絵描きの保護猫さまとの出逢いと別れを綴ってみた (全四回) 最終回➕保護猫プロジェクト「俳句で猫助け」のこと
プロローグ
息子が産まれた時、実家にはすでに「一歩」というやんちゃな猫さまがいた。
それまで家族の愛を一身に受け、家族円満(笑)の中心であった一歩……そこに突如現れた、何だかふわふわしてあったかくてちっちゃい物体。やけにみんな目を三日月にして、大切そうにしている物体……一歩は少し混乱していた。
救いのヒーロー再び 一歩の場合
シリーズ第1回「太一編」に登場し、川で溺れる太一を救った我が弟、再び救助に大活躍。
息子が産まれる4年程前だったろうか。
実家の傍を通る道の下は暗渠で、ある日その道の欄干からニィニィと鳴く微弱な仔猫の声に気付いた。どこから入り込んでしまったのか……
弟を叩き起こし、家の前を流れる本流の川岸から潜り込んでもらった。
暗渠は真っ暗で、懐中電灯と欄干から差し込む微量な光と微かな仔猫の声だけが頼りだった。
いつ足を滑らせるかわからないし、臭いし、猫を踏んづけたらどうしようと、弟は気が気ではなかった。曰く「二度と入りたくない」
でもその掌の中には小さな命が呼吸していた。200g……太一よりも小さかった。
こうして一歩はうちの子になった。
今思うと大変に危険な行為であったと反省はしているが後悔はしていない (危険な思いをしたのは弟だけど)。
我が家のやんちゃなお姫様
救出後、向かいのホームセンターで猫さま用ミルクと猫さま用哺乳瓶を調達。
弱り切っているかと思ったが、自分のからだより大きいかもしれない哺乳瓶を抱え一所懸命にお腹を満たしていった。
母が、一歩一歩元気に育つようにと「一歩」と名付けた。
その頃、母の病は悪化していたし、弟は大事故の末の大復活で退院し、自宅療養中であった。
だから一歩の存在はそんな家庭に光だった。そして、本当に元気いっぱいに大きくなった。
とはいえ、一歩は今までのどの猫さまよりやんちゃで気性が激しい。抱かれるのが嫌いで触るとすぐに噛み付く。家の中でも飛び回り、鉄砲玉みたいな女の子だった。そう、女の子だったのだ。
大切なもの
「なに? このいい匂い……みんなの視線があたしを通り越して、このふわふわなちっちゃなものに注がれてる。なんだか大事そうにしている。あたしも見てみたい、けどダメなのかな?」
生後2週間の息子。一歩は初めて見る赤ん坊の姿に緊張して、みんながいる間は決して息子の近くに来なかった。しかし、誰もいなくなるとそろそろとベビー籠に近付き、前足を籠の縁にかけ爪先立ちをして、その正体を覗き込む。
「あったか〜い、いい匂〜い、みんなが大事そうにしているもの、あたしが守ってあげる」
そして一歩は寄り添うように、籠の傍らにごろりと横になった。
この日から一歩は息子の一番の遊び相手のお姉ちゃんになったのだ。
息子が小学一年の時に書いた「ぼくにはいっぽというねこのおねえちゃんがいます」という書き出しの作文がある。
堪える一歩
お転婆で気性の激しい一歩。
けれどまだ歩けぬ小さな息子に、自慢の尻尾をギウギウ掴まれても、耳を引っ張られても、たとえ伸し掛かられてもじっとじっと我慢していた。その姿は涙ものだが笑ってしまう。
息子は猫さま的遊びをどんどん覚えていった。
釣竿蝶々を追いかける。懐中電灯の光を追いかける。鏡の裏に回る。洗濯籠に入り込む……などなど。
猫アレルギー
ところが息子のアレルギー体質の原因のひとつが猫アレルギーと判明。
一歩とべったりなだけに、一緒に暮らすのは危険とドクターストップがかかり、息子を保育園の乳児クラスに入れるとともに、当時アトリエとして借りていた小さな一軒家に引っ越した。
母がその年他界し、一歩は父と弟の男所帯で元気に自由気ままに過ごした。
息子は時折完全武装をして、一歩に会いに行った。
一歩の方では、どんなに息子の姿が育っても、決して噛み付かず(私たちには相変わらず噛む)、ずっと優しいお姉ちゃんだった。…‥書いてて涙が出てきちゃった……
息子が優しい子に育ったのは (かなり繊細で難しいヤツだけど)、一歩がいたことが大きいし、寂しさから救ってくれていたと思う。
エピローグ
だから、一歩、うちの子になってくれて、本当にありがとうありがとうありがとう!
16年の生涯を終えた一歩は、先輩太一と同じお寺に納骨しました。
天国でも噛み癖直ってないだろな。
私以上に無類の猫さま好きの息子くんは、大学の寮に出没する猫さまや学食裏にいる猫さまを毎日愛でつつ、時々完全武装のもと、女の子の先輩と猫カフェにお邪魔しているようです。
愛すべき猫さまたちに幸せを!
読んでくれてありがとうございます。
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