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とりとめのない日々を綴る DAY10~師走に自分へのご褒美


師走にある今の気持ち

もう師走。
12月も一週間以上経つけど、まるで実感がない。
最近、新しく始めたのに自分の求めていたものではなくて考えた末、辞めてしまったこともあって、少しばかり途方に暮れていた。

といっても、後悔とかでもない。
動きたくても不安や恐怖で動けないっていう苦しい時間を知っているので、
結果が希望に伴わなかったとしても後悔することはない。

ただ、結果がどうであれ、得た経験はゼロではないとわかっていても振り出しに戻った感は否めず。
なぜ、自分をもっと褒めてあげられないんだろうなぁ。
一年前よりずいぶん自責や自罰的な考えは、矯正されてきたと思うけど。

委託の退職手続きも滞りなく済んでしまった、さあそろそろ働くことについて具体的に動き出す必要があるな。

今回は残念だったけど、自分の居場所で働くという形についてはまだ諦めてはいない。
どういう形態で働くかなどの具体的条件について、不安とか恐れとかという感情が邪魔をして色々と整理できない時間が長かったのだが、今回の撤退でそこら辺の曖昧さが少し輪郭がはっきりしてきた感がある。

在宅で働くということについて、ただ家(自分の安全や快を自分で確保できるスペース)で働きたいのか(業務内容や難易度は二の次なのか)、それはフルなのか一週間に何日とか指定日数だけなのかとか、実際に動いてリアルに感情に直面することで違和感などで自分の許容範囲や希望などが見えるようになった気がする。
まだまだ言語化して整理する必要があるけど。

フルリモートが理想だったけど、すぐにそれを手に入れるとなると私の職歴では、委託の形態をとるのが一番手っ取り早い。
ただ、今回の委託の業務形態や業務内容などに対して実際体験することで、結構しっかりとしたラインを自分が持っているということに気づいた。

実際に契約を締結してやってみないと明かされない実態が多すぎて(機密情報だということで)、面接段階で聞いても情報を得られなかったのは残念だ。

事務というだけでも、働き方も業務内容も様々だ。
色んなシステムに触れる経験を得られるはずと思ったけども、それ以前に自分が苦手というかなるべく避けたい接客がメインとなる実態に早い段階で撤退が頭に浮かんでいた。
実際の事務業務に集中する時間がなさすぎると感じたからだ。
同時進行の複数タスクが多すぎて慣れるのに時間がかかりすぎる。
その時間とメンタルへの影響、時間、支払われるお金を天秤にかけて赤信号が点灯となった。
相手方のチームでの対応と私の思うチームでの対応というものが全く違った。このミスマッチ…他の同じようなオンライン事務の業務委託はどうなんだろう?(委託元の会社に帰属するという形の場合)

結局、事務として働くならば、私はフルリモートで業務委託は一旦白紙。
人生は短いけど長い。
もうこうなったら、焦らず死ぬまでに自分のスペースで働くという形態を実現できるものを積み上げられるようにしよう、という変に寛大な気持ちになった。焦らない。今回だけで自分の願いや希望を取り下げない。

前職の元上司に依頼する

前回の記事でも言ってたように、いろんな人の話を聞こう、そして頭の中を整理しようとしていた。
その中に前職の元上司(会社自体はすでに引退済)との食事の席を設けて、話を聞いてもらった。
雑談もして、近況報告もして、その席に目を通してもらおうと実は職務経歴書を印刷して持ってきたので、見てもらった。
前職を退職してすぐに連絡をもらった際に、実は、元上司が今、委託契約で働いている会社の事務の後釜として働かないかと軽く打診を受けていた。
といっても、その会社の人事権を持ってるわけではないと思うので、本当に軽くだけども。
退職直後はそもそも働くことからいったん距離を置きたかったので、丁重にお断りをしていた。断るといっても辞退というよりは、今は何も考えられないとだけ。

ただ、今回の委託の撤退を考えるに至って、もし事務として働くならどういうところだったらいいのかと考えていく上で、大事なのはやっぱり安心な低刺激な業務内容と環境だと思った。
その会社は前職と業界も同じで、対応する書類の種類も具体的に想像できるものだし、対応経験も十分にある。
もし、ご縁があるならば、いったん話をしてみたい。
そう思うこと自体が怖がりの自分にしては随分大胆だったし、行動にうつしたのでかなり勇気がある。

元上司は内容を見て、職務経歴書(正式な求人でもないので氏名は削除した)を社長に渡して話をさせてくれないかと快く言ってくれた。
現在連絡待ちの状態である。
いつ話をするのかも知らないし、期限もないし、保証もない。
私自身、低賃金で良いというわけでもないので、もし働いてほしいとなっても、条件によっては要相談だということも伝えて、元上司も十分に理解してくれている。
現在の課題はこの間できる準備(ほかの会社にも応募したり、職務経歴書を熟読して面接時の回答例を考えたり)を考え、精査して実行に移すこと。
さあ、どうなるかなあ。今年中に答えが出るんだろうか。
祈るしかないな。

まだ家人に報告していない

業務委託という働き方についても理解できない家族にはまだ、撤退したことについて話していない。
そもそも、委託元の会社のトライアウトを受けて面接を受けてという活動自体も働くことへの活動としてみてもらえてなかったので。
鬼の首を取ったように、不安を煽るような発言や態度をされないだろうか、今後について個人の境界線を越えて干渉したりしてこないだろうかとか、すでに嫌なことを想定しては憂鬱になっている。
家族の愛情を疑ったことはないけども、やはりすべてを理解しあって距離を保つってことは難しい。
同居している分、物理的距離も近くて色々と難しいし苦しいと感じる部分はある。
一緒に暮らすとなるとどうしたって、距離が近いし、反射的に相手の期待に応えたくなるけども、応える内容が自分がしたくないことだったりするとすごい葛藤が生まれて、自分を責めずに落ち着かせるのに苦労する。
ただ、いつかは話さなきゃとも思うけど、話す必要あるのか?という自分もいる。
何を言われどういう態度をとられても、自分は自分だし、彼らに何かを証明するために生きているわけではないということを忘れないでいよう。

欲しい漫画を爆買いする

私には、一番最初の会社に就職するという話になる前の大学卒業直後の数カ月の無職期間に、貯金を切り崩してでも買おうと決心して買った漫画がある。
その漫画は今も私を励ましてくれている。
ちなみにその漫画はこれだ。


今だって読み返したいときは何度でも読むし、これを売ることはないと思う。
バカだな~って思いながら、それでも読みたいっていう欲求を捨てきれずに、開き直って買った当時の気持ちも強く紐づけられているからだ。
多分、当時自責ばかりで死にそうな自分が、唯一「自分のため」にした自分のわがままを叶えた行為だったから。
すっごい自分の人生に当てはまったとか、そういう内容ではないんだけど、楽しいという感情を読んでいる間感じられるものだった。

多分、当時の自分は、ほぼほぼ鬱のような状態だったので、読みたいという欲求を優先することは「生きたい」っていう欲求を尊重するのと同義だったような気がする。
今回、大金では全くないけども、委託の研修期間中の稼働時間分のお金がもらえる。
無職になっても、自然と買わなくなったり不要になったりするものはいくつか出てきたけど、やっぱり本はやめられなかった。
本を読みたいという欲求があるうちは生きられるなって思う。

今回の委託で得たお金は、ただ日常生活で使用する消耗品の購入でいつの間にか消えてしまったとかではなく、「これを買うために使う」と明確にしたいと思った。
ので、当然のように買いたい本を探して、リストアップした。
ただ家に届いた際に何を買ったか家人にばれるので、姪のクリスマスプレゼントの発注に混ぜたw
まあ、もういい年なので、自分のお金で何を買おうが私の自由なんですけど。
今回買った漫画は、どれも漫画アプリで無料で途中まで読んで、すっごく心に響いた物語ばかり。
読んで自分を勇気づけたいんだと思う。
これらを読んで勇気づけようと思う。
これらを読むことに罪悪感なんて抱かないでおこう、絶対に。

断捨離をすすめる

まず、新しい何かを入れるなら手元にあるものを整理しよう、と思って
ここ2日ほど、書類やら書類やらの整理。
またお金についてもう少しちゃんと向き合おうとも考えて支出などの見直しを手掛けだした。
本も整理したい。
何だったら自分は手元に残しておきたいのか、日常において本当に必要なものはなにか、見直したい欲がむくむくと湧いている。

生きていく上でのバランスを考える

テーマが壮大すぎるかもしれないけど、もしまた会社員として働くならば、私は業務を遂行する上で必要な成長以外を求めようとは思わない。
結局、未経験の分野で築きたいキャリアというものも、今のところ出会っていないし、直近で働くとなると経験している事務職になるだろうと思う。

前の職場のせいで、事務職ですら嫌いになりそうだったけど、人をサポートすること自体全般嫌いかと言ったらそうではない。
サポートの仕方には好き嫌いは、当然あるけどね。

損害を出さないように真面目に誠実に業務を行う、それだけで多分自分は、何かに所属して働く場合、十分だと思う。
組織内での出世にも興味がない。
キャリアを段階踏んで挑戦して、ステップアップ!とかも考えていない。
新しいシステムとかそういうものは、効率がよくなったりするならば関心はあるけど。
なんだか、ここ最近の日々で気持ちがそう振り切ったというか。
割り切れたというか。

どうしてもキャリアっていうものは、上に行くことや実績を積み上げることが当然!って感じで、計画的にいかなくても発展性のある計画を持たなきゃいけないっていう、それが大人として当然みたいな強迫観念が自分にもあったのかもしれないと気付いた。
そういうの苦手なのに。
実をいうと「キャリア」っていう言葉のもつ印象があまり好きではない。
雑誌で特集しているような、充実して右肩上がりなキャリアなんぞ、どれほどの人が実現できるんだ?

大手になるほど、昇格していくことが当然となるので、小さな組織がいいかもしれない。
小さなところは小さなところで逃げ場がない部分があって苦労もあるかもしれないけど。

私にとっての人生のバランスには、そうやって働いて得たお金と時間を自分の感情や考えや感覚をこういった文章や、あるいはイラストやあるいは小説などの創作物で表出し、たくさんの本を読んでいろんな物語や価値観、考え、感情に触れる時間を第一に優先することを意識的に保つことが大事なのかも。
この創作物でお金を稼ぐとか生活するとかは、今すぐは難しいし、生活費を稼ぐ枠に入れていいものかはまだわからない。
利益を得る時間や成果がないと、無駄っていうバイアスにつかまりたくないし。

でも、多分上記の時間は、自分が生きていく上で必要な天秤には載せなくてはいけないものだと改めて実感した。

明日の自分の感情はどうなってるだろう?
ただ悶々として動けない時間を少なくするように心がける。
あと買った漫画を読む!

なんだか、締まりのない内容になった気がするけど、師走に入った最近の自分の心情でした。
ここまでお付き合いいただいた方、ありがとうございます^^
気温の落差が激しい日々なので、体調を崩さないように自分を第一に大事にしてくださいね!

サポート頂けるんですか???!ありがとうございます! 頂いたサポートは語学等の勉強の教材や筆記具代、あるいは勉強後の休憩のお茶代に充てたいと思います!