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雑だけど丁寧に

私はガサツでおおざっぱ。

ものを置く時はドンッと雑に音を立てて置いてしまうし、食事もガツガツと早く食べてしまうし、車の運転も1人の時はかなり荒かったりする。それに、針に糸を通すのも10分はかかるし、料理の盛り付けも下手くそで、自他共に認める不器用でもある。

だけど、丁寧な暮らしがしたいし、自分の感性を大事にした日々を送りたい。

丁寧な暮らしに憧れる身とっては、ガサツでおおざっぱなことはかなりコンプレックスである。

(直せばいいじゃないかと言いたくなるかもしれないが、不問としてほしい。長年染み付いた癖はなかなか戻らないし、ガサツでおおざっぱなおかげで、これまでの人生、沢山のことを乗り越えられてきた部分もあるから今の性格を大事にしたいのだ)

そんな私は最近、友人の紹介で憧れの喫茶店で働きはじめた。

将来、自分の好きを集めた空間で誰かをもてなしたい夢がある私にとって、喫茶店で働くことはかねてからの夢であった。

だがしかし、入って2ヶ月が経った今もなかなか私の身体と感覚がお店に馴染んでくれない。
学生時代、アルバイトを転々としてきたおかげで、新しい環境にすぐ馴染むことが得意なのだが、なぜか喫茶店にはなかなか馴染めないのだ。

なぜ馴染めないのか考えたところ、喫茶店はあまりに繊細でさらにスピードも求められる空間だからなのではないかという結論に至った。

マスターがこだわってセレクトした陶芸作家さんの食器を割らないようにそーっと洗い場に戻す

洗う時、水切り台に置く時もゆっくり丁寧に、お皿が欠けないように戻す

お客さんの元にコップなみなみのコーヒーを運ぶ

テーブルを拭く時、お店を回る時、できるだけ音を立ててはいけない

とにかく繊細で丁寧。効率も求められる。
どれだけ気をつけていても、テーブルからお皿を下げる時音が鳴ってしまうし、お皿も丁寧に水切りに空いてるつもりがまだ力が強いとマスターに言われてしまうし、
全部苦手だ。泣きたい。

それに、生まれてはじめてキッチン業務をやったのだが、綺麗に盛り付けるのも一苦労で、素早く調理なんてできないし、素早くやろうとしたらナポリタンのケチャップが顔面に飛んでくるし、本当に難しすぎる。なんなんだ。

接客業はめちゃくちゃに得意だから大丈夫!と自信満々に働きはじめたが、あまりに自分が仕事に馴染めないことで自信をあまり持てず、接客中噛んだり、吃ってしまうこともある。どれだけ自分がガサツだったのか、繊細で綺麗な世界に飛び込んで痛いほど知ることができた。もー自分がこんなにも、馴染めない環境で強く生きることができない弱い生き物だったのかと、ひしひし思い知っている。

喫茶店に勤めてみて、ガサツでおおざっぱな私が、繊細で丁寧な場所に属しているのは、正直言ってきついことがわかった。元気ハツラツ、超笑顔、フレンドリーが取り柄の私の強みを活かしきれていない。(もちろん、これから慣れてバリバリに、私なりに働きたいと思っているし、丁寧に効率よく素早くもなりたい)

やはりガサツでおおざっぱな私でいることが、生きていく上で楽で、自然体なのだ。

だけど、冒頭で話したように丁寧な暮らしもしたい。

それだったら、私なりの雑だけど丁寧な暮らしをすればいいじゃないか!と気づいた。

別に全てが丁寧じゃなくていい。テキトーに過ごせるところはテキトーに過ごして、自分の気持ちを朝の時間にゆっくり書き出す時間を作ったり、本を読んでいて思いついたアイデアを実際に形にしたり、お散歩して拾ってきたものをコレクトして編集したり、好きに生きればいい。

将来、自分の好きを詰め込んだ空間で誰かをもてなすことが夢だったけど、同時に、雑だけど丁寧な暮らし方を提供することももう一つの夢になった。

丁寧に生きたいけど、丁寧な生き方がわからない人、自分なんかがそんな暮らしするのは恥ずかしいと思ってしまってできない人が、この世の中にはいっぱいいるんじゃないかなと思う。

そんな人たちにトキメキと毎日を楽しむ勇気と知恵を与えられるような人になりたい。

そのためには、自分の感性、瞬間瞬間をときめくことができる力を磨いて、アウトプットする力も磨きたい。拙い文章力も磨かないと。

雑だけど丁寧に。これが今の人生のスローガンだ。

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