映画『Chime』感想 世界は元々発狂しているし、そもそもなんか無茶苦茶やかましい

黒沢清のChimeを見てきた。

私は黒沢映画で一番好きなのは、『回路』というホラーで、その次が『CURE』という萩原 聖人が変な催眠術を使って人を殺しまくる映画だ。最近の映画も別に嫌いではないのだが、両者に共通する「平成」的な空気感が好きだ。今よりも日本が元気だった時代、当時のファッションなど、ちょっとした小道具を目にすると何故か愛おしく感じてしまう。

特に回路は、ネットの普及が始まったばかりの時代なのだが、サイバースペースから、文字通りあの世への回路が生じてしまう、というのが今見ても面白いアイディアで、ワクワクする映画だ。何より相当怖い。というより薄気味悪い。

黒沢映画に一貫しているのは、「世の中というのは、まともそうに見えて実は相当狂っている」という姿勢だ。まともな面で生きている人々は、実のところ狂気と紙一重のところでなんとか正気を保っているだけで、そいつらをえいっと狂った世界に転ばせるのが、先に書いたあの世との通路だったり、萩原の催眠術だったりするわけだ。

Chimeも然りで、ある日を境に、というかそもそも世の中というのはまともそうに見えて、相当おかしいのだ、ということを描いた映画だ。一見すると冒頭、吉岡睦雄演ずる主人公が務める料理教室で起きる、ハネケの隠された記憶ばりにショッキングな自殺シーンから、映画は均衡を欠きはじめるように見える。だが、その後何事も無かったかのように主人公が自宅に戻ってからのシーンが問題だ。家族との会話、その後の妻の行動を、黒澤はこれでもかとばかりに異様に撮っている。息子は何の脈絡もなく笑いだし、妻は大量の空き缶(多分アルコール飲料のものだろう)を処理?しはじめる。少し考えると、件の自殺が起きる前からこの家庭に不和が生じていることが分かる。

この主人公もどこか異常で、転職活動における言動も自信過剰が過ぎる。終盤になって彼を諫める人物が出てくるものの、にしたってその言動も遠まわしだがやけに攻撃的で、聞いているこちらの神経を逆なでさせる。その直後にまた変な事件が起きたりして、兎に角45分の映画はやけに忙しい。油断していると何かが起こる。

この吉岡演ずる料理学校の講師は、どことなく時の人となってしまったひろゆきに似ている。ルックスもそうなのだが、特に似ているなぁと思ったのが、表情の変わらなさである。ひろゆきは、なんでこの人論破しようがされようが同じ顔だなぁと思っていた。就活に失敗しようが、周囲で異常なことが立て続けに起きようが、刑事に追求されようが、常に同じ表情で、言葉で取り繕っている。劇中、唯一感情を乱すときですら、顔を手で覆って隠してしまう。感情を表に出すことは負け、みたいな価値観はいつから私達の生活に浸食しているのだろう。人間、図星をつかれたり恥をかいたときほど、そういうリアクションを取る生き物かもしれないが、それにしたって一貫して無表情でやり切ろうとする人を見ると、ちょっとした怖さを覚える。

世界は元々狂っている。その説を強固にするかのように鳴り響く本作のサウンドは、私達の生活にありふれた音で構成されているものの、それが普通じゃあり得ないタイミングとか大きさで鳴り響いたりするのがまた奇妙だ。空缶を処理する時のガラガラした音から、登場人物達が飲み物を啜る音まで。極端な大きさでなく、現実世界でよく耳をすませば感知できる。ラストのあの不協和音だって、ほらよく神経を研ぎ澄まされば、ほら、というやつだ。




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