星新一ショートショート「好奇心」の想い出
読書の楽しみというと、私は二種類あるように思う。一つは、活字を追っていくときに味わうものだ。先を予測したり、著者の表現に舌を巻いたり、心情表現に合わせて心が揺れ動いたりなど、文字を追いながら描かれた物語を追体験する楽しさだ。活字という骨子に肉付けするように自らの想像力を補完していく、この作業には読書でしか得られない恍惚がある。
もう一つは、読書を終え、その記憶を反芻することでゆったりと吟味する楽しさである。読後感という言葉があるが、この"読後"という時間は読み終わった瞬間だけでなく、何日も何年も生きている限り永遠に続いていくものだ。歩き慣れた道で先日読んだ本に関してあれこれと思慮をめぐらす。活字と想像力の入り混じった「読書体験」という海馬の領域に、もう一度踏み入れてみるのだ。はたまた、何年後かのふとした瞬間に、昔読んだ作品を思い返す。そのうちにしまい込んだ本を取り出し再度その世界に身を投じることもあるだろう。この反芻作業は読書中の快に比べて刺激こそ少ないが、耽溺する心地良さがある。
私はというと、この読書の後の吟味が一層好きで、そのせいで短編ばかり読んでいる。何日もかけることなく、ひと息に勢いのままに作品を読んでしまい、受け取った第一印象をそのままに、その後何日かかけてじっくりと内容について思考を巡らす。このスタイルを確立してから、それに沿った読書のできる作品ばかりを選んでいる。おかげで私の読書遍歴は偏り過ぎている。手に取るのはいつも短編集ばかりだ。
さて、今回取り上げるショートショートという小説ジャンルは、一気に読んで後から吟味する私好みの読み方に最適だ。日本にこのジャンルを定着させた星新一の作品群は幼少の頃から今に至るまで愛読している。今回は何年にも渡り反芻を繰り返しているお気に入りの一篇を紹介したい。例によってネタバレ有りのあらすじ無しな上、この作品はネタバレすると台無しになってしまう類のものなので、これから読む予定のある方は気を付けて欲しい。
好奇心
「凶夢など30」に収録されているこの作品は、読んだ時のことを今でも覚えている。小学校中学年の頃だ。「きまぐれロボット」という低年齢層向けの星新一のショートショート集を気に入り、他にも読みたいと母親にせっついたところ、祖父母の家にあった叔父のおさがりであるこの短編集を借りた(注)。未だに借りたままである。
「凶夢など30」に収録されている作品群は「きまぐれロボット」よりビターテイストで、それまでにない読書体験だった。もっと具体的に言えばそれらの切り口に、恐怖と軽いトラウマを患った。そして中でも「好奇心」は強烈な印象を持っていた。
この作品はいわゆる「信頼できない語り手」モノである。全ては自由の効かない主人公の妄想の世界だったというオチは、今振り替えればありふれたものである。ただ、読んだ当時は胡蝶の夢なんて言葉すら知らなかったのだから、
"今存在して知覚しているように見える世界が全て妄想の産物だとしたらどうしよう。実は一人寂しく寝たきりなのでは。もしそうなら、それを証明する手だてはあるのかな。現実でないのは嫌だけど、夢が醒めてしまったところでどうすればいいのだろう・・・"
などということを本気で悩んだ。当時の私は良く言えば非常に繊細で、悪く言えばビビりで、他にも空想作品を読んだり見たりしては恐怖したり、今思えば一笑に付すところのものを延々悩んだりしていた。
恐怖とは不思議なもので、考えないように考えないようにするほど、深く深く考えてしまうものである。熟考しても恐怖感の拭えなかった私は、解決策を求めてまた本を開いた。もちろん、恐怖の元凶なのだから二度読んだところで容易に解決はしない。再び考える。読む。考える。それを繰り返していくうちに、怖さが麻痺して物語の細部に目が向くようになっていった。読み返す度、星新一がごく短い文章の中に散りばめた構成の妙に魅せられていった。恐怖心を飲み下す頃にはすっかりとこの作品の虜になっていた。例えるなら、最初は嫌だった山葵の辛味やビールの苦味が我慢して親しむうちに段々と癖になる感覚に似ている。
「好奇心」の妙、この物語の秀逸な点とは、夢から醒めるのが二段構えであるところだ。一度目の覚醒で、読者は妄想の世界(世界Aとする)と現実の世界(世界Bとする)をつい対比してしまう。都会の洗練さと社交界の華やかさを持つ世界Aに対して、自然に溢れ単調な生活を送るしかない世界Bは全くの反対であるように思える。ところが、最後に世界Bすら夢であり、まったく外的刺激のない世界Cが現実だったと明らかになる。対照的に見えた世界Aも世界Bも、主人公の願望を叶えた理想の産物であったのだ。ショートショートにしてこの二段構えは、まさに読者の予想を裏切る構成で、ましてや叙述トリック等のミステリの常套も知らなかった幼年の私には莫大な衝撃だったのである。
世界Aと世界Bに一貫する不可思議な雰囲気にも私は夢中になった。主人公の好奇心を諫めようとする人々、奇怪な男性から逃れるようにしてこの世界に来た女性の話、そして女性とぶつかること。世界Cの暴露とともに世界ABの奇妙が皆するすると解明し、主人公は次こそは決して好奇心を起こすまいと妄想に再び招かれるべく奮闘を始める・・・。冒頭から結末まで、一気に読んでからふと我に返るとたったの12ページであったことに驚く。余計なものを削ぎ落とし、小さいがしっかりと存在感を持って光り輝く、まるで宝石のようだ。
もうお分かりかと思うが、「好奇心」と向き合った経験が、最初に述べたような読書の楽しみ方、私のスタイルの源流となった。それまで"面白い"や"楽しい"といったプラス方向の感情で漠然と行っていた読書に、深みが加わった。最初こそ強すぎる刺激だったその体験は、新たな世界への入り口だった。一癖ある短編の魅力に気付かされた私は、小学校高学年ではエドガー・ポーや芥川龍之介を知ってしまうのだが、その話はまた別の機会でいいだろう。
どちらかというとエッセイになってしまった。それでは、今回の感想はこれまで。
「すると、ここはどこなんです」
「非日常」
―星新一「好奇心」より―
(注)確認したところ、新潮社から1982年に出た初版であった。今では文庫サイズではない星新一はなかなか見つからないのではないだろうか。
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