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樋口毅宏『中野正彦の昭和九十二年』書評 出版元が怖じ気づくほどの強烈な「反日」小説

2022年12月16日、出版社のイーストプレスが突然下記の声明を出す。
万が一のこともあるので、サイトから本文を抜粋したものも、併せて掲載する。翌日17日に発売される小説、樋口毅宏『中野正彦の昭和九十二年』の書籍回収に関する声明である。

弊社刊行出版物「中野正彦の昭和九十二年」(978-4-7816-2148-7 )につきまして、刊行にあたっての社内承認プロセスに不備がありましたので回収とさせていただきます。
お問い合わせ先
TEL:(著者12/22追記:電話番号ですが、念のためですが私の判断で消去しました。というのも上記のお知らせサイトがいつの間にか消えていた為です。ご了承ください)
メール:support@eastpress.co.jp

イースト・プレスの声明『書籍回収のお知らせ』より引用

著者の樋口毅宏氏も、自身のTwitterアカウントで公表。

そこから少し遅れて(夜の九時くらいか?)、1木っ端ファンの私がその発表に気が付く。楽しみにしてた本なのにショックぴえんもう死にて……ちょっと待て、承認プロセスの段階に不備があり回収って何ぞや? 電話番号が書いてあることだし、と早速電話をかけてみる。

偶然晩酌してきた帰りにこの経緯に気が付き電話&報告のツイートしたせいか、やたら具体的な理由にこだわっている理由が自分でもよくわからんが、要は「社内の承認プロセスって具体的に何ですのん? それでなんで回収って話になるの? 回収しないといけないくらいひどい誤植とかあったとかじゃなくて?」みたいなかんじで聞いたのだ。

ただ電話口の人は本当に何も知らないのか、すっとぼけてるのか、いろいろ探ってみても「詳しくは知らない」の一点張り。なんでそんな人が問い合わせの電話番してるんだよ! まぁどっちにしたってそんな人相手に押し問答しても埒が明かないので電話を切る。

……ん? 待てよ。電話口で「書店への文章(よくわからないけど、こっちの都合で回収するから、並べないで準備していてね☆的な指示書みたいなものか?)を作ってるところ」とか言うとったな。だったら……。

本自体は既に納品されてるだろう。で、この短時間に回収なんて勿論できない。営業時間もとうに過ぎているだろうから。だから普通に考えたら、そうした回収の指示が社印にとどくのは、普通は翌日の朝だろうなぁ。

これ朝イチで突撃したらワンチャンあるのでは。本屋さんだって朝だしバタバタしてるだろうし。

あれ、ふつーに平積みされていたよ、という真偽不明のタレコミもあり(発売日前倒しで本屋に並んでることはよくある)、一縷の望みを背負って某本屋さんに朝イチで向かう。都内でもひときわ大きな書店である。

あった。あまり詳しい状況は伏すが、本は何冊かが積まれていて、これから売り場に並べるところです、という感じだった。見方によっては、これから出版社に突っ返すためにそこに集めてます、触んないでください、という感じもしなくもなかった。近くで働いてる店員さんに聞いてみようか、と一瞬迷ったが、意を決して手にとりレジに向かう。もしレジで「だめです」と言われたらどうしよう。

結論を言おう。買えた。

買えた記念に写メった。もう全国の店頭からは消えてるかもしれない……。

この写メを撮った後、「やっぱだめです、かえしてください」と、後から取り上げられるんじゃないかという謎の被害妄想が頭をもたげ、そそくさと私は書店を後にした。そして私はすなおに嬉しかった。下手すると二度と読めない本かもしれないから。

しかし私は一方で悔しいし、わりと今も怒っている。出版社の対応に、だ。何故普通に買えない? 多くの人に手に取ってもらえる機会を自ら損なうような真似をするのか。作中の誤植とかではなく、何があったのか知らんが社内の手続きのミスとやらで、全回収である。作者も書店も読者も、まとめて馬鹿にされたものではないか。

ちなみにこれを書いてる時点で、Amazonの取り扱いは停止。本書はメルカリで法外な値段で出品されている。狂っている。

と、以上がことの顛末なのだが、百歩譲って出版社側の言い分を想像してみる。この作品は、かなりどぎつい差別表現で出来た小説なのである。女性差別、LGBTQ、そして周辺諸国(主に中国や朝鮮民族)への偏見がそのまま言葉になり、文章になっている。なるほど、そういう点に慮ってくれたのかもしれない。

だが、この小説は普通に読めれば、この作家が本心でそんなことを考えている筈がないくらいの事はわかるはずだ。偏見と差別に凝り固まった人間、俗にいうネトウヨとはいかなる思考をたどるのか、それがどれほど滑稽でまぬけなのか。作家はそれをわがことのように一人称で書く、という試みをしているだけにすぎないのだから。

そもそも樋口毅宏という作家の本を一作でも読んでいれば、その本質がレイシズムと真逆の価値をもった人間だとわかる。『雑司ヶ谷』シリーズでも、私が樋口作品でもっとも衝撃をうけた『民宿雪国』でも、何でもいいから読んで欲しい。作中に出てくるレイシストがたどるのは、いずれも残酷な運命、自業自得の死である。本作の狂言回しであるネトウヨ中野正彦もまた、ある意味死よりもおぞましい真の地獄を見ることになる訳だが。

そういう訳だから従来の樋口ファンや、まっとうなリテラシーをもった読者なら、『中野正彦の昭和九十二年』を読んだあとでも「樋口毅宏とその出版社はマイノリティや韓国に偏見をもったレイシストなんだなぁ」なんて評価はまず押さない筈なのである。

しかしだ。出版社は、そうした過激な差別表現に対して、世間から寄せられるかもしれない批判や叱責に怖じ気づいて、日和ったのではないか。というのもイーストプレス側の編集者と思われる人のツイートを見つけたのだが、作中のどぎつい表現に憂慮するかのような発言があったからだ。確かに本気の差別と、作家がつくるアイロニーや嘘の区別がつかない人だっている。まっとうな読者を信頼する、とはまた別の問題であろう。ひとたび炎上となればビジネス継続も困難になる昨今である。

だとしてもだ。だったらそもそもこんな過激な文学に版元は手を付けるべきではなかった、と私は思う。

本当に出版社の手続きミスとやらの可能性も無きしもあらずだが、とまれ、会社都合のせいで誰よりも悲しい思いをして割を食ってるのは、著者の樋口毅宏氏に他ならないだろう。出版社は不誠実な対応を改めるべきだ。ただごとではない、これでは本当にただの焚書ではないか。表現の自由の要である出版社が、自ら本を焼いてどうする?

どんな理由があるにせよ、版元の対応はあまりに不誠実で、そのビジネスのやり方にしたって、中途半端な姿勢とか覚悟しか私には伝わってこない。この場を借りて改めて失望の意を表明し、猛省を促す。

さて、肝心の内容について書こう。もう手に入らないかも知れない、まぼろしの小説の感想を書くのはなんとも奇妙な感覚だが、この本については読みっぱなしで捨ておくのはあまりに惜しい。

本作では実在の人々が実名で記載されている。中野から現人神の如く奉られている「安倍お父様」をはじめ、麻生太郎、橋下徹といった政治家の面々。また文化人からは見城徹、三浦瑠璃、宮根誠司、堀江貴文、江川紹子、タモリ……といった面子がそろう。なお一部の、からまれたら本当に面倒くさそうな人だけは当て字みたいにしてあるが、何となくあの人かな、と想像が付いたりする。つまりこれは私たちの世界と地続きの舞台なのである。

一方の本作の主人公である中野正彦は一介のしがないフリーターで、こうした著名人と直接会話したり交流したりすることはない。交流といえばせいぜい安倍元首相の演説にかけつけてそれを生で聞いて、感動のあまり涙を流すていどある。しかし彼らの、メディアやSNSでの実際の執筆や発言内容とか、時節のニュースに沿うかたちで小説が展開されていく。具体的には、中野はこうした著名人やメディアが一方的に発するメッセージに一喜一憂して、それを日記に認めることにより、自分なりの身勝手な偏見やら思想を確固たるものにしていく。そういったスタイルで前中盤はゆるゆると進む。

まさに現実でも垂れ流される無責任な発言や舌禍は、市井の人々の偏見を助長するための、格好の餌ともいえるだろう。中には常識的に考えて毒にも薬にもならないようなものや、良識ある人々の言葉も中野は拾いあげるが(上記の面々だとたとえば江川はそうかも)、それで自身のことを鑑みることなく、結局「パヨクwww」の一言で吐き捨てる。頭に一度しみついた偏見は取り除くのが難しい。それは中野だけなく、世間一般の、そこのあなたにもあてはまることではないか。

そんな中野は、元自衛官を名乗る「会長」が運営する保守系「組織」の一員で、美しい国日本をおびやかす敵(彼らの憎悪は主に、野党や周辺諸国、リベラル系文化人や活動家に向けられる)を、いつか暴力を行使して排除するのを夢見ている。彼は口だけでなく「会長」の指示で実際に活動家を殺害している。そんな物騒な面がある男だが、普通に仕事に追われたり、不倫相手と放埓なセックスライフを楽しんだり、先んじて彼がサヨク陣営と呼ぶ人への暴力事件を起こした人間に嫉妬しながら何も行動できない自分に苛立ったり、なんだかんだ平和でだらしない日常に埋没されているのがなんとも皮肉で滑稽である。

中野は上に書いたとおりのバカでレイシストで人殺しという、人間のくずの条件が数え役満のようにそろった人物だ。しかし結構読書家だったり、映画に造詣が深かったり、おまけ奇妙なユーモアの持ち主であったり、ある意味その人の魅力と思えなくもない面も持ち合わせている。たとえば日本文学、とりわけ石原慎太郎と三島の文学にやたら傾倒していたりするのだが(この辺りは著者の嗜好によるものだろう)、三島が市ヶ谷で割腹自殺を遂げる前夜にとった最後の晩餐に準えて、彼も最終決戦に赴く前に「晩餐」を味わう訳だが、ここは声を出して笑った。私達のみみっちい想像力では到底考えつかないような笑撃の「晩餐」の模様は、詳しくはなんとか本書を手に入れて読んでみてくれ。

ここからはちょっと終盤の展開に触れるので、あれでしたら戻るボタンを。

件の「会長」から待望の作戦指示が下ったあたりから、どこかモラトリアム然とした小説のムードは急転していく。この小説は安倍元首相暗殺を予言していた、と帯でも喧伝されている。けれども、この小説が真に予言する未来は別物の衝撃で、本当の地獄である。その、終盤のカタストロフが到来してから筆の冴えは見事で、えげつない描写に定評のある樋口はその手腕を遺憾なく発揮してくれるのだが、読んでいて本当に色んな意味で気分が悪くなる。たとえるなら異様な情念の詰まったシミュレーション小説といったジャンルで、樋口版の『バイオレンスジャック』『日本沈没』といった風情がある。その後の展開もスケールが益々デカくなり、『1984』のようなディストピアが我が国で展開される。その書き方もどこか近未来SFなものを目指していて、斬新だ。元々、現実をフィクションで凌駕して書き換えてやるという気概をもった樋口の作風が、ここでなんか新ジャンルと融合合体を果たして新しいステージにあがったという感じがする。

溜まり溜まった不満や差別感情が、ある日を境に爆発する。たとえば災害などをきっかけに軍国主義国家への坂道を真っ逆さまに転がっていく。と書くといかにも我が国らしいというか、やはり関東大震災以降の歴史を思い起こさせる。もちろん樋口はそれを狙って書いているのだろう。一度あることは二度あるということで、歴史への反省がないのではあれば同じ道を繰り返すのだという事なのだろう。前述の中野の語りや、カタストロフの様子もあってか、とても説得力がある。というのも、結局、戦争のような愚行を引き起こすのは一部の政治家ではない。結局のところ彼らの言動を真に受け、選出し、支持する普通の人々が引き起こすのだから。そういう世界にこれまで樋口の恐るべき筆力の犠牲になってきたのは、一部のバカや差別主義者の個人だったが、いよいよ誤った選択をし続けるリアルな全国民にその照準を合わせてきたのである。そういう意味では、『中野正彦の昭和九十二年』はある意味では全方位に中指を立てる「反日小説」といえるかもしれないのだから。それなら編集者や会社がビビり散らかすのも頷ける。まぁ樋口だって最初から創造をしたり嘘を書いている訳でもなく、SNSに溢れる発言を検索して見ていてれば、それを裏付ける証拠がいくらでも転がっていて、既に視覚化されている訳だ。もっとにだからといってそれは誹謗中傷でもなんでもなく、ただ本作はだらしねぇ人々をそのまま映しとった鏡のようなものでもあるのだが……それに怒ったりするのも筋違いであろう。という話にならないか。

いずれせよ本屋大賞だの直木賞とかの文学賞には程遠いトチ狂った小説だが(逆にノミネートされたら私はその賞の価値を見直す)、行儀の良い小説以外にもこういうものが世の中にあってもいい。それが多様性、表現の自由というものだろう。どうか版元は方針を改めて本書の発売を、そして続編の『小林大助の昭和一一四年』の刊行を続けてもらいたいと思う。そして著者の樋口毅宏には、世界の外側から、このダメダメな世界を容赦なく抉り出してとことん描いてもらいたいと、1ファンとして強く願う。


追記 2022年12月19日

イーストプレスから再度回収についての報告があがる。どうやら昨日あがってたみたいだが、きがつかなかった。

>今回刊行に至るプロセスにおいて社内で確認すべき法的見解の精査や社の最終判断を得ることを行っておりませんでした。同時に刊行時においても契約書の締結が終了しておらず、

上記記事より引用

確認すべき法的見解というのはなんだろうか。契約書が未締結だったという話だが、これもよくわからん。

>刊行における責任の所在が曖昧だということが発覚しましたので、社内協議の上、回収対応といたしました。

上記記事より引用

責任の所在が曖昧だそうで。誰も責任を負いたくなかったんですかね……。


追記 2022年12月20日

#中野正彦の昭和九十二年の販売再開を求めます

おかげさまで当記事は多くの方に読んでいただいております。ありがとうございます。ただ、このままこの本が有耶無耶のうちに忘れ去られるのもなんかイヤなので、こんなタグを作りました。現状Twitterでひとり座り込みを実施中です。宜しければ皆さまもご協力お願いします。


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