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プロミュージシャンはコロナ禍で何をしていたのか?【プロベーシストの軌跡④】
こんにちは。
北川アツトです。
前回の更新からだいぶ時間経っちゃいましたが、
①プロミュージシャンの幼少期のお話
②プロミュージシャンになるまでのお話
③プロミュージシャンになってからの生活のお話
と3回に渡ってお話してきました。
今回でこのシリーズは最終回。プロミュージシャンがコロナ禍で何をしていたかとか、そのとき感じたこと、そして現在にいたるお話をします。
過去の投稿は下記からご覧いただけます。
ちなみにぼくを知らない人のために書いておくと、ぼくはアーティストのライブのサポートやレコーディングでベースを弾いてお金をいただいて生活しているプロミュージシャンです。プロフィールはこちら。
▼ミュージシャンはコロナ禍で何をしていたのか
ぼくのように主にアーティストのライブサポートをしながら生活しているミュージシャンにとって新型コロナウィルスの流行は本当に大打撃でした。
当時は始まっていたツアーが途中で中止になったり、決まっていたもろもろのライブも次々にバラし(中止)になったりしました。
自粛期間なんかはほぼ収入ゼロ。ほぼっていうか完全にゼロだったときもあったかもしれません。
で今回、プロミュージシャンはコロナ禍で何をしていたか、っていうタイトルなんですが結論から言うと、コロナ禍はプロミュージシャンはプロミュージシャンじゃなかったです。
だってライブないんだもん。
もちろん、プロのミュージシャンみんながみんなそうだったわけではなく、あくまでぼくの場合はですけどね。
ただライブで演奏することが主だったミュージシャンはみんなきつかったと思います。
とはいえ何もしないと生きていけないので、ぼくは妻が法人をちょうど立ち上げた時期だったので妻の事業を手伝ってました。オンラインでやるビジネスだったのでコロナ禍というのが逆に追い風になっていたような気がします。
そして申請できる補助金はかたっぱしから申請してました。本当ありがたかったです。
レコーディングやテレビ収録はしばらくすると戻ってきたような印象がありますが、ライブがコロナ禍前と同じようにできるようになったのは去年くらいなんじゃないかな。
そんなわけで2020年〜2022年の間は2足の草鞋で、音楽の仕事もしつつ妻の仕事も手伝ってって感じでした。セミプロミュージシャン。
逆に、作編曲などもやるミュージシャン、レコーディング(自宅録音も含む)が主なミュージシャン、アーティスト活動をしていて印税やサブスクからの収入があるミュージシャン、YouTubeなど自分のコンテンツがあるミュージシャン、オンラインレッスンをしているミュージシャン、などはコロナ禍もミュージシャンとして乗り越えたのではないかなと。
まあ、ぼくはそうじゃなかったのであくまで予想ですが。
▼ミュージシャンがコロナ禍で考えていたこと
・ミュージシャンをやめる
コロナ禍が終わってもミュージシャンとしての生活をやめるという道もあるのかなと考えることはありました。
さきほども書きましたが、ぼくの場合、妻の事業を手伝うことをしていて、妻とあーだこーだ言いながら一緒に仕事をするのは、大変なこともありましたが、わりと楽しかったです。
そして、音楽ができなくてもかわいい自分の子どもと過ごす時間はとても幸せだったし、こういう人生も悪くないんじゃない?と思うこともありました。
そんな感じで2020年、21年、22年と時間が経つにつれてちょっとずつ音楽の仕事が戻ってきてましたが、心が音楽と離れた時期を過ごしていました。
正直に告白すれば、この時期は仕事以外では楽器に触ることはなかったです。仕事も減っていたので1ヶ月くらいベース触ってない時期もあったんじゃないかな。
・でもやっぱり音楽をやりたい
ただ、2、3年も妻の事業を手伝ってたら、特にきっかけがあったわけじゃないですが、「これをこの先何年もずっとやるのきついな」ってふと思ったんです。
前々回の投稿で、自分がプロミュージシャンになった経緯みたいなのを書きましたが、就職活動が嫌でそのとき一番頑張ってやってたのがベースだったからプロになろうって思ってプロになったのがぼくです。
だから、そんなに前向きな理由でプロになったわけじゃないというか、たまたま頑張ってやってたのがベースだったからベーシストになったのであって、そのとき頑張っていたことが違うことだったら、ベーシストじゃないなにか違うプロになっていたんじゃないかと思うこともありました。
もっと言えば、自分は何にでも楽しさを見いだせるし、何にでもなれるタイプの人間だと思っていたんです。
でもそうじゃなかった。
妻の事業をずっとやり続けるのはちょっと無理だった。
そのとき、「あー、自分にとって音楽は天職だったんだ」って初めて思ったんです。プロとしての生活するようになってから、そんなこと思ったことなかったのに。
勘違いしてほしくないのは、自分には音楽に才能があるということではなくて、「音楽好きだな」、「音楽は一生できるな」って思えるっていうことです。
それで2023年になってから、タイミング的にも仕事がかなり戻ってきている時期だったのもあり、妻の事業の手伝いはやめて純粋なプロミュージシャンに戻りました。
▼コロナ禍を振り返ると
改めて、「音楽好きだな」、「ベース弾きたい」、と思えたのは自分にとっては大きな収穫でした。
正直、コロナ禍の前あたりは、仕事だから弾く、家族と生活するために弾く、という感じになってしまっていて、自分の「好き」とか「やりたい」はどっか行ってたなと。
それがコロナ禍を経て「好き」とか「やりたい」という気持ちを持ってミュージシャンにカムバックできました。
コロナ禍がなかったら、仕事は続いていただろうけど、「好き」とか「やりたい」はもっとどっかに行っちゃってたのかもしれない。と思うと、コロナにも感謝できるというものです。
そして、コロナ禍になってからも、変わらず仕事をぼくに振っていただいてるみなさんには本当に感謝しかないです。
仕事なかったらミュージシャンに戻ってこれなかったです。
ありがとうございます。
▼今、考えていること
とはいえ、ミュージシャンとしての自分にとってコロナ禍は空白のような期間で、練習も全然していなかったし新しいことを始めることもしなかったので、ミュージシャンとしてはだいぶ遅れを取ってしまったなという感じがしています。
あくまで主観なのですが、コロナ禍でもしっかり練習を続けていたり、自分の発信をし始めたり、新しい技能を身に着けるために努力したりしたミュージシャンはやっぱりコロナ禍の前よりちゃんと大きくなっているような印象があります。
で、ぼくはというと、去年、2023年からその遅れを取り戻すべく頑張っているわけです。
・自分を発信する
下記の記事でも書きましたが、自分の発信をする。自分を知ってもらうということ。
最近では自分のオリジナル曲を書いて自分のライブをやってそれをYouTubeで発信することを始めました。
これからも続けていきます。
このnoteも自分を発信する一貫だし、SNSの運用もコツコツやっています。
・自分の「好き」を追求する
あとはもっと自分の「好き」を尖らせていくということ。
サポートミュージシャンとして、どんなジャンルでも何でもできるということを大事にしてきたために、あんまり個性のあるタイプのベーシストとしては認識されていないと思うし、自分自身何が自分の個性なのかよくわかっていなかったという部分があります。
自分を発信して、自分を知ってもらっても、無個性なベーシストじゃ意味がないわけです。
自分と向き合って、自分自身のプレイを追求していきたいし、自分らしくある。
それがコロナ前にあまりできていなかった楽しくベースを弾き続けるポイントなのかなと思っています。
そしてそれが仕事にもつながっていくと思っています。
・ファーストコールになる
コロナ禍から早く仕事に復帰できたミュージシャンはファーストコールのミュージシャンです。(多分。)
コロナ禍になって改めて自覚しましたが、ぼくはセカンドコール以下の仕事が圧倒的に多い。そんなわけでコロナ禍で、ファーストコールのミュージシャンの手が空いたため、ぼくに降りてくる仕事はなくなったし、仕事が戻ってくるのも結構時間がかかったわけです。
じゃあ、ファーストコールになろうぜ。って話です。
ファーストコールになるためには、「あなたじゃないとだめなんです」っていう強みがないといけない。
大事なのは幅広く何でもできることじゃない。(なんでもできることが強みになるような現場なら別だけど)
で、結局、自分の好きを追求して自分らしくあることが、「あなたじゃないとだめなんです」っていうファーストコールミュージシャンへの道。
というわけで、自分を信じて自分をもっと深めている最中です。
・自分でお金を稼ぐ
コロナ禍になって思ったのは、サポートミュージシャンというのはつくづくアーティストに負んぶに抱っこの職業だなということ。
サポートするアーティストのライブが中止になれば、仕事は有無を言わさずなくなるし、人任せなもろい職業だと痛感しました。
自分の演奏の腕だけで食ってますみたいな顔してるけど全然そんなことない。
サポートミュージシャンで大きい会場とかで演奏してたらすごそうだけど、うちの近所でピアノ教室やってるピアノの先生のほうがよっぽど自分の腕だけで食ってる。
だからサポートミュージシャンやめてレッスンプロになりますってことではないんですけど、自分ひとりでお金を生み出す仕組みは絶対に必要だなと感じています。
自分が主導権を持てるビジネス。やります。
▼まとめ
はい、というわけで、プロミュージシャンのコロナ禍〜現在にいたるまでのお話でした。
コロナ禍を経て、改めてミュージシャンとして再スタートしたという感じがしています。
サポートの仕事でベースを弾くだけじゃなくて、自分のやりたいことに時間を割くこともしていて、自分ごとだけど自分のこれからが楽しみです。
非凡とは平凡の積み重ねである。
とりあえず10年計画くらいでベースマガジンの表紙飾るわ。
そしたら、第5弾ということでこの続きを書きます。
ではまた。
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