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かけっこ練習ノート - 【重要】目的と手段を混同するとどうなるか

8月26日(木)

突然ですが、こんな言葉よく聞きませんか?

目的と手段を混同している!
手段が目的化している!

よく耳にする言い方ですが、僕は子どもの頃、その意味が全くわかりませんでした。

痛いほど理解したのは、大人になってからです。
それだけでなく、子どもの周りで目的と手段が混同されていることのいかに多いことか。
学校のルール、宿題、感染防止対策、校外学習、などなど例をあげればきりがありません。

事例1:椅子に黙って座ること

椅子に45分間黙って座っていることは、学校の目的ですか?手段ですか?
学校の目的は学習です。
なのに「黙って45分間椅子に座る」ことを目的としてしまうから、できない子が辛い思いをします。
「黙って45分間椅子に座る」ことができなくても、学習という「目的」を達成するための「手段」は他にもあるはずなのに。

事例2:本読みという宿題

家庭での本読み宿題は目的ですか?手段ですか?
先生から本読みの指示が出た途端、親は子どもに本読みをさせることが目的になってしまいます(僕がそうでした)。
でも、目的は音読が上手になったり、漢字をすらすら読めるようになったりすることではないでしょうか?
(そういえば納得する音読の目的を先生から聞いたことは一度もありません)
その目的を達成する「手段」は、毎日時間をかけて同じ文を読むこと以外にもあるのではないでしょうか?

子どもが押し付けられるとき

身の回りには、手段が目的化していることに溢れています。

学校システムが、均質で忠実な労働力を大量生産する過去のシステムを引きずっているからかもしれません(違うかもしれません)。

悲しいかな(?)子どもは素直ですので、大人が手段を目的化して押し付けてしまうと、それを疑いもせず一生懸命達成しようとします。
そして本当の目的は見失ったまま、狭い手段の中で満足し、そこで完結してしまいます。

もし一生懸命やってもできなければ、自分はどうやっても目的を達成できないと傷つき、自尊心を失います。
他にも目的を達成する手段はいくらでもあるのに。
手段が目的化しているが故に、その可能性に気づけないのです。

超大切にしていること

だから僕は、
① 目的をいつも明確にして、
② 手段を状況によって柔軟に変えていける、
そんな発想を子ども達に持ってもらいたいと思っています。
目的がはっきりしていれば、ある手段でうまくいかなくても、別の手段を考えることができます。
心を軽く、生きやすくしてくれます。

そこで今日の練習

前置きが超長くなってしまいましたが、今日の練習はそんな目的と手段を考えることから始めました。

今、自分が伸ばしたい要素は何でしょうか?
ピッチやストライド、スタートダッシュ、中間疾走、後半の伸び、などなど。
そんな自分が選んだ、要素を目的として、それを伸ばすために必要な練習(手段)をそれぞれで考えてみました。
(つい、僕自身が手段の一つを言ってしまったりしますが…。)

ここで重要なのは、ピッチやストライドなどの要素は、ダッシュ太尾の上位目的である「足が速くなること」から見れば「手段」であること。
それを忘れて、ピッチをあげることを上位目的にしてしまうと…。
ここからはご想像の通りです。

目的と手段の関係をいつも俯瞰的に意識して、状況によって手段を柔軟に変えていける。
子どもだけでなく、僕自身も常にそうでありたいと思っています。

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