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死にゆくこと

今年の春頃だっただろうか、『無人島のふたり』(山本文緒)を読んだ。副題が「120日以上生きなくちゃ日記」とあるように、ある日突然がんと診断され、余命四か月と宣告された作家が残された日々を綴っていく。私は小説を読む習慣がないから、作家・山本文緒さんのことはこの本を読むまで知らなかった。

今日これを書いているのは、この本を紹介することが本題ではない。

私の友人もがん治療のあと再発し、今後は積極的な治療はしないという選択をして日々を過ごしている。かなり痩せて体力が落ちたと聞いたので、がんの緩和ケアについて、この本が具体的でわかりやすかったことを思い出して勧めた。私も読んだときに少し気になったところがあったので、確認するために再読してみた。

気になったのは最後の日記だった。

10月4日の短い日記は、それまでの自分を冷静に客観視している作家らしい記述とは明らかに違って、山本さん自身が異常事態に巻き込まれているような意識の混乱がうかがえた。それから9日後に亡くなられたので、最後はメモ程度に書き残したものかもしれないが、死につつあるなかで「起こりはじめたこと」に触れていたんだろうと思う。

話は変わるが、私の父は現在98歳で、先日、血中酸素濃度が急に低下して救急搬送され入院した。「さすがに今回は・・・」と、父の死を覚悟をしたが、なんとか二週間ほどで退院することができた。

父が入院しているあいだ、私は毎日夕食の時間に面会に行った。三日目くらいだったか、病室に入ると父の様子がおかしかった。

「お前、おったのかよ! もうおらんのかと思った・・・」

私を見て大きな声でそう言って、心の底から安堵した様子だった。そして、「ここには誰もいないんだ。寂しいんだ、ここはすごく寂しい・・・お前が来てくれて寿命がのびた」と、いつもの穏やかな父とは打って変わって、緊張した面持ちで繰り返し強く訴えた。

「なに言っているの。ここは病院で看護師さんだっているし、私だって毎日来てるじゃない」

私はそう言ったが、父はどこか別の世界にいるような様子だった。

「なに言っているの」と言いながら、私は「父が経験しているだれ一人いないあの寂しい世界なら、私も知っているよ・・・」と思っていた。死に近づいている父が、潜在意識の深淵を経験しつつあるのなら、とても恐ろしいことだろう。

だれもがなんの心構えも準備もなく、死という扉の向こうの潜在意識の世界へと放り出されていく。かくいう私も「死後は安心」なんてとても思えないが、少なくともある程度のガイダンスを受け、長期の瞑想修行という死の予行練習をしたこともある。それでも、やっぱり途方に暮れてかなり苦戦するだろう、という確信はある。

退院してからの父は「もう、娑婆も終わりだな」「年内かもしれんぞ・・・」と言って覚悟を決めているようだ。父と話して、今後同じことがあっても救急搬送はしないことをドクターと話し合った。

それ以外、私になにができるだろうか。
私の修行経験が、わずかでも父の死の世界を照らすことを祈るばかりだ。



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