遠藤京子

マクロビオティック料理師範で鍼灸師です。さまざまな養生法をお伝えしようと思います。また、オーロラ自由アトリエ(出版社)の主宰者です。批判精神を忘れない社会批評も、ここに記します。この世界のすべての事柄はつながっています。養生法といえども、政治や社会から目を逸らしてはなりません。

遠藤京子

マクロビオティック料理師範で鍼灸師です。さまざまな養生法をお伝えしようと思います。また、オーロラ自由アトリエ(出版社)の主宰者です。批判精神を忘れない社会批評も、ここに記します。この世界のすべての事柄はつながっています。養生法といえども、政治や社会から目を逸らしてはなりません。

最近の記事

父の内職

 1950年代後半、私が小学校2年生まで暮らした東京南部の小さな家でのことを記しておこう。子どもの頃の記憶なので、間違っているところがないとは言えないが、今から思えばちょっと驚くこともあると思うので、覚えている限り記しておく。  私が生まれたころ、父は、東京の愛宕トンネルの近くにあった小さな映画フィルム現像所の所長をしていた。サラリーマンだったが、毎月の給料だけでは生活が苦しかったのか、何か向上心があったのか、日曜日には内職をしていた。庭に建てた掘建小屋を「研究所」と名付け、

    • 会ったことがない祖母のこと

      父のアルバムから。  他人の祖母のことなど、興味を持つ人はいないかもしれないけれど、この世にこんな人がいたということを、残すために記そうと思う。写真は父のアルバムからのものだが、何しろ古いので、糊が効かなくなってみな剥がれてしまっている。したがって、いつの写真かというのは、アルバムに父が残したメモから推測した。写真の裏に記さないとこういうことになってしまう。また、写真を残すつもりなら、写っている人との関係を記さないと、残されたものには、誰なのか分からない。たとえば、昔の結婚

      • 4年ぶりの広島。

         1994年から2019年まで、毎年欠かさず訪れていた8月6日の広島平和公園。コロナ禍により、2020年から昨年まで、出かけることを断念していた。今年は、なんとしてもと思っていたので、ともかく行くことにした。  絵本『さだ子と千羽づる』という、原爆の子の像のモデルとなった佐々木禎子さんが、アメリカが投下した原子爆弾によって、12歳で命を絶たれるまでのことを絵本にしたものを、1994年に出版した。それ以来、この絵本の朗読を続けてきた。  5年ぶりの広島平和公園は、これまでに

        • 沖縄の夏。

          #夏の1コマ

          私が若いころの公共トイレ

           先日、何人かの若い女性に、私が若い頃、10代後半から20代にかけての街中や駅の公共トイレやデパートなどのトイレは、男女別ではなかったとの話をしたら、「えーっ、そうなんですか」と、驚かれました。さらに、いま、女性たちの要求が実現してせっかく男女別になったトイレが、再び、男女別ではない「ジェンダーレストイレ」なるものに変えられようとしています。いや、東京などで新しく作られる公共トイレは、男女別ではなくなっていると伝えたら、さらに驚いて、「えーっ!」となりました。  経験していな

          私が若いころの公共トイレ

          徳田球一と、K君の父親のこと。

          他愛もない物語 K君は、東京南部の公立小・中学校の同級生で、常に学年トップの成績だった。中学1年生の最初の授業で、担任は各自に尊敬する人を書くように命じた。無記名だった。集められた用紙を担任が読み上げていった。ほとんどの回答は、ごくありふれた父親とか、両親とか、誰でも知ってるような偉人とかだった。 一瞬、間をおいて———担任が、「徳田球一を知っている人は手を挙げて」と言った。私は知っていたので手を挙げた。他にもう1人男子が手を上げた。それがK君だった。私は尊敬している人に徳

          徳田球一と、K君の父親のこと。

          「精神と自由」が奪われていく時代に。

           弓削達さんをお訪ねしたのは、1989年昭和天皇の死去に伴う「自粛」の嵐が吹き荒れている最中だった。当時、文部省の「服喪」通達に対して大学としての「自治」の姿勢を示した7つの大学のうち、当時、明治学院大学の学長であった森井眞さんとフェリス女学院大学の学長であった弓削達さんが、それぞれ右翼による生命を脅かされるほどの攻撃を受けていた。  私が主宰する出版社オーロラ自由アトリエで、お2人の対談を企画し、それぞれに快く承諾をいただき、作家・山口泉さんに司会をお願いしてこの企画が実現

          「精神と自由」が奪われていく時代に。

          人類の敵———アインシュタイン

           アインシュタインも、オッペンハイマーも、人類の敵と思っている。なぜならば、いってみれば自らの欲望を抑えきれずに「パンドラの箱」を開けてしまい、地球上に生きるすべての生き物の生きるための環境を破壊してしまったから……。 私はかねてより、そう思ってきた。  1952年に発行された雑誌『改造』増刊号「この原爆禍打―――再び世界の良識に訴える」という特集号に、編集部よりの依頼でアインシュタインが寄稿しているものを読み、この男は人類の敵であり、クズだとの思いをさらに強くした。  読

          人類の敵———アインシュタイン

          マクロビオティック基本惣菜 

          金平牛蒡  かつて東京・目黒で自然食品の店「あらいぐま」という自然食品点を営んでいた。小売店にマクロビオティック食堂「あらいぐまの台所」と名付けた食堂も併設していました。  2009年、目黒区教育委員会から「仕事帰りに学ぶマクロビオティック料理」と題する料理講習会の講師の依頼がありました。その時のテキストは、これからここにアップしていこうと考えているけれども、今日は、その中の金平牛蒡のレシピを紹介します。  金平牛蒡は、牛蒡・人参・蓮根を千切りにして炒めるものだけれども、マ

          マクロビオティック基本惣菜 

          有楽町スバル座

           微かに残る記憶……。ふたつのシーン。 「宇宙戦争」という映画で、スクリーンに奇怪な、なんだかきみの悪い、恐ろしいものが映されて……と思ったら、スクリーンから煙が出てきた。だが煙は映画ではなく、本物だった。  もひとつのシーンは、大勢のおとなに混じって、遠くの方で炎と煙を上げる建物を、父に抱かれて見ていた。これも、映画ではなくて現実。  有楽町スバル座は、2019年10月20日に閉館した。もともとGHQが日本の民主化を促進する目的で、アメリカ映画を上映する映画館として、戦後

          有楽町スバル座

          はがき通信———《ふりかけ通信》再録 

          38年前に起こったこと。 今から38年ほど前に起こったことを、《ふりかけ通信》というタイトルで、当時ちょっと流行っていた「はがき通信」に載せて、知人宛に郵送しました。新聞のようなレイアウトの通信をはがきサイズに印刷したものです。  《ふりかけ通信》は、「はがき通信」としては第3号までで、第4号からは『蜚語』という小冊子の巻末に入れました。いろいろと書いているうちに、はがきではどうにも収まらなくなったことやもっと広い、社会や政治に関することにも触れようと思ったことによります。→

          はがき通信———《ふりかけ通信》再録 

          遠藤京子の玄米教室レシピ⑶

          人参とプルーンのクスクス添え【材 料】(4人分) 人参 小6本(見た目を重視したい場合は、皮をむいておく) オリーブオイル 大さじ3 玉葱 小2個 にんにく 1片 シナモン・コリアンダー・クミン(いずれもパウダー) 各小さじ1/2 塩 小さじ1 米飴 大さじ1 出汁 1ℓ  (出汁は昆布と椎茸でとる。詳しくは、下の方を参照) ローストアーモンド 50g ドライプルーン 150g 塩・胡椒 適宜 ※クスクス 1カップ (ボールに同量の熱湯とオリーブオイル小さじ2を入れ、かき混ぜ

          遠藤京子の玄米教室レシピ⑶

          遠藤京子の玄米教室レシピ⑵

          金平牛蒡【材 料】作りやすい分量(半量でもOK) 牛蒡  100g    人参  40g    蓮根  60g  油   小4    水 適宜 (醤油 水1Cに対して、大1~1.5) 【作り方】 1)牛蒡・人参・蓮根は、皮をむかないように洗う。 2)牛蒡・人参は、斜め薄切りから、千切り。 3)蓮根は、できるだけ薄い、いちょう切り。 4)鍋に油を熱し、牛蒡を陰性の臭みがなくなるまで、天地を返しながら炒める。 5)牛蒡を鍋の一方に寄せ、空いたところに人参を入れ炒め、天地を返しな

          遠藤京子の玄米教室レシピ⑵

          遠藤京子の玄米教室レシピ⑴

           2008年ごろに東京・目黒でやっていた「あらいぐまの台所」での料理教室のレシピを、少しずつ公開していこうと思います。このレシピは、ごくごく日常的なお惣菜を中心としたもので、特別な料理ではありません。毎日の家庭料理に取り入れていただければと思います。  この玄米教室は、沖縄・南城市「ビオ鍼灸治療院」にて、食用指導のメインとして2019年から再開する予定でしたが、コロナ禍により延期となったまま、再開の目処はついておりません。  なお、レシピに関してご不明な点がありましたら、ご遠

          遠藤京子の玄米教室レシピ⑴

          「ゆきゆきて神軍」———ニューギニア戦線で起こったこと———戦争責任。

           沖縄市のドーナツカフェで映画もするという小さな映画館(シアタードーナツ)で、「ゆきゆきて神軍」が上映された。そこへは行かなかったけれども、U-NEXTで35年ぶりに見た。  太平洋戦争でニューギニアへ派遣された独立工兵第36連隊主力の約600名うち米軍の捕虜となって生還した者が確認できる範囲で8名いた。そのうちのひとり、奥崎謙三という将兵の戦後の姿を追ったドキュメンタリー映画だ。    私は映画以前に、この帰還兵のことを、父から教えられていた。  私の父は、職業軍人でもない

          「ゆきゆきて神軍」———ニューギニア戦線で起こったこと———戦争責任。

          『蜚語』第19号 特集 「米余り」っていったいなんだ!(1997.12)

           小冊子という形での発行は、この第19号が最終号です。オーロラ自由アトリエでは、1999年春に『批判精神』というタイトルの季刊雑誌を発刊しましたが、その中に『蜚語』も組み入れました。  《ふりかけ通信》→『蜚語』(《ふりかけ通信》を組み込む)→『批判精神』(『蜚語』を組み込む)という形態で進化させて来たわけです。  『批判精神』は100ページ強の雑誌なので、そのすべてをここにアップすることは難しいですが、なんらかの形で紹介していきたと思っています。 【表紙は語る】親愛なる同

          『蜚語』第19号 特集 「米余り」っていったいなんだ!(1997.12)