残り全部バケーション!

「実はお父さん浮気をしていました」

そんな現実だったら不謹慎だと言われるようなことをさわやかに言ってのける。最後の家族会議、秘密の暴露をしあおう。と母が言う。それで父親が言ったセリフになのだが、浮気が原因で崩壊した家族に言うセリフではない。いまさらだとやはり娘は言うのだが、それもそうだと僕も頷くしかなかった。それでも母は動じずそれはダメという、秘密でもなんでもないから、と。そこなのかと、母よ、そこなのか。そんな話聞きたくないからやめてとかじゃなく。この人も普通じゃないなと思う。

無敵かこの人はと思った。

「来た道なんて時々確認するくらいがちょうどいいですよ」

ショートメールで友達になった若い男が言ったセリフだ。縒りを戻したいといった父に対して言った。未練たらたらだという父に過去のことばかり考えない方がいいという。それでこの言葉。過去ばかり考えても意味がないからやめろ。確かにその通り懐かしむには過去は良いものだが何かをしようとして過去を考えるのはあまり得策ではないなと思った。

しかし、もう母との時間を過去と捉えることは父には難しいだろうな。

「レバーをドライブに入れておけば勝手に前に進む」

ただのオートマ車の運転の最初の行程を話しているだけだ。だが母にはそう聞こえなかった。気負わなくても勝手に前に進んでいける。気が楽になる言葉だと。
誰だ、母を無敵か、この人はと言ったのは。
しっかりと弱い、ちゃんと弱みを見せているじゃないか。ちゃんとしっかりと弱い所、柔い所がある。人間だから誰しも何かを背負って生きている。安易に判断しちゃいけない。
みんな不安でいっぱいだ。

ただ、この家族の人たちはこれからも大丈夫な気がする。
勝手に進むといってもギアをドライブに入れなきゃ走らない。でも最後にちゃんと「自分で」ドライブに入れた。だから前に進むんだ。

「残り全部バケーション」 伊坂幸太郎

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