かがみの孤城
いつも太陽が出迎え、帰りは、星空と月が見送ってくれる…誰もいない道を歩く、そんな毎日。
日常生活で普段は、TVを見ることはほぼありません。
仕事を終え「ふー」っと空に呼吸を突き上げ、まるで手に届きそうな星を見上げて、車に乗り、何と無く…
car TVのボタンを押して。
「漫画…」
ぽつっと呟いて、チャンネルを変えようとした、その時…
「お母さん、お腹痛い。」
「学校に行くの?行かないの?」
「(行かないんじゃなくて…行けないのに)」
このセリフが聞こえてきた時には、既にこの話の虜になっていました。
『かがみの孤城』
昨日の仕事が、この時間まで遅くならなかったら、出会うことはありませんでした。
偶然、ではなく、必然だと。
この映画のあらすじを簡単に紹介すると、主人公は、中学生の女の子、名は「こころ」。
いじめから学校を休校する日々。鏡の中の世界に引き込まれた城で出会ったのは、同じように学校に馴染めなかった6人の中学生。
城を仕切るのは自称「オオカミさま」の存在。
時間というルールさえ守れば、狼に襲われることはないという掟。城の中に何でも1つだけ願いが叶う部屋の「鍵」があることを伝えられ、話が展開していきます、
「もしも、1つ願いが叶うなら」
この質問をされた時、迷いもない願いが今も自分の中で生き続けていることを改めて知りました。
全く…同じ願いが写されたシーンに言葉を失いました。
一生叶うことのない …願い
一生の中で叶えられる…願い
こころは、どのように鍵を探し、どのような願いを下したか。
ここでは、全てを綴りませんが、大切な人生の歩むべき志の答えを映してくれているようでした。
自分の存在
母子関係
夫婦関係と家庭環境
友人と親友
仲間
学校、先生
恋愛
仕事
大人の世界
社会問題(虐待、いじめ)
欲(食欲、性欲)
家族の死
遺族の生き方
これらが全て詰まっていました。
「目を逸らさずに…見続けるのだろうか」
という想いにもかられたのも、投影されてあらゆる感情が動いていたからです。
今の自分だから、分かるものがありました。
この物語が終わる時、本音の自分を教えてもらったと感じました。
「自分の顔をしっかり見つめ、本当の自分がどんな表情をしているのか観ているだろうか。」
「現象の感情に怯まず、事実を言葉で伝えているのだろうか。」
「自分が孤独になった時、どんな時も見守り、心の傍にいてくれる人に感謝を向けられていたのだろうか。」
「親や兄弟、友達、社会全体を疑うことなく、大切にできているのだろうか。」
「自分だけが逃げることで、皆をまきこみ、夢を先送りにしてはいないだろうか。」
「常に被った仮面を、自ら脱げる人はいるだろうか。」
「過去に経験した全てを生かし、今を生きているだろうか。」
物語を観ながら…たくさんの想いが巡りました。
『やっぱり…夢は、自分だけのものじゃない。1人1人が元々持っているサインを絆にして、協力しあうことで、初めて誰かの夢を叶える鍵の持ち手となり、新しい扉を開くことができる。』
そう感じました。
時代、性別、年齢、全て関係なく…
人には、誰しもその人の「正しさ」があり、その「正しさ」を持ち続ける正義感が争いになることがあります。
かく言う自分も「正しさ」を高々に振り翳し、世界を責め続けていました。そう言える理由を味方にしてきました。
そうして、いつの間にか、自分の中では当たり前になり、自分だけを護る術となる世界を築きあげてしまっていたことにも気が付かずに生きていました。
人には、必ず、その人にしか知り得ない過去があると言い切れるのも、こうして綴る自分にもあるからです。また、社会的な人でなく、親子や家族にもあるのだと感じています。
良くも悪くも、人には知り得ない共通する過去であったり出来事に心育まれて生きている。
◯×のように回答できない…
答えの無い唯一無二な存在…
それが心が示す答えなのかもしれません。
心を一枚の真っ白な紙だとしたなら、言葉や言動の影響が要因となり、ぐちゃっと潰してゆく自分がいて、その後、どんなにまっすぐ伸ばしたとしても、元には戻らず、その跡が刻まれ続ける…
それが生きると言うことなのかもしれません。
癒えないその跡を手の中に抱えながら、辛いと涙を流し続けることもできる…
だけど、それで良いのか?
本当に自分の人生なのだろうか?
そこに…
空から一滴の滴が降ったのだとしたら、ただ単に流れる水は、水跡を残し、美しい模様を描きながら生きてゆける。
そこに仲間が集まり、色とりどりの色水を添えたとしたなら、想像できない世界さえできる。
「心の争いから生まれるものは…何もない。」
自分は、そう思っています。ただ、そう思えることができるようになったのもここ最近の話です。また、忘れかけそうになり、思い出して、そうだ、と抱きしめるの繰り返しです。
心の在り方は、その人のままに世界に写りながらいきていて、自分だけの世界に生きているのでは気付き辛く、変わりづらいものなのかもしれないと感じています。
自分は、有り難くも願いを叶える「鍵」を探している時間の中で、大切な人とのご縁をいただきました。この1人の出会いが、自分を生かし、また、新しい人達との出会いを迎え、その人達の生きる姿に出会わせてもらい歩んでいるなかで、自分の心も次第に変わらせていただきました。
とにかく「やってみよう」と。
挨拶をすること
声をかけること
笑顔でいること
例え、裏切られてもずっと変わらない優しさを持ち続けること…
その姿がどれほど素晴らしい姿か、人を感動させるのか…
その人と出逢わせてもらい、本当の生きる姿を教えていただいたからです。
消えない過去に対して、自分だけの正論を突きつけるのでなく、誰かの赦しを要求するではなく、自分が偽らずに鏡の前に立ち、まるごとの自分を赦すこと…
"鏡は我が身鏡"だということを忘れていけないのだと感じました。
子であれ、親であれ、年齢関係なく…
どの時代であっても、人は「今」にしか生きれない。
人は、出会った人達の過去を知らずに誰かと出逢い、また、目の前に映る今を生きていく。
そうして、時代とともに命は繰り返されているのだと感じています。
経験をさせてもらいながら、小さな1歩を諦めずに踏み出してゆくことからスタート。
かつて、勝手に想像で決めきっていた未来は、今、人との出逢いで想像以上に幸せな時間を与えてくださっていることには、感謝しかありません。
だから、例え…この先、もしも、立ち止まっても、必ず立ち上がり、一歩を踏み出しながら…心に正直に進んでいきます。
人に宿る魂から放たれる気は、世界を現実化してしまうほどの意識を持つもの。
暴力を抱けば戦争に
脅威を持てば恐怖に
ならば…
優しさを抱けば平和に
愛を持てば幸せに
"できる"
幸を想う人の心が繋がり、集団になった時、そこから生まれる奇跡がいかなる世界か…見てみたくなりました。
『傍にいる人から笑顔にする。』
それが、世界を変える第一歩なのだと、歩んでいます。
くまちゃんの記事が届いた時、とても大切な想いを上手く言葉にできず、心に残っていました。
そうして、その翌日、この映画に出会い
「こういうことを…伝えてくれているんだ」
と繋がりました。
自分も生きていきます。
だから、ともに生きてください。
未来は…明るい。
その未来に、今、自分もいるから。
また、自分も今を踏みしめて未来に進むから。
未来で…会いましょう。
まだ、出逢えていないここから始まる誰かに出会える時間を…これから楽しみにしています。
それでは、改めて…
『どう生きたいですか?』
今日も
明日も
明後日も…
皆様にとって
サチアレ🌈
【note おりられオジさんより】
【ANiMi HPより】
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