人類の敵———アインシュタイン
アインシュタインも、オッペンハイマーも、人類の敵と思っている。なぜならば、いってみれば自らの欲望を抑えきれずに「パンドラの箱」を開けてしまい、地球上に生きるすべての生き物の生きるための環境を破壊してしまったから……。
私はかねてより、そう思ってきた。
1952年に発行された雑誌『改造』増刊号「この原爆禍打―――再び世界の良識に訴える」という特集号に、編集部よりの依頼でアインシュタインが寄稿しているものを読み、この男は人類の敵であり、クズだとの思いをさらに強くした。
読めば読むほど腹立たしく、怒りに涙が出てくる。このたった2ページの短いものとはいえ、そこには無差別大量殺戮のみならず、地球上の生き物が生きる環境を決定的に破壊した核兵器製造に対する後悔や反省は微塵もない。
自己弁護と自己保身と責任転嫁に満ち溢れたこの男のなんともみすぼらしいこの「言い訳」を見よ!
雑誌の巻頭にモノクロの写真が何点か掲載されている。今日では、多くのの人が見たことがあるかもしれない有名な写真である。当時の印刷技術などから、鮮明とは言い難いものではあるが、このように被害の状況を広く世間に知らせることができるようになったのは、1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約によって、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の検閲がなくなたことによる。それは、それまでの7年間は、「原爆がもたらした悲惨さを真正面から報じることは「反占領軍的」とみなされた」(広島県サイトより)ということで、原爆投下直後から広島で核廃絶の運動を担ってきた人びとは、常にGHQの弾圧に怯えながら活動をしてきた。
アインシュタインの寄稿は、編集部が被爆後の写真を添えて依頼したものだとの説明がある。おそらくこの巻頭の写真などを送ったものだと思うが、それを見ずしても原子爆弾が生き物に、生態系にどのような被害をもたらすかを、アインシュタインが事前に知らなかったということはない。さらに、あれやこれやの言い訳を述べても、この被害が単に威力の強い爆弾というだけでなく、放射性物質がどのような影響を与えるのかをも、知らなかったはずはない。
ウランは毒キノコ、掘り出してはいけないものだった。
地上にあってはならない物、掘り出してはならなかった物、それがウラン鉱石である。ウラン採掘場では数しれぬ現地の人びとが被曝被害にあい、環境を破壊している。ウランの採掘によって、世界の先住民は被曝による健康を害している。掘り出す作業員も、掘り出したことによって、周辺の環境も被曝する。たかだか自分ひとりの未知なるものを知りたいという欲望によって、地球上のあらゆる生物を取り返しのつかない事態に追いやった核物理学者と称するものどもを、私は決して許さない。
1970年代のはじめ、私の周りには同世代の核物理学者になりたい学生たちが複数いた。たびたび彼らと、「核」についての議論をした。私は門外漢なので、放射性物質やその技術など、知らないこと、疑問に思うことを一つ一つ質問をしていった。結局、放射性物質が放つ放射能の被害は、防ぐことができないと、彼らは言った。ではなぜ、ウランを地中に留めておかないのか、なぜ、そこにあるだけで害を及ぼすものを、あえて掘り出すのかと問い詰めても、答えはなかった。そして、原子力発電はよくないけれど、核融合ならクリーンであると……。核融合? ウランは使わないの?
私は彼らとの議論を通じて、「ウランは毒キノコ」だと思った。
1952年に登場した原子力エネルギーで少年ロボット「鉄腕アトム」と共に育った子どもたちが、「核の平和利用」「安全神話」にまんまと騙され、自分も研究開発に携わりたいと思った世代。ベトナム戦争には反対だし、もちろん核兵器にも反対だが、「平和利用」は出来る、「エネルギー対策は必要だ」との誤った認識をいだき、物質として人の力でその害を防ぐことができないものをあれやこれやの技術と称するものを使って開発してきた。
スリーマイル島やチェルノブイリ、さらに2011年の東京電力福島第一原子力発電所の事故を経験しなくても、「そこにあるだけで取り返しのつかない害を及ぼす」ウラン鉱石は地中に眠っていてもらわなければならなかったとの認識を持つことができなかった核物理の専門バカども。
※タイトルの写真は、被爆地広島の平和記念公園内に建つ「原爆の子の像」。2歳で被爆し、12歳で白血病を発症し亡くなった佐々木禎子さんがモデルである。
佐々木禎子さんが被爆してから亡くなるまでのことは、絵本『さだ子と千羽づる』をご覧ください。