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聖夜の後の贈りもの〈小さな虹スピンオフ〉


「……仮にサンタクロースが東から西に移動するとして、地球の自転と時差から割り出すと、それは約31時間となります……」
 僕は、校内の視聴覚室のステージで、映し出されたモニターの画面を指しながら、夏休みの自由研究で入賞した研究考察内容を発表していた。定期考査も終えて、あと二十日あまりで冬休みを待っている頃であった。
 人前で話すことが苦手な僕ではあったが、この場合仕方がない。賞を戴いた責任上、覚悟を決めなければならなかったのだ。緊張で静電気が起きそうなほどピリピリしていたが、意外なことに、一度覚悟を決めてしまえばスラスラと出てくる言葉に、僕は高揚していた。
「つまり、飛行性トナカイという未確認有機生命体がいると仮定して、彼らがサンタクロースの持ち時間内にソリを引かねばならない速度は、秒速約97万4千km。音速のおよそ3千倍なのです。これに子供達の人数分のプレゼントを搭載するとなると、その重量は……」
 会場から笑い声が起きる。視聴席の生徒たちの心を掴んだか。
「この35万トンを上回る物体が、秒速97万kmを超える速度で移動した場合、そこには極めて大きな空気抵抗が生じ、超音速飛行衝撃波音(ソニックブーム)により、残念なことに、4260分の1秒で、気化……してしまうのです」
 おお、というどよめきと笑いの中で、僕はいつしか緊張を忘れ、会場を見回した。
 その中には、同級生ユウラの驚いた少し悲しそうな顔があった。それに気づきながらも、僕は続けた。
「つまり、クリスマス・イヴに世界中の子供達にプレゼントを配ろうとすると、サンタクロースは蒸発して消滅しているだろう。というのが、ぼくの考察結果、総論であります」
 教師陣をも巻き込んだ大きな笑いと拍手で、僕はいつにない満足と興奮を感じつつも、一仕事終えた気分で、人並みに疲労を装った。


「ねえ、どうしてあんなに夢のないことを研究するの?」
 放課後、音楽室でユウラが僕に問いかけた。
 ユウラは僕の同級生であり、今や親友である。断じて彼女ではない……と思う。
 中学二年への進級とともに、僕はこの中学校に転校してきたのだ。自分から声をかけることのできない人見知りの僕に、明るく声をかけてくれたのが、前の席に座っていたユウラだったのだ。
 中学の部活動としては珍しい弦楽部で、ヴァイオリンを弾いていた彼女に誘われ、僕も弦楽部に入部した。何を隠そう、僕の母はヴァイオリンを教えていたのだからして、この僕も「こぎつねこんこん」くらいは弾くことができたのだ。その母は、病のため長期入院を強いられていて、長らく会っていない。だから僕は、ついに祖父の家に住所変更をしたため、この中学に転校し、ユウラと出会ったというわけなのである。
「わたしだって子供じゃないんだから、サンタクロースが空想だということくらい知ってるよ。でも、何もあんな否定の仕方しなくたって……」
 ユウラは今にも泣き出しそうである。
「いや、あれは否定したんじゃない、物理法則に基づいて考察しただけだよ。ユウラ、聞いて。科学者は幽霊を否定していないんだよ。幽霊はいないということが証明できないからね」
「リン君は理屈っぽいわ!サンタクロースは幽霊じゃないわ!」
 ユウラの目がふやけ始めたので、僕は少しあわてた。なぜなら妙にユウラが可愛らしく見えてしまったからだ。次の言葉が出なくて、僕は音楽室のヨハン・セバスチャン・バッハの肖像画を意味もなくみつめることにした。

 二人して帰路に着く。十二月は夜が早く訪れる。
「ねえ、今夜は星が見えないね。リン君がサンタクロースを消滅させちゃったから、空が泣きそうに曇っちゃったんだよ、きっと」
「……僕は……笑うなよ、ユウラ。僕は昔サンタクロースを信じていたんだ。毎年、クリスマス・イヴには、枕の下にサンタクロースへの手紙をしのばせておいた。クリスマスの朝がやってくると、枕元に読みたかった本が置いてあるんだ。手紙は消えていた」
 僕は星のない空を見上げた。
「ユウラには前に話したと思うけれど、僕の母さんは、僕が小学校三年生の時に入院してしまったんだ。それからじいちゃんとの二人暮らしが始まった。優しいじいちゃんだ。何でも教えてくれる」
「知ってる。将棋とかお習字とか教えてくれるんでしょ。わたしも教わりたいな」
「そう、優しいんだ。だからわかった。母さんが入院した年のクリスマスに枕元に包み紙があった。サンタよりってメモが貼ってある。じいちゃんの字だった。包み紙もじいちゃんと買い物に行くデパートの包装紙だった。そして枕の下の手紙は残っていた……」
「ふーん。サンタクロースの正体が即バレてショックを受けたのね、小学生のリン君は。だから何が何でもサンタクロースを否定する研究を今になって……かわいいー」
「だから、笑うなって言ったじゃないか」
 多分僕は、赤面していたと思う。星が出ていなくてよかった。


 明日から中学は冬休みに入る。そして今夜はクリスマス・イヴだ。
 ユウラの両親は、明日のクリスマスに帰国するという。一年前に、父親の海外出張で母親もついて行ったのだという。ユウラは日本に残りたかったから、祖母と二人暮らし。事情は違うが、少し似ている。
 そんな僕たちは、お互いのじいちゃんとばあちゃんを心配させないように、今夜七時までの帰宅時間を厳守することにして、お互いヴァイオリンを持ち寄りながら、夕方待ち合わせた。
 街は賑わっていたが、クリスマス・イヴを迎える河川敷は静かである。
 僕たちは30cmほど離れてベンチに腰掛け、白い息を吐く。僕はコンビニで買ってきたホクホクの肉まんを半分に割って、ユウラに渡した。
「イヴに肉まん。せめてロールケーキとか思いつかなかったの?」
 湯気の向こうにケラケラ笑う、ユウラの女の子らしい顔。ヤバいな。
 彼女の持参した熱い紅茶と半分この肉まんで、身体と指先が温まる。そして僕たちは立ち上がると目で合図を送り、G線上のアリアの演奏を始めた。
 ユウラがG線上の主旋律、僕がピアノパートをヴァイオリンで重ねていく。
 聖なる夜の河川敷で、誰に憚ることなくヴァイオリンの二重奏が響き渡るのだ。今夜は空も澄んで星がよく見える。これならサンタクロースも迷子になるまい。サンタ消滅説を唱えた僕が言うことではないが。
 と、その時、ヴワァン! という音とともに、ユウラのG線が切れた。
「あっ! まただ。せっかく気持ちよく弾いていたのに……これで今夜はもう弾けなくなっちゃったよ……」
 俯いたユウラの目が、またふやけ始めた。僕は、ダッフルコートの左ポケットから取り出したものを、彼女に渡した。
「これ、今夜限定のプレゼントかもしれないな、はい」
「あ、G線……どうして?」
「だってユウラは、G線切るの得意だろ。だからユウラが困らないようにと思ってだよ」
 ユウラの涙を止めるつもりが、僕は不覚にもユウラを泣かせてしまった。
「リン君は、わたしのサンタクロースだね。ねえ、知ってる? サンタクロースって実在したんだよ。聖ニコラウスという聖人。だから、聖ニコラウス様は今も光になって、神を信じる子供たちに贈り物を届けている気がするの。信じる限りね」
 あれ? 昔聞いたことがある。誰に? 母にだ。子供の頃日曜学校に通っていたという母から、遠い昔聞かされたことを思い出した。
「ありがとう!」
 僕は思わずユウラの冷たい手を握ってしまった。あとに引けなくなった僕は、そのままユウラの手が温かくなるまで、握り続けた。今夜は星が出ていて、赤面を隠せない。
 ユウラのヴァイオリンのG線を張り替えて、僕たちは約束の夜七時まで、何度もG線上のアリアを弾き続けた。この音色が宇宙に交われと、ピタゴラスに思いを馳せながら。

 僕は今夜、はっきり気づいた。サンタクロースが消滅しようと、バッハが音階を外そうと、ピタゴラスが調和を歪めようと、僕はユウラが好きなんだってことに。友達として以上にだ。そしてもうひとつ。
 枕の下に手紙を入れた。心を込めた願いを。……僕は物理好きの十四歳だ。でも、そんなこと関係ない。信じるのは自由だ。


 翌日、つまりクリスマス当日、冬休みに入った僕は、昼近くまで眠っていた。じいちゃんが起こしに来るまで夢をみていた。僕のヴァイオリンに光がとまった夢。
 ハッと気づく。枕を勢いよく持ち上げる。手紙が消えている!
 じいちゃんは笑顔で僕に伝える。
「お母さんの正式な退院が決まったぞ」



Fine




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