らせる」一緒の漢字!
…てへんに幼いだよ!
私のやってることは幼稚…幼児期のやり直し…」

「本当は気づいて答えはそこにあるのに、自転車にまたがることはしたものの、変化する一歩はどっち側かにタイヤを向けて、ペダルを踏み出すだけなのに、踏み出すことにイヤイヤしてハンドルをブンブン振り回してる4歳児みたいな…分かってもらえる?笑
気づいたんなら素直に認めることは幼児さんのような単純さを見習わねばです〜」

こんなLINEのやりとりをしたのでした。

そう、私は被害者意識にどハマりしていた。
自分のできなさを見るたびに
もっときちんとした環境で育ててもらっていたら、私だってもっと頭がよかったかもしれない。
もっと優しく人を受け入れられたかもしれない、と、自分のできなさに言い訳をするためにその被害者意識を温めているのです。
たらればを並べていただけ。

そして、できない自分が怖くて
レベルが低い私は不安で
ただ、その事実を認めることが、怖い。

現在地を知る手助けをしてくれて、ありがとう!!!

こうしなければならない=自分の価値と捉えていることにも同時に気づく。
条件付きの価値がボンドで固定されているような。

存在そのものに価値があると理解していれば何もしなくてもいいはずなのに、自分に対して、何もしない私は価値がないと思っていました。

それは他人に対しても存在価値がないと思っているのと同じ。
私は頑張ってるんだからお前もやれ、みたいになっちゃっています。

私はすごく不器用で
自分に対しての関わりが他人に対しても同じ関わりになってしまっているから、辛い。
子供にも、周りの人達にも申し訳ない。

何十年か前に、その時の置かれた状況の中で親なりに良かれと思って育てられる中で組み込まれてしまった価値観。
もう、剥がそうか。
きっと古いから、脆く簡単に剥がれ落ちるね。

レベルが低い、できない私が、私だ。
何をしても、しなくても、私だ。
あなたは、あなたのままで、いい。

子供の頃の自分に、この言葉をかけていこう。
そこをすっぽかすと、オトナ心を持つことは苦痛でしかなくなることを学びました。順序は大切。

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