経営戦略としての非市場戦略(3):企業の成長力を高める非市場戦略
前回までは、経営学の論文を題材に、非市場戦略とは何か(第1回)、非市場戦略の分類(第2回)について説明しました。
今回以降、経営から見た非市場戦略の具体的な活用方法を考えていきたいと思います。
非市場戦略は、「攻め」と「守り」に大別することができます。
企業価値向上のために、企業がキャッシュフロー(将来キャッシュフローの割引現在価値)をいかに最大化するかを考えるとすれば、トップラインである売上をどのように大きくするか(成長力)とボトムラインである利益をどのように大きくするか(収益力)が重要になります。
非市場戦略に当てはめれば、「攻め」は企業の成長力や収益力を上げるためのルール形成などの戦略です。「守り」は成長力や収益力を下げる規制・レピュテーションなどのリスクへの対応戦略です。
今回は、アンゾフの成長マトリクスを参照しながら、成長力向上のための非市場戦略について考えていきます。
成長マトリクスと非市場戦略
アンゾフの成長マトリクスでは、企業が成長機会をどこに求めるかについて、既存製品・技術×既存市場の「市場浸透」、既存製品・技術×新市場の「市場開拓」、新製品・技術×既存市場の「製品開発」、新製品・技術×新市場の「多角化」の四つのカテゴリーを提示しています。
(参考)
(なお、アンゾフの成長マトリクスは、第二次世界大戦後に多角化が進む米国大企業を背景に生まれてきた枠組みであり、当然大企業を念頭に置いていると思われますが、ここでは、企業の成長の方向性をどう考えるかという点に重点を置き、スタートアップなども含めて考えていきます。)
市場浸透(Market Penetration)
市場浸透とは、既存の製品特性を既存の顧客ニーズに浸透させる成長の方向性です。
イノベーター理論で説明されるように、イノベーションの普及には段階があります。ジェフリー・ムーア「キャズム ver2」によれば、ハイテクビジネスにおいては、アーリーアダプター(ビジョナリー)とアーリーマジョリティ(実利主義者)の間のキャズムの存在が指摘されています。
メインストリーム市場まで普及した後でも、アーリーマジョリティの後のレイトマジョリティー(保守派)は、本質的に不連続的なイノベーションを受け入れず、これまでの慣習を重視するとされています。
また、制度理論(Institutional Theory)では、組織や人には、同質化のプロセス(Isomorphism)があるために、合理性ではなく、正当性(Legitimacy)があるかどうかで選択を行うとされています。
(参考)
このような観点を踏まえると、どこかの段階で、自社の製品が認知は上がるが市場浸透率が上がらないという状況が想定されます。
このような場合に、CSRやパブリックセクター・非営利セクターとのパートナーシップ、業界自主基準や認証制度といった非市場戦略による正当性の獲得がマーケティング戦略(市場戦略)を補完できるかもしれません。
BtoBであればダイレクトに顧客の意向を変えることに寄与するでしょうし、BtoCであっても保守層に対しては効果が期待できます。
実際に、テクノロジー系のサービスでは、営業部門やマーケティング部門の市場戦略に合わせ、地方自治体との連携や業界自主基準・第三者認証の活用などの非市場戦略を組み合わせている例がよく見られます。
(参考)
・マイクロソフト News Center→地方自治体との連携
・シェアリングエコノミー協会「自治体のシェアリングエコノミー活用(シェアリングシティ)」→地方自治体との連携
・Pairs Our Challenge「ペアーズ、2023年の振り返りと、来年度に向けて」
株式会社エニトグループ「なぜ、マッチングアプリなのか?市場の現在と立ち向かうべき社会課題とは」→地方自治体との連携や業界自主基準・第三者認証
市場浸透施策は、市場戦略と非市場戦略の連動が行いやすい領域であり、マーケティング戦略を補完する形で非市場戦略を構築し、統合戦略として機能させることができます。
市場開拓(Market Development)
市場開拓とは、既存の製品特性を新しい顧客ニーズに投入するものです。
第1回で説明した、トイザらスの日本市場参入の例も、これに該当するかと思います。
トイザらスの基本戦略はコストリーダーシップであり、コスト優位性を活用しながら、売上規模を拡大するためにグローバル市場へ進出していました。
つまり、成長のベクトルとしては、米国以外の新しい市場開拓を志向していたと考えられます。
市場開拓の際に、新しい市場に参入障壁(日本の大店法)があったため、非市場戦略でこの問題を解決したと言えます。
また、市場開拓の他のパターンとしては、企業向け製品(BtoB)を公共団体に販売する(BtoG)ことが考えられます。
ビジネス財を販売するという意味では、企業へ販売する(BtoB)のも、公共団体に販売する(BtoG)のも本質的には同じです。
しかし、BtoBからBtoGへの拡張は、単に営業先を増やすようなものではなく、公共団体の特殊な購買プロセスへの対応などが必要になってきます。
また、ここで留意が必要なのは、BtoG事業における顧客である公共団体との関係は契約関係であり、市場環境における関係であるということです。
非市場領域の関係は、ルールメイカー・ルール執行者である公共団体とルールの適用を受ける企業という関係性であり、同じ公共団体との関係性を扱うとしても、本質的に扱う問題は異なります。
では、この場合に、非市場戦略をどのように活用すればいいのでしょうか。
コーポレート部門(非市場戦略部門)の能力の事業部門への活用
公共団体は利益を目的とした組織ではないので、購買の意思決定は企業と異なります。また、公平性・透明性が求められることから、公共団体が発注を行う場合には、不特定多数の参加者を募る調達方法である「一般競争入札」が中心となっています。
顧客である公共団体と企業の関係性と、制度策定主体である公共団体と企業のの関係性は本質的には異なるものですが、コーポレート部門(非市場戦略部門)が構築した顧客接点や顧客理解などの能力を(新しい)事業部門へ活用することが考えられます。
特に、公共団体との関係性を簡単に市場で調達できないことを前提とすれば、競合他社が非市場戦略部門を持たないような場合、元々自社にある非市場戦略部門の知見や顧客接点を上手く活用できれば、BtoG事業における競争優位につなげることができます。
ルール形成への寄与(非市場戦略)
また、顧客理解や顧客接点の提供といった、事業部門の直接的な支援だけでなく、非市場戦略部門の本来的活動として、公共調達のルール形成に寄与することも考えられます。
最近では、公共団体の調達ルールも変化しています。特にスタートアップには追い風となっており、最近ではスタートアップと公共団体の随意契約を促進する仕組みも取り入れています。
また、デジタル庁では、公共団体のソフトウェアの調達のためのデジタルマーケットプレイスを整備しており、企業にとっては、それぞれの公共団体の個別化された入札プロセスへ対応することなく、マーケットプレイスを通じてソフトウェアを販売できるようになっています。
スタートアップの新技術により行政課題への対応力を高めることを戦略的利益とすれば、公共団体がスタートアップの顧客になるのは、大企業のベンチャークライアントモデルのガバメント版と考えることができるかもしれません。
成長の方向を市場開拓に向け、BtoG事業に参入する企業にとっては、公共団体の調達ルールがより使いやすくなるようなルール形成を目指していくことは、事業戦略に統合された非市場戦略と言えます。
多角化(Diversification)
多角化は、新しい商品特性を新しい顧客ニーズに投入するもの(新製品・新技術×新市場)であり、自由度が高い反面、既存組織・事業構造の変革を伴い、より高度で複雑な判断が必要になると言われています。
新製品×新市場における非市場戦略の基本はルール形成戦略です。
(※新製品・新技術×既存市場である新製品開発(Product Development)も、新技術の投入という意味で、同じ観点で整理します。)
この文脈では、経済産業省が「ルール形成型の市場創出」をバックアップしており、社会課題解決活動とルール形成を組み合わせることで新たな市場を創出していく考え方が示されています。
非予測型ルール形成による新市場創出
カーボンニュートラルなどの産業構造変化に対するルール形成戦略は、長期目線でビジョンを持って多くの関係者を巻き込みながら進めていく必要があり、一義的には大企業におけるルール形成を念頭に置いているように思えます。
一方で、スタートアップによるルール形成型新市場創出はどうでしょうか。
スタートアップというとビジョナリーな印象がありますが、アーリーフェーズであるほど、明確なゴールよりは、起業家の思いを起点に手持ちのリソースと周囲の関係者とのパートナーシップをうまく活用しつつ、状況変化に臨機応変に対応していくような行動原則(いわゆるエフェクチュエーション)が有効であると考えられています。
エフェクチュエーションはコーゼーションとの対比において語られることが多いですが、エフェクチュエーションを提唱したSarasvathyらの非予測戦略(Non Predictive Strategy)の論文では、予測とコントロールの両軸で整理した4象限の枠組みが示されています。
ルール形成戦略を4象限に当てはめて考えてみます。
カーボンニュートラルのように将来目標が定まっており、将来の社会に対してビジョンを描きながら標準化・規格化などのルール形成を行うのは、ビジョナリー(Visionary)型のルール形成手法と捉えることができるかもしれません。
一方で、アーリーフェーズのスタートアップなど、将来が予測できず、目標も定められない場合には、ビジョナリー型のルール形成は困難と思われます。
このような場合には、変容(Transformative)的なルール形成手法の方が適しているように思います。
これに対応する制度としては、一定の制限の下で、規制の適用を受けずに、市場のニーズを確かめながら、実験的に新事業を行っていく「規制のサンドボックス」といった制度があります。
さらに規制の適用の可否が不明で事業を進められないような場合、規制の適用の白黒をはっきりさせる「グレーゾーン解消制度」もあります。これは、予見可能性を高め、予測できるようにするという意味で、計画(Planning)に相当するルール形成の手法と言えるかもしれません。
このようなスタートアップ向けの規制対応・規制改革参画ツールについては、経済産業省においてガイダンスが作成されています。
(参考)
経済産業省「スタートアップの成長に向けた規制対応・規制改革参画ツールの活用に関するガイダンス ー みんなの規制対応・規制改革 ー」
多角化のように新技術を新市場に投入する場合に必要となるルール形成ですが、ここまで見てきたように、一口にルール形成戦略といっても様々な手法があります。
企業や事業の規模、非市場戦略部門の体制、ルール形成の目標や時間軸など様々な要因によって、最適な手法が異なるため、自社に適した方法を選択していくことが重要になるかと思います。
まとめ
今回は、成長マトリクスのように、これまで市場戦略の範囲で考えられてきた問題領域において、非市場戦略をどのように使っていくのか実験的な思考で記事を書いてみました。
理論的に必ずしも正しいものではないかもしれません。しかし、非市場戦略の実務としては、実際に行われている、ある程度妥当なものと言えるかと思います。
わかりやすい例として、メインストリーム市場への市場浸透や新市場創造のためのルール形成といった課題を取り上げましたが、重要なのは、個々の中身よりも、非市場環境を変数として捉え、課題解決のための打ち手の選択肢を増やす思考かと思います。
経営者においては、非連続的な変化を起こすために、これまで市場戦略だけで考えてきた問題に対して、外部環境をどう変えるのか、非市場戦略を活用できないのかと考えてみることが重要なのではないでしょうか。
また、非市場戦略の実務家においては、専門性の活用範囲を狭めることなく、積極的に経営課題へ寄与できる可能性を提案していくことが大切に思います。ルールメイキングのためのパブリックアフェアーズ活動が注目されることが多いですが、非市場領域の活動の価値については、これにとらわれる必要はないと思っています。