北京101日 ルパン三世と釈尊
余裕があって、それでいて大事なところで頑張れる
かっこいい大人、、、
そん人に憧れていた。
小さな頃からヒーローはかっこよかった。
守るために果敢に頑張る姿。
誰がために命をたぎらす姿。
ストイックに自身を磨き、他者を鼓舞する姿。
そして時がたつに連れて、
ヒーローを構成する成分みたいなものに憧れた。
今は、就活や友人関係、家族関係、具体的に私が取り組める事柄が存在していて幸いである。
が抽象的な脳内会議では、未だに「ヒーローになるために生きたい。では何が出来る?」という中二病と揶揄されそうな問をズッと抱えている。
そんな中、幾度となく立ち上がる、抽象的な折り合いがつかない問がある。
運命、定め、限界、といったことである。
これに対する古来の知恵の一つは「人間万事塞翁が馬」という示唆である。
人間万事塞翁が馬
とはなんぞや。
映画ブレットトレインを見て。
ブラピがいい感じに体現していました。
ある事象が、良いか悪いか、究極的には誰も分からないこと。
だから、どうせならば、その結果を出来るだけ楽しく受け取る。
その余裕というか、時間や命、運命といったものに対する姿勢が
かっこいい印象を僕に与えるのだろう。
ルパン三世のような軽やかで有りつつ、本質から逃げない姿勢。
釈尊のように、達観しつつ、細部もこだわる姿勢。
悲しいや嬉しい、と言った感情があふれるのとは別次元。
努力しても結果は変わらないかも知れない。
努力しても結果が好転するかも分からない。
その通り。
でも。
プライド、というか本能というか。
眼の前でお腹へって倒れてる人の前で、
三角座りしながら、
沢山のご飯を食べることを気持ちよくは僕は思わない。
きっと、悲しいことは歴史でたくさん残ってきた。
戦争、飢餓、病気、死去、、、他にもたくさんだ
挙げれば切りは無いだろうか。
それでもなお、残ってきた、受け継がれてきた思想は存在する。
意思は受け継がれるのだろう。ワンピースのDのように。
この留学が良いことか、悪い子とか、誰も分からない。
多分こんな感じで、色んなことがホントは白黒つけれないだろう。
けど。
プライドや自分の信念。
守りたい者への全力などの熱い想いは抱えて、
日々決断したらいいのだろう。
さあ、明日も中二病のごとく、心は熱く生きようぞ。
帰国まであと、16にち
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