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旅の記:2023年6月のツアー⑰義仲寺<木曽義仲墓・松尾芭蕉墓>(滋賀県大津市)

【旅の記:2023年6月のツアー⑰義仲寺】

京都から滋賀へ。逢坂の関を越えまして、蝉丸神社などもあるのですが駐車場が見つからず、、また何かの機会に電車で行けたらなと思います。
さて、滋賀県に入って最初に訪れたのは山号を朝日山、本尊を聖観音菩薩とする天台宗系単立の寺院・義仲寺です。「朝日」「義仲」ということで朝日将軍とよばれた木曽義仲のお墓があるお寺です。義仲が源頼範・義経軍に栗津の戦いで討たれた後、愛妾であった巴御前が義仲の墓所の近くに草案を結んで供養したのがはじまりと伝わります。
戦国時代に荒廃、六角義賢によって再興、江戸時代に再び荒廃、貞享年間(1684年-1688年)に浄土宗の僧の呼びかけで義仲の塚の上に新たに供養塔を建てて義仲の墓を建立し再建、元禄5年(1692年)に義仲寺と改められた。
またあの松尾芭蕉のお墓もあるんです。芭蕉はこの寺とこの地域、人々を愛し、元禄7年(1694年)大阪で亡くなった後、芭蕉の遺言通り義仲の墓の横に埋葬された。それもあって当寺は芭蕉俳諧の人たちによって護持されていくようになった。でもやっぱりまたの荒廃、明和6年(1769年)に京都の俳僧・蝶夢法師が数十年かけて中興した。明治になって琵琶湖大水害で被害を受けるが、復興。昭和にも戦争後にまたも荒廃するが、篤志家の寄進によって本寺であった円満院から境内を買い取り、独立・再興して単立の寺院となったということです。
なんども危機に瀕するも、必ず復活!粗暴な振る舞いで京都では嫌われてしまったようですが、武勇だけでなくその男らしい生き様が愛される理由でしょうね。・

本堂
巴塚。伝・巴御前の墓。男武者顔負けの強さを誇った巴御前。その存在も不確かであり、義仲亡き後は和田義盛と結婚したとか、富山・新潟・神奈川にもお墓があります。各所に残るそれぞれのエピソード。面白いですね。
巴さんの並んで義仲の墓。首塚は京都の八坂神社近くにあり、こちらは首から下の同塚であるという。
芭蕉の墓。門人の島崎又玄の句「木曽殿と背中合わせの寒さかな」。寛政5年(1764年)には芭蕉百回忌が盛大に執り行われたそうです。
義仲・芭蕉翁のお墓のうしろに移っているのは無名庵という芭蕉が徘徊の会などを開いた建物で、もとは巴御前が住んでいた庵という。500年の時を越えて、義仲を敬愛した芭蕉。
「義仲の寝覚の山か月悲し」
芭蕉を祀る翁堂
木曽八幡社

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