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宿題を真剣に考える
宿題。
おそらく全ての大人が経験しているでしょう。宿題を1回もやっていないという人は、かなり少ないでしょう。いや、いないのではないでしょうか。
ここ数年、この宿題について真剣に考えています。そして変えようとしています。この宿題こそが子供の自主性を奪っているものだと思っています。
そもそも宿題というものは、なぜ存在しているのでしょうか?遡ると、その歴史は明治時代に行き着くらしい。
我が子が小学校に入学し、学童に通わせるようになってから、本格的に疑問を感じるようになった。
17時に帰って、宿題して、夜ご飯を食べて、風呂に入ると何だかんだで、21時ぐらいになってしまう。そして、宿題をする様子は、もう絵に描いたような嫌々な感じ。
これって、どれだけの効果があるのか。何の意味があるのか。疑問を感じざるをえなかった。
完全にやらされているもの。嫌だけどやらないと怒られるもの。少なくても我が子はそう思って、宿題に取り組んでいる。作業であって、学習ではない。
6年担任で、卒業させた子が口々に「中学校の試験勉強をどうやっていいのか分からない」と言っていた。そういう訓練をしてきていなかったので、当然である。
ここ数年は、子供たちに自主学習の行い方を指導している。
参考にしているのは、「けテぶれ学習法」。最初の指導は少し大変だけど、波に乗れば、楽になる。1年経てば、子供や保護者から感謝の声も出てくる。
別に従来の漢字ドリルや計算ドリル、音読をやらせる宿題を100%否定はしない。でも、検討する必要はある。「なぜ宿題を出すのか」「宿題をすることで、どのような効果を期待しているのか」。出す側である教師が、ちゃんと説明できて、思いがあるのであれば、それはそれでいいと思います。問題なのは、惰性で続けていることなのです。
家庭も、宿題に依存していたと思います。「先生、もっと宿題出してください!」とクレームに近いことを言われたこともあります。いやいや、よく考えてください。進研ゼミだって月謝は取るし、塾だってお金を取ります。宿題は、あくまで家庭学習なんですよー!と声を大にして言いたいです。何でもかんでも、学校に求めないで、自分で考えることが大切です。
いろいろ考えて、変えてきました。でも、それは戦いの歴史でもあります。保護者からの「宿題出せ!」、隣のクラスの教員からの「従来の宿題出せ!みんなに合わせろ!」・・・。途中、「もう勝手にしろー!!」と投げ出しそうになったけど、何とか頑張れています。
当たり前を疑い、何が良いのかを考える。子供と一緒で、教員も考えることが大切です。よく考え、勉強して、準備して、やり通す。気持ちの強さも必要ですね。もしダメなら少しずつ変えていき、より良いものにしていけばいいのです。
最近思うのは、毎日刺激的な現場で、自分の考えを少しずつ試していける、というのが教師の仕事の面白さの一つなのかもしれないですね。