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生活者視点で見ると謝罪会見は炎上しない。ふと我に返ってみる。
中居正広さんの事件を受け、フジテレビのCMはほとんどACジャパンが占めるようになりました。また、回転寿司チェーン「スシロー」のCMから中居さんのバーベキューパーティーに参加していた笑福亭鶴瓶さんがいなくなり、それに対する批判を受けた「スシロー」は謝罪し撤回、再び鶴瓶さんは
CMに出るそうです。
CM中止か継続か
そんな中、「アイリスオーヤマ」の吉沢亮さんのCM継続と応援は、絶賛されています。
吉沢亮さんは昨年末酔っぱらってマンションの隣室に入りトイレをした?トラブルを起こし書類送検され、その後示談しそのマンションを引っ越したそうです。
この事件を受けて、吉沢亮さんのCMが次々に打ち切られるなか、「アイリスオーヤマ」はCMを継続そして吉沢亮さんをアンバサダーとしてともに頑張ると表明されました。
この「アイリスオーヤマ」の対応が称賛されています。称賛する記事の一つになぜ「アイリスオーヤマ」はCMを打ち切らなかったというと、そこに「生活者視点」があると書かれていました。
多くの会社が「顧客視点」を掲げますが、危機に際して組織防衛に走ります。なにがしかの不祥事があり、企業が記者会見を行う際、顧客視点ではなく自分たちの組織を守ること視点での話になっているのを見かけます。
CMのタレントになにかあるとまず打ち切りがマニュアル化されているようです。
生活者視点
では、なぜ「生活者視点」で見ることでCMの打ち切りをしなかったのでしょう。
生活者視点とは、私たちの視点、自分たちも生活者であるということです。
組織の中の人間として見るのではなく、一生活者として組織の外から見る。
一般の人から見ると、確かに吉沢亮さんの行為は良くはないけれども、人を傷つけるとかいった行為ではありません。隣室の人は、知らない人が入ってきてそれは怖かったでしょうが、傷害を受けたとか、モノがとられたという事件ではないです。
私も鍵が違うので開かなく間違いに気づいたのですが、酔っぱらって隣の部屋を開けようとしたことがあります。酔っぱらうとトイレが近くなり、急いでいてたまたま鍵が開いていて、玄関のすぐそばにトイレがあれば駆け込んで用を足していたと思います。
芸能人だから一つの過ちを寄ってたかってSNSでたたく世界は「生活者視点」ではありません。自分自身に振り返ってみる必要があります。
人は過ちも犯す、反省して窮地に立たされている人を助けようとする行為の方が「生活者視点」です。
「アイリスオーヤマ」は顧客視点でなく「生活者視点」で見たからCMを打ち消さなかったのだろうというような記事でした。
顧客視点と生活者視点の違い
「生活者視点」と顧客視点あるいは消費者視点は何が違うのでしょう。
人はモノやサービスを買うために生きているのではありません。
消費と言う行為は、あくまで生活の一部です。
生活者視点とは、人々の生活そのものすべて
日々どのような暮らしをしているのか
仕事をして、家族、友人と過ごし
どのようなときに幸せや喜びを感じ
悲しみを感じるのか
消費者や顧客として見ると、あるモノやサービスを買う人、そのモノやサービスを提供している側からの、ある一点の行為をとらえがちです。
生活者として見ることで、本当に欲しているのは何かが見えてきます。
顧客視点、消費者視点で見ると、リスクをできる限り排除しようとするかもしれませんが、生活者視点で見ると、吉沢さんや鶴瓶さんをCMから外してほしいとは思わないはずです。
一人の生活者としての視点を持つ
生活者視点で見るということは
人は働くために生きているのではない
生きていく手段の一つとして働いている
とも言えます。
社会人になると、その所属する組織の一員という意識が働きます。
いい面は、その組織(チーム)が一丸となり他者を尊重し協力して、一人ではできないことを達成する喜びを感じられます。
とことんその仕事にのめり込んだ先に、達成感が沸いてはくるものです。
逆に、そこに過剰反応してしまい、どうもおかしいと思うこと、間違っていると思うことでもやってしまう。
だんだん違和感がなくなり、おかしいとも思わなくなる。
あるいは、ずーとおかしいと思いながら悩んでしまう。
そのようなとき、一度組織人ではなく「生活者」であるという視点に立ち返る、その行為は本当に正しいのか、生活者として間違っていないかと考えてみることです。
生活者の一部がその組織にあるだけなので、生活者として違和感を持つことは表に出す、声をあげて仲間を作る。
あるいは切り離しても良いのです。
その仕事を手放しても
生活者としての自分がいます。
笑福亭鶴瓶さんの話
ずいぶん昔の話で、まだ電車の駅の改札口に駅員さんがいて切符を確認していたころの出来事を笑福亭鶴瓶さんが話しているのを聞きました。
そのころ鶴瓶さんはもうかなり売れていて、ほとんどの人に顔が知られるようになっていました。
ある日、TVの収録に間に合わなくなると急いで電車に乗ろうとします。まだカードは普及しておらず切符を買っていた時代で、切符売り場には大勢の列ができていました。鶴瓶さんは並ぶ時間がないと思い顔が知らているので
「急いでいるので後で払うから改札を通してくれ」と駅員さんに尋ねたそうです。そのとき駅員さんは「みんな一緒だ」と応えたそうです。
この話を鶴瓶さんは、駅員さんに教えてもらったと反省して話していました。
これを聞いたとき、鶴瓶さんは売れっ子になっても「生活者視点」を忘れていないんだと思いました。もう何十年も前の話ですが、この記事を書いていて思い出しました。