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帝国主義は未だに生きている 映画『トリとロキタ』感想

ダルデンヌ兄弟は、ずっと社会の残酷さや厳しさを描き、そして不寛容さを映画というシャベルで掘り起こした作家だと思うのけれども、それでも一握りの優しさをもった作家だったと思っていた。それがよかったし、基本的に作家の評価として間違ってはいないはずだ(多分)。ところがどっこい。しかし、ちょうど『ザ・ホエール』を見た後に『トリとロキタ』を見たのだが、驚くべきことにそういう優しさがすっかりなくなってしまったのである。何があったのかは本人たちに聞かないとわからない。しかし少なくとも、、ダルデンヌ兄弟は、何かにものすごく怒っている。それだけははっきりとしている。

その結果とんでもないホラー映画が爆誕してしまった。下手なスプラッタや、スリラーを越える映画となっており、色んな意味で見ごたえのある映画に仕上がっている。

鑑賞後の劇場は、信じられないほどに空気が冷え切っており、ただならぬムードが横溢していた。社会派の映画を作り続けた作家の鑑賞後のそれではなく、なんかこう、そそくさと席を立つ人が目立った気がする。かくいう私もその一人で、正直言って、映画の中盤辺りから、さっさとこの場から離れたい、という気落ちでいっぱいだったのだ。前作『その手に触れるまで』も劇場で鑑賞したが、とかそういうことはなかった記憶がある。

で、見せられているのは、比喩もへちまもない文字通りの地獄。しかもそれは作り物などではなくて、われわれが生きている現実なのだ。舞台は監督の出身地であるベルギーかと思われるが、それは当該国だけの問題ではない。日本も決して他人事ではないどころか、牛久の悪名高い入管施設での虐待の実態や、海外から俗にいう外国人労働者問題など、私たちはまごうことなき当事者なのだ。

そして、我が国の諸問題にしても、映画で描かれるアンダーグラウンドな世界で行われる非道な行いにしても、根底にあるのはいまだに帝国主義的な価値をふりかざし、差別される人間を恣意的に奴隷のように扱いをする人間がいるということだ。あげく、その人権は軽んじられ踏みにじまれ、宗主国民きどりの者の都合で、あっけなく命すら奪われるのだから。

私はどうして映画館から逃げ出したくなったのか。いつの時代だろうとも、こういう価値は消え去らない。まるでそれが人間の本質なのだと、ダルデンヌ兄弟からドストレートに宣告されたような気がしたからなのである。

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