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Well Jiing !! 第4章、お葬式のニーズ(2)

前章に続き、寺がお葬式で与えられることを考察していきたいと思います。
お葬式ニーズで遺族がワカラナイ不安を大きく4つに分けています。
(1)今、何をしておけばよいのか
(2)いざというとき、どうしたらよいのか←今回の考察
(3)結局、何をどう考えればよいのか
(4)そして、いくら用意すればよいのか
 
第4章、お葬式のニーズ(2)
~いざというとき、どうしたらよいのか~

◎「葬儀社はお決まりですか?」の真意

どなたかに死が訪れる時、その場所は、病院が7割超、自宅や施設が2割超といわれます。

病院で亡くなることが多い理由は、緊急搬送先が病院であることが多いという要因が挙げられますが、多くの死因に「疾病」も関わります。日本人の死因は、1位が悪性新生物(ガン)、2位が心疾患(心不全、心筋梗塞等)、ひとつ飛ばして、4位が神経系疾患(パーキンソン病、アルツハイマー病等)と続きます。

ひとつ飛ばした死因の3位は、老衰です。日本を支えてこられた方々の大往生。今後は、延命治療を選択せず、自宅や施設で臨終を迎えるまで過ごす方は増えていくといわれています。近年では、特別養護老人ホームなどの施設での「看取り」対応に関して、加算を付すよう介護報酬の改定もなされています。

現状では多数派といえる病院で亡くなった時、一般的にどのような流れになるか、イメージしてみましょう。

まず、医師による死亡の事実の診断を受け、看護師等によるエンゼルケア(清拭等)を受けます。医師が死亡診断書を用意されている頃、病院から「葬儀社はお決まりですか?」と質問をされます。

その真意は、病院からの搬送のお願いといえます。ご遺体は、そのままの状態では、いたんでしまいます。あまり長い時間は病院にという訳にもいかず、ご遺体の搬送の手配をする必要があります。

自宅に戻れる方は自宅が何より。自宅に戻れる場合は、自宅までの搬送と安置をお願いすることになります。その依頼先は、現実的には葬儀社であることが多いと思います。理論上、葬儀のことと搬送を別で考え、まず搬送と自宅安置を寝台車会社に依頼することは可能です。

しかし急な話だった場合、なかなかそこに思い至らない方が多いと思います。知っている葬儀社に電話したり、霊安室で「◯◯市 葬儀社」を検索したりして搬送と安置、そしてその流れで葬儀までを同じ葬儀社に依頼することになる方が多いと思います。

では、自宅でご安置できない状況の場合どうするか。葬儀社の施設などで安置していただくことになると思います。あるいは、最初から火葬を主とした火葬式を考えていらっしゃるご遺族は、火葬場の霊安室でのご安置を希望されるかもしれません。

◎ご安置させてもらえるお寺の価値

都市部でも地方でも、安置の場所には大きなニーズがあります。

なぜなら、生活スタイルの多様化もあり、子供が遠方に住む場合や、誰とも同居していない場合、施設入所だった場合など、自宅でのご安置の対応が難しくなりえるからです。心の中では自宅に帰してあげたいけれど、現実的に難しい。

そのような世情の中、ご安置先としてお寺は有力な候補にならないでしょうか?

お寺はコンビニエンスストアより多く、全国各地に存在します。仮にどのお寺でもご安置できるのであれば、安置難民の問題はほぼ解消できるのではないか?と楽観的には考えるところです。

 新たにご安置施設を建設する必要がない。自宅ではないけれども、慣れ親しんだ地域でご安置できる。その場所としてのお寺。

この考えを妨げるブレーキは何でしょうか?
①お寺側のブレーキとして、これまでのお寺との関係(檀家ですか?)、宗旨宗派(何宗ですか?)、対応力、などが考えられます。
②市民側のブレーキとして、これまでのお寺との関係(付き合いがない)、情報の非対称性(知らないから安置先の候補にならない)などが考えられます。

①に関しては、お寺が過去に執着せず、シンプルにご安置ニーズに対して役に立つ(与える)視点でいて頂きたいという思いです。「どうぞ空き部屋を使ってください」という姿勢は、広く市民の役に立つお寺としてできることなのではないか、と思うところです。「寺は(これまで付き合いのある)檀信徒のモノである」という考えからは難しいことなのかもしれませんが。

また、故人様が信仰していた宗派とお寺の宗派が違うかもしれない、あるいは故人様は無宗教かもしれない、という点について。これも、過去が違っても、ご家族含め未来の檀信徒になる布教対象かもしれません。ここで改めて、「宗祖ならどうするか?」という視点を持ってご住職にご意見を頂きたいところです。

これまでの関係で分け隔てるのではなく、人が困った状況に対して場を提供することは利他の精神に基づく素晴らしき寺からの行為なのではないかとやはり思うのです。結果として未来の檀信徒を増やすのは、何を大切に判断するか、その判断と対応の連続なのではないでしょうか。

なお、ご安置の対応力に関しては、地元の葬儀社や寝台車会社との連携や、お寺施設でのご安置のルール作りをしておく、準備の役割が大きいと思います。

お寺は部屋や空間を準備し、車やドライアイアイスは寝台車会社や葬儀社、地域の氷屋さんに用意して頂ければ済むことです。葬儀社のように「安置室完備」と頻繁に折込チラシを入れることは難しくとも、病院への周知、自治体への周知などできることはたくさんあります。

そのとき、葬儀社と利益相反する点に対して懸念されるかもしれませんが、人口減少社会にあって、協業、共助、ないし社会資源のシェアという発想からも、地域の和をもって、進めることはとても現代的なことだと思います。

何も24時間365日、住職だけで対応する仕組みを作る必要もなく、法務等での外出も日々考えられます。外出する時に電話を協力者に転送したり、安置に使うお部屋の鍵を協力者に預けておいたり、お寺の事情に応じて、必要な協力体制を整えておく発想です。

協力いただける葬儀社と地域住民を対象にした内容を共に作るなどの取り組みがあれば、結果として火葬式の割合低下や、何より葬送の価値の向上を担える。それは同時に葬儀社の価値や存在意義を高めることにもつながるのではないでしょうか?

寺で安置できる体制を整え、寺でご安置できることを各所に伝えることは、とても意義のあることだと思います。市民のためにも、お寺の布教の契機にも、取り組むお寺が増えることを心より願います。

◎ご安置から、葬送の価値は高まる

ご安置の体制を整えるお寺は「死から間もない時間で、葬儀までをお願いする会社や日程をすぐに決めるのではなく、まずは寺にご安置をなさり、故人様と対話しながら葬送の内容をお考えしませんか?」という提案をできることになります。

式をお寺でして頂くことも、結果として葬祭ホールでされるという方法も、一日二日を経て決められてもいいと思うのです。菩提寺やご家族が遠方にある場合もあるでしょうし、ご安置できるお寺は多くの関係者にとってありがたい存在です。

「最後まで頑張ったね」「やり残したことはなかった?」という故人様との対話は唯一無二の時間です。ご遺体があるうちにできる対話と、ご遺骨になられてからの対話はその内容に若干の違いが生じると考えています。ご遺体を前にしている間は、双方向の生きた対話を行いやすい。と個人的には感じているからです。

また、まだ小さな孫世代などにとって、ご遺体との対話の機会を持っていただければと願うところです。

弔問客の応対など、お寺の応対も必要になりますが、ご親戚や友人、ご近所の方々などの弔問をお受けすることもご安置の重要な役割です。死を受け止めることや対話は、ご遺族だけのことではありません。弔問から葬儀までの時間も、葬送のとても大切な内容といえます。

できれば、ゆっくりご安置を。それには自宅が最適ですが、難しい場合、ゆっくりいつでも対面できるところであれば対話はしやすい。そういった葬送の一翼という意味でも、ご安置をできる仕組みをお寺がもたらすことは市民へのとても有益なサポートだと思います。
 
先に②市民側のブレーキとして挙げた、これまでのお寺との関係(付き合いがない)、情報の非対称性(知らないから安置先の候補にならない)は、お寺の行動により、解消することができると信じています。
 
「いざというときは、寺に相談するんだよ。」
そのような第一窓口化に期待します。

長文お読みいただき、ありがとうございました。
次項では、「結局、何をどう考えればよいのか(内容の不安に対して)」を考察していきたいと思います。

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