WOWOWオンデマンドで『善き人のためのソナタ』(フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督、2006年、日本公開2007年)を久々に観たので、感想でも書こうかと思います。
観ていない方のため完全ネタバレの長文あらすじを。観た方はすっ飛ばしてください。
おお! 我ながらよく書けたあらすじだと思います。まあ、少し長いですが。
この作品は自由に対する描き方が圧倒的に優れていると思います。不自由さの中に自由を見出す、だから自由を感じられる仕組みになっています。
自由とは言論の自由、つまり権力に文句を言えるということ。普段から権力に対して文句を言える日本にいるとまったく気づくことのない自由を、不自由さの中で感じさせてくます。と言うか、テレビを点けたら文句しか言っていません。文句製造機です。
さらに輪をかけて素晴らしいところは、壁が崩壊したニュースが届くところ。そして誰が自分を盗聴していたのか記録がしっかり残っており、自由に記録にアクセスできるというところです。この二つのシーンは物語を通して、不自由さの中で見出す自由ではなく、本物の自由を見せています。
さてさて、自由の話はこれぐらいにして。
ヴィースラーが盗聴中に『善き人のためのソナタ』を聴いて涙を流すシーンがあるのですが、この涙には複数の意味があると私は思っています。
これは考察ではなく事実です。と言うか、最近「考察」とか言っているアレ。アレってただの穴埋めというか答え合わせというか解説でして、たいして考えてませんよね。って言うか何も考えずにスッと入ってくる映画に対して考察もへったくれもないでしょうに。
1、曲に感動したから
2、共産主義者でいられなくなってしまった自分を嘆く
3、今まで忠誠を誓っていた国家を裏切ることになるから
4、自由(西側)に想いを馳せたから
4は怪しいですが、1、2、3は確実でしょう。そしてあの涙こそ自由を求める瞬間なのです。
いやあ、自由っていいですね。と水野晴郎っぽく終わらせましょう。
王ケイ