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次の世で会おうね

衝撃だねえ、ああ、衝撃だねえ。
市川猿之助氏が自殺を試みたってことに衝撃を受けたんじゃあない。あるいは自殺幇助罪か、同意殺人罪か、殺人罪に問われるという事実に衝撃を受けたわけでもない。

彼は遺書らしきものを残した。らしきもの、この表現は立川志の輔氏が落語にした原作『バールのようなもの』(清水義範著)でお馴染み、ウラを取れてない時の言い回しなんだろう。ま、それはさておき遺書らしきものにはこう綴られていたのだとか。

次の世で会おうね

おっと、意味深な改行しちまった。まるでnoteに書いてるみたいじゃん。いや、noteに書いてるんだわ。
よもや47歳の大人が来世を信じているとは思わなかったわ。ってことは前世も信じてるってことになるんだよねえ・・・

おそらくインドあたりの宗教に基づいた考え方だと思うんだけど(仏教とは言っていない)、この考え方は非常に危険。
これって、前世で徳を積んだからこそ現世があり、現世で徳を積むからこそ素晴らしき来世があるって考え方なんだよね。で、今この私が報われないのは前世で徳を積んでいなかったからだよん、悪いことをしたからだよん、という考え方に落ち着いちゃう。でもって、報われない今を受け入れちゃうんだわ。するとどうなるかって?
必ず報われる来世のために、報われない今を受け入れて徳を積もうとしちゃうのよ。今まさに苛烈な差別を受けている状況であっても、「これは前世の行いが悪かったからだ。でも今は我慢。来世のために頑張る」となっちゃう。
超超超危険な考え方だし、支配者が生み出したシステムとも言えるわけなんだわさ。

宗教を否定してるんじゃない。
今が報われなければ「次の世」があると思っているその考えを否定しているのですよ、私は。さすが47歳だけあってファミコンレベルのリセット感覚を持ち合わせてたのかい? ポチッと押したらはいリスタートって?
それとも、芸術(芸能)と政治と宗教は母体が同じだから、神秘的なものを受け入れる土台が整っていたいのかい? ダメよ、ダメダメ。

嫌だねえ。今を生きないで、いつ生きるんだよ? え? ここで生きないで、どこで生きるんだよ? え?
ったくよぉ、あるのは現世だけだ。この自分がいるのは、今ここだけだ。
でまあ、なんだかんだあって、自分なんて無いんだという考え方に落ち着いてくだされ。な?
これは宗教的なもんじゃなくて『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず』ってことよ。動的平衡ってことよ。


あ、芸術と政治と宗教は母体が同じってのは、古代の雨乞いを思い浮かべればいいよ。


王ケイ

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