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ルポルタージュ イスラムに生まれて:知られざる女性たちの私生活

イスラムの女性は"一人の人間"として生きてゆくことを望むが、それを阻む現実がある

前提:

イスラム教には男女平等を原則としつつ、男性は女性を守るという思想であり、性を巡る倫理の根幹がある

(あとがきから)

イスラム教はよく「性弱説」を前提とした宗教だと言われ、「人間は欲求に勝てない」という弱さを認めるからこそ、男女の空間を分けたり、女性の服装を規定したりする。

*一人と言う部分は、対等であるとか平等などを指す意味として使っています。

まず第一に思ったことは、前提にあるように男女平等を原則としているのに、皺寄せを女性側に負担させているのではないか、ということだった。

例えば人間は欲求に勝てないので、女性が男性を誘惑させるものとして髪、体のシルエットがでない衣装を着させたり、女性の方が男性より性欲が強いからと女性器が性欲を司っていると考え割礼を行う、ということがある。

日本で仏教の教えが身近にあった私からすれば、片側に負担を強いるのではなく、まず弱い意識を改善させ、男性(女性も)の性欲を律することを優先させるべきなのではないかと思う。

この本を読んでも、読む前から思っていた中東の男性の男性の、自分の性についての考えが甘いのでは?との考えは変わらなかった。

本には、女性は処女であることが求められ、初めての経験で出血しなかったことが原因で社会から切り捨てられることもある。とあるが、それでは、初めてでも出血しなかったらその人が人間としてちゃんとした存在ではないと言っているものではないか?本にも出血することは少なく、今は出血しない女性も多いとある。無知による皺寄せは女性が負ってしまうのである。

また、勝手に解釈することもあるようで、イスラム教は婚外交渉を認めていないが、それならば結婚したい相手に対して性的暴行をしてしまえば、女性は自分と結婚するしかなくなる、と言うような考えは同じ男性としてはとても信じられなかったし、認めたくなかった。それでも、このような事例であっても女性側が男性側を誘惑したとして、男性側の罪は軽く、女性側の罪は重く最悪死罪になるということが多いというので絶句した。

最近では、MeToo運動や、ポリコレ関連の話題が多くなっているが、

私がこのような運動で懸念していることは、その主張について正しく冷静に判断できているのか、嘘が入って偏見が混じっていないかということである。

例えば、他者を貶めるために嘘を言うことを言語道断であるし、ポリコレについては、例えば最近では配慮しすぎてジャンヌダルクが肌の色が濃い人が演じたり、マーベルの新作がユニセックスなデザインを意識しすぎてヒーローがマーベルらしさがなくなったことなどがある。

また、アカデミー賞の俳優部門に有色人種が一人もノミネートされなかったためボイコットが起きたことなど、そこに差別が全くなかったとは言い切れないが、それは演技の質で決められるべきであって決して人種の割合で決められるべきではない。

このような運動が、正しい方向で成功していくを祈るばかりである。



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