ヒラ社員リーマンが本業だけで年収を3.75倍にするためにしたこと全て
やはり昇給は嬉しいですよね。今までの苦労の対価として報われて、みんなハッピーになります。
皆さんは、昇給はどれくらいありますでしょうか?
多くの方が、昇給は昇進して管理職やマネジメント職にならないといけないと思ってはないでしょうか?
私は(マネジメント職への憧れがあるものの)何の縁もなく、万年ヒラ社員ですが、スキルアップ、転職を通して、初任給から年収を3.75倍に増やすことができました。
なお、年収を年間労働時間で割って時給を出してみたところ、新卒1年目の時から時給が6.6倍になりました!
もちろん、副業や投資は含まれていません。完全に本業のみの年収です。
また、外資系企業には自社株を取得する、もしくは割安で購入する制度が広く浸透していますが、ここでの収入も一切入れていません。
ここでは皆さんに、本業で年収を上げていただくために私がやってきたこと全てを話します。
必ずしも全ての方に当てはまるわけではないですが、多くの方に参考になると思います。
私の場合は、長いことかかって3.5倍ですが、努力次第ではもっと短い期間で達成したり、4倍、5倍上げる方もいらっしゃると思います。是非、この記事を読んで私を追い越してください!
書いているのはこんな人
こんにちは、Atsushiです。
勉強するのは好き、キャリアアップも興味あり、だけど、「やりがい」や「ワークライフバランス」はもっと重視しているヒラ社員リーマンです。
経歴はプロフィールを簡単に書くとこんな感じです。
✅東京都内中高一貫校(偏差値60弱)☛純ジャパ真面目少年👓
✅河合塾理系コースで1年浪人 ☛第1~5志望不合格!
✅第6志望のMARCH理系学部入学 ☛3か月で退学
✅アメリカ留学 ☛3か月間の語学研修
✅ニューハンプシャー州の大学入学 ☛差別&偏見を経験
✅ミネソタ大学ツインシティー校編入 ☛勉学に明け暮れる日々…
✅コンピューターサイエンス(CS)専攻、経営学副専攻 ☛無事卒業
✅米系ITコンサルティング会社入社 ☛猛烈仕事リーマン
✅ドイツのソフトウェア会社SAPに転職 ☛コンサルティング部門勤務
✅パートナー部門へ異動 ☛楽しく激しくワークライフバランス
✅カナダ系ソフトウェア会社に転職 ☛イマココ
波乱万丈とはまでは言いませんがきませんが、人生で七転八倒しながらスキルやキャリアを上げていきました。
努力が報われ、仕事のやりがいや待遇、生活環境にとてもハッピーです。
学生時代 ~IT x 英語 x ビジネスを身に着けるまでの過程~
私は父の影響もあり、もともとコンピューターに興味があり、中学生のときにはコンピューターを将来の生業にすると決めていました。
幸い、数学が得意だったため進学に迷いはなく、己の道を進みました。
1年浪人を経て、MARCHのなかの1校の理工系学部に入学しました。
ところが、大きな問題がありました。
私が進学したのは電気電子工学系と通信工学系が2つ合わさったような学科だったのですが、入学して分かったのはカリキュラムがハードウェア中心に組まれていたことでした。
当時、世界はWindows 95の普及でPCが家庭にも普及して、インターネットでの情報共有に沸いていました。
私も影響されてソフトウェアやプログラミングの世界に入りたいと考えていました。
もともと、理系の割に英語が得意で将来的には英語をマスターしたいと思っていたこともあり、一念発起して
大学を退学して、アメリカでコンピューターの専門的な勉強をする
ことにしました。
苦労もありましたが、小規模な大学での学生生活を経て、そこそこ研究レベルの高い大学(全米で20位くらい)に編入することができ、専門的な勉強をすることができました。
幸い、職種別の年収ランキングを見ると日本でも、アメリカほどではないにしろ、コンピューター関連技術者の給与はかなり高い水準(医師を抜かせばトップクラス)でした。
このとき、
自分の選択に間違いなかった
ことを再確認しました。
しかし、そのとき日本は就職氷河期でした。
私は途中浪人生活があったのと、日本とアメリカの入学シーズンの違いで、2年ロスしていたため、中高の同級生達は私より2年早く就職活動に突入していました。
とにかく、そのときの苦労ぶりったら半端ないです。医歯薬系は別ですが、一般企業、特に有名企業、人気企業への就職今では考えられないくらいの競争率でした。
また、時同じくしてバブル崩壊の余波が深刻になりました。
山一証券が経営破綻し、アメリカの大学のキャンパスでテレビニュースを見て衝撃を受けたのを今でも覚えています。
そこで私は決心しました。
コンピューターや英語だけではない、
もう一つ就職に役に立つスキルを身に着けよう!
当時、留学エージェントの人は「人文学部の専攻だけでは就職は難しく、心配な人は経営学を副専攻で学び、手に職をつけなさい」と言っていたのを思い出しました。
そこで、私はアメリカの大学でどこでもある副専攻の制度を利用して、経営学(Management)を副専攻することにしました。
結果として卒業時に、
・コンピューターサイエンス(CS:今でいうIT)の技術的なスキル
・経営学(つまりビジネス)の基礎的知識
・英語
の3つを身に着けることができました。
就職活動 ~1社目入社までの過程~
そして就職活動に臨みます。
アメリカの日本人留学生は、ボストンやサンフランシスコで開催される在米日本人留学生向けの就職フォーラムで就職活動します。
そこで、幸いにしてアメリカで学ぶ学生に優しいITコンサルティング会社が出展していて、そこで2社受けました。
バリバリにチューンナップした英文レジュメをもって、ブースで人事の人と話をします。
幸いにして、2社両方から通過の知らせがあり、ホテルの部屋で社長面接とあいなりました。
どちらとも、話は盛り上がり、結果として、これまた幸いにして、
両社からオファーレター(内定通知書)をもらうことができました!
両社は、私のコンピューターサイエンス、つまりITの専門的な知識に加え、コンサルティングの仕事に不可欠なビジネスの知識があったことを評価してくれました。
また、当たり前ですが英語ができたため、この部分も評価されました。
その時の年収は幸い両社とも高く、コンサルティング会社としてトップに君臨していたアンダーセン・コンサルティング(今のアクセンチュア)と同レベルでした。
就職氷河期ということを考慮すると、大変ラッキーです。周囲には、就職活動で苦労している人も非常に多かったです。
この時、思ったのは、やはりその時代が求める付加価値の高い職業を見定めて、それに合った分野を専攻することで高い年収を実現できるということです。
私がコンピューター・サイエンス専攻でなかったら、こんなことは無かったでしょう。また、経営学を副専攻していなかったから、ここまでラッキーなことは無かったかもしれません。
1社目:ITコンサルタント ~最初のキャリア形成~
最終的に小規模ながら業界で軽く旋風を起こしていた、米国系のITコンサルティング会社に入社することにしました。
日本に帰国して入社してからというものの、馬車馬のように働きました。
希望していたのはCRMの導入コンサルティングでしたが、アサインされたのは主に会計、特に予算管理や業績管理といった管理会計の分野でした。
最初は地味でがっかりました。
しかし、IT戦略から要件定義、設計、開発、テスト、ユーザー教育と、リーダーやプロジェクトマネージャーの下で、一通り本稼働までのフェーズを経験しました。
今では信じられないですが、平日は普通に終電まで働き、週末のうち土曜日はたいがい出社して仕事していました。
おかげでスキルのほうはかなりついてきました。
また、会計だったので簿記3級(日商)も取得しました。
ところが、世界を震撼させる事件が起きます。
エンロン事件
です。
アメリカのエネルギー大手企業、エンロン社が不正会計を原因として破綻したのです
この時の反省から、監査とコンサルティングの分離を余儀なくされ、コンサルティング会社は一気に仕事を失いました。大きなコンサルティング大不況の到来です。
多くのコンサルティング会社で統廃合や社名変更が見られました。
この流れは、戦略コンサルティングや経営コンサルティングだけではなく、ITのコンサルティング業界にも到来して、勤務していた会社の仕事は激減しました。
仕事が減ればプロジェクトへのアサインも減り、スキルアップできず、経験も積めずに、昇進、昇給のチャンスも一気に減ってしまいます。
また、
ITバブルの崩壊
も起きました。
当時、私が大学生から社会人になってすぐに、ドットコムと呼ばれる、Amazon.comのようなEC会社がビジネスを席巻してました。
しかし、結局ビジネスモデルに限界が見え始め多くの企業が倒産しました。
これで勤務していた会社も本国中心に多くの社員が解雇されました。
私がアメリカの大学でコンピューターサイエンスの専攻で一緒だった、マレーシア出身の友達はアメリカで同じ仕事をやっていましたが、彼も解雇されました。
さらにもう一つのアンラッキーな流れがありました。
それは、
技術者のアウトソース
です。
アメリカでは英語が公用語で技術力が高いインドへのアウトソースが顕著に発展、成長しました。
日本にも中国へのアウトソースに焦点があがり、対面での打ち合わせをしない、開発の仕事は中国へアウトソースするという流れができ始めました。
これは、本当にピンチでした。
中国の技術者は優秀で、日本語ができる方の人月単価が、高くても日本の1/5、平均して1/10、安いと1/20なんていわれました。
これでは日本の技術者も立ちいきません。
せっかくアメリカまで渡って勉強してきのに、これでは仕事を失います。
(ちなみに最終的には、言語や文化の壁もあり、中国へのアウトソースは数年後下火となりました。)
また、私は勤務先の会社のプロジェクトのアサイン方針に納得がいかず、やりがいのある仕事に飢えていました。
この時、私の年収は初任給からほとんど変わっていませんでした。
1社目☛2社目の転職 ~年収1.2倍へ~
そこで、私はまた時代が求めているITの職種を必死で探しました。
それが、パッケージ製品の導入コンサルタントです。
ちょっと前に、SAPのブームが起き、多くの企業がSAP ERP(ECC)を導入していて、ちょうど大企業向けの導入で落ち着きを見せていたところでした。
転職エージェントから「SAPがERPとは違う、予算管理や業績管理の分野の製品をローンチするので、導入コンサルタントを探しています。応募してみますか?」と言われ、応募を即答しました。
ERPの周辺にあるCorporate Performance Management(CPM:今はEnterprise Performance Managementと呼ばれます)という領域で、戦略的な企業経営を支えるアプリケーションがBIのプラットフォーム上で動いているものです。
私はちょうど予算管理や業績管理、経営計画といった、言わばニッチな領域ばかりをやっていたので、採用の担当マネージャとしても願ったりということで、すぐに採用が決まりました。
やはり、専門性を持っていることが良い方向に働きました。
後で聞いたところによると、応募者が書類面接を通過して面接に行けるのは200人に1人と競争率は非常に高かったようです。
元々その時は、やりがいのあるプロジェクトにアサインされるように、という思いが強く、給与を上げる部分については、それほど興味はありませんでした。
とはいえ、転職エージェントが交渉して、最終的に転職して、20%年収があがりました。
やはり、
転職によって年収が上がるというのは事実
ということを実感しました。
2社目:ITコンサルタント ~経験積んで年収は初任給の1.5倍~
SAPに入社して私は担当製品をがむしゃらに勉強しました。夜遅くまで担当製品の動作を検証して、あらとあらゆるドキュメントに目を通しました。通勤するとき、客先に向かうときは、資料や本に集中しすぎて、電車を乗り過ごしたこともありました。
途中、辛いこともありましたが、コンスタントにプロジェクトにアサインされるようになりました。
簿記の資格も2級にグレードアップしました。
(この後に1級を取得しようとしTACに通いましたが、挫折しました…)
また、自分のアサインや評価だけに留まらず、営業部門やプリセールス部門、製品の事業開発部門の人に協力して、情報提供をしたり、相談にのったりしました。
たまたま英語も得意だったので、製品の開発部門や他国の製品エキスパート、先輩コンサルタントとも情報交換を通して交流して、
国際経験
を積むこともできました。
そのかいあって、私はその製品の日本で一番のエキスパートとなり、担当製品に関しては、皆が私に意見を聞く、というレベルまでになりました。
昇進もし、昇給もしました。
一時、担当製品が日本で売れなくなることもありましたが、製品に精通していることと、英語ができることのシナジーがあり、導入の一部ではありますが、海外のプロジェクトにもアサインされるようになりました。
ざっくりいうとこんな感じです。
フィリピン1:通信会社(3週間)
オーストラリア1:建設会社(5週間)
フィリピン2:製薬会社(3週間)
オーストラリア2:鉄道会社(5週間)
他にも1週間だけですが、炎上プロジェクトの立て直しで中国とマレーシアにも行きました。
結果、国際経験に磨きをかけることができました。
周囲のコンサルタントは、英語がそこまでできないということもあり、他の製品の担当にコンバートさせられたりしていました。新規に製品を覚える必要があり、これはキャリアにとってマイナスです。
私は、
英語ができたことで危機を乗り越えられた
のです。
ただ他方で、昇給に伸び悩みがでてきたのも事実です。
また、今後のキャリアを考えたときに、プロジェクトマネージャーやコンサルティングチームのマネージャになるというキャリアパスもありましたが、そのときの上司や先輩がランチも十分に取れないくらいの多忙な様を見ていて、そこまで働きたいとも思いませんでした。
なお、この時点で年収は前職の初任給の1.5倍になっていました。
2社目で社内転職:ITコンサル☛パートナービジネス担当マネ
そこで私はまた新しい職種を探しました。
たまたま、パートナービジネスを推進する事業開発職(日本風にいうと経営企画職)の社内求人を目にしました。
いくらか考えて下記のようなメリットがあると思いました。
① 年収&待遇面が向上する。 ☛営業支援部門なので比較的優遇されている!
② 昇進、昇給の目途がある。 ☛明確な基準がある!
③ 今までのキャリアを活かせる。 ☛製品を身に着ける力が活かせる!
④ やりがいのある仕事内容である。 ☛新規の開拓!
⑤ ワークライフバランスが保てる。 ☛今ほど長時間労働ではない!
⑥ 1年以内に部署異動できる。 ☛待つ必要がない!
SAPではグローバルで、同じポジションで2年以上働けば、異動先の上司が受け入れることを表明さえすれば、現職の上司が反対しても異動できるというルールがあります。※現在は変わっている可能性があります。
そこで、この職種に応募したところ、社内の異動にも関わらず6回も面談を受けましたが、晴れて新部門の上司に受けれてもらう許可が出て、部署異動が叶いました!
役職が今までの
コンサルタントからマネージャー
(正式にはBusiness Development Manager)に上がることになりました。
部下はいませんが、若干給与&ボーナスも上がりました!
少なくとも勤務時間は減り、ワークライフバランスが保てるようになり、それだけでもハッピーでした。
これは嬉しかったです☺
2社目:パートナービジネス担当マネ
パートナー部門に異動したからというものの、また新しい環境に移ったこともあり、多くの事を勉強することになりました。
チャネルビジネスのこと、マーケティングの事、ビジネス法務の事、あらとあらゆることを吸収しました。
日本の組織の所属ではなく、ドイツ本社の組織の傘の中のアジア太平洋地域(APJ = Asia Pacific Japan)のチームに入り、その中で日本担当という位置づけになりました。
ちょうどオーストラリアやフィリピンの仕事の経験もあったので、このような国際的な環境に入ることに抵抗はありませんでした。
むしろ、英語を多用することになり、実践的なビジネス英語を身に着け、英語に磨きをかけることができるようになりました。
時には外資系ならではの厳しさにもさらされて、非常に苦労したこともありました。
2社目:マネージャー☛シニアマネージャーに昇進 ~経験積んで年収は初任給の2.5倍~
しかし苦労のかいもあり、異動後3年後に
シニアマネージャーに昇進
(正式にはBusiness Development Senior Manager)することができました。
この時点で年収は前職初任給の2.1倍になっていました。
その後もこの部門で新製品の習得や担当パートナーさんとの関係構築、拡販のためのチャネル作りに精を出しました。
途中、日本だけではなく、アジア太平洋地域全体に新製品を展開する命も受けました。
この時に、西はインドから東はニュージーランドまで広範囲に担当することになり、多くの国に出張にいき、
国際経験をさらに積む
ことができました。
しかし、昇進&昇給も頭打ちになりました。
ある日、自分の職位(ジョブグレード)の中で自分の給与水準が、その職位の社員全体の中のどれくらいなのかわかるようになり、確認してみました。
そうしたところ、衝撃の新事実!、なんと
自分の年収はその職位の中でも低い方
だったのです!
そこで、あれやこれやと交渉しましたが、昇進しない限りは改善されないことが分かりました。
社内異動しても改善されないと感じた私は転職を決意します。
この時点で、私の年収は前職初任給から2.5倍になっていました。
2社目☛3社目の転職 ~年収3.75倍へ~
そこで、私は改めてスキルや経験、適性や自分のやりがいについて整理して、前回の社内での部署異動に照らし合わせて、このような条件を設定しました。
① 年収&待遇面が向上する。 ☛最低でも25%アップ!
② 昇進、昇給の目途がある。 ☛営業コミッションの付与がある!
③ 今までのキャリアを活かせる。 ☛パートナー部門での経験を活かす!
④ やりがいのある仕事内容である。 ☛強い製品で新たな開拓!
⑤ ワークライフバランスが保てる。 ☛労働時間が増えない!
⑥ 1年以内に転職できる。 ☛待つ必要がない!
今ままでは余り気にかけていませんでしたが、転職サイトやビジネスSNSであるLinkedInにプロフィールをしっかり書いていましたので、日ごろからエージェントやヘッドハンターからスカウトの連絡はありました。
GAFAMのような人気企業からもお誘いはありました。SAPのライバルであるオラクルからも直接採用担当者からも連絡は何回か来ました。
その中で自分の中で各社を徹底的に研究して対策をして、準備をしました。
そのかいあってか、人気企業であっても通常、書類選考、1次面接(現場マネージャーが面接官のことが多い)は通過することができました。
一部の会社は受けてみると仕事内容が自分のやりがいとズレていることもあり、こちらから途中で辞退させていただきました。
そして、結果として2019年の6月に現在勤務しているカナダのソフトウェア(SaaS)会社に転職することができました。
採用の決め手は下記の通りです。
- パートナー部門での十分な経験
- 日本における大手コンサルティング会社、SIerパートナーとの良好なネットワーク(人脈)&リレーション(関係)
- 製品、ソリューションに対する理解力
- 十分な英語力
- アジア太平洋地域での豊富な国際経験
部下はいませんが、アジア太平洋地域の責任者兼ディレクターのポジションとなり、会社は違いますが、
シニアマネージャー ☛ ディレクター
ということで、役職的には昇進することができました。
また、年収についても大幅に上がりました。
より営業部門に近い位置づけとなり、営業コミッションがあるポジションとなり、年収は前職初任給から3.75倍となりました!
今考えると、前職で部署異動してパートナー部門に移り、シニアマネージャーになってから少し長く在籍しすぎたかもしれません。
もう少し早く転職していれば、もう少し早く今の年収を実現できていました。
また、私はワークライフバランスにこだわりがあり、コンサルタント特にマネジメント職やなどとは違う道を行きました。勤務時間などにこだわりが無い方であれば、もっと高い年収を実現できると思います。
なぜ年収を3.75倍にすることができたのか?
私がキャリアップできたことを「因数分解」すると以下の要因にたどり着くと思います。
① 時代が求める専門性と付加価値(ITとビジネス、パートナービジネス)
② 英語と国際経験
③ ソフトスキル(コミュニケーションや思考のフレームワーク、管理スキル)
①については、私は父の影響もあり、コンピューター(IT)について専門的に学ぼうと決めました。
これは、最終的にITのビジネス、マーケットの成長もあり、見事的中!しました。
また、就職氷河期ということもあり、意図して経営学(ビジネス)を副専攻として学びましたが、これもITコンサルタントの仕事の就職に役立ちました。
ITとビジネスの知識・スキルは、時代が求めていたもので、このニーズにうまくフィットすることができました。
途中、営業支援に準じる仕事であるパートナービジネスの職種に方針展開しましたが、これもより付加価値のある仕事、つまるところ高い報酬を得られる仕事ということで、方針変更したことがプラスに転じました。
時代の求めるニーズに合致すれば、必ず相応の対価は得られる
のです。
次に②の英語と国際経験についてですが、ビジネスは日々グローバルになっており、やはり英語のニーズは高まっています。
英語はしっかり身に着けるという信念のものと、苦労はありましたが、留学を通して英語を身に着けることができました。
また、仕事を通して、英語に磨きをかけ、多くの国のビジネスに触れ、国際ビジネスの素養も養うことができました。
この国際経験は非常に貴重なものになりました。
なぜかというと、そもそも日本では話す部分での英語のコミュニケーションに弱く、これに対応した人の母数が圧倒的に少ないからです。
また英語ができても、日本では外資系企業の日本法人という形で「本社の販社」という位置づけで働くことが多く、本社(多くは欧米)の製品やサービスの日本の展開という、本社⇔日本の二元論に落ち着くことが多いように思います。
その点、私は本社(ドイツ)の製品やサービスを日本だけではなく、他のアジア諸国やオセアニアにも展開したことにより、国際ビジネスの経験に幅を持たせることができました。
自分でいうと胡散臭くなってしまいますが、正直ここまで国際経験を積んだ人は稀有な存在で、その分市場での価値が高まり、結果として高い報酬を得ることにつながります。
③については、私はたまたま就職活動でITコンサルタントの道を選んだのですが、その際に必要なプレゼンや文章作成などのコミュニケーション能力や、思考のフレームワーク(ロジカルシンキングやMECEなど)を高めることができました。
また、良くも悪くもITコンサルタントの時は仕事がハードでしたので、いかに効率的にこなすかを徹底的に考え、結果としてタスク管理、スケジュール管理、課題管理などのスキルが身に付きました。
もちろん、これらのスキルを磨いたり、経験を積むのには相当の努力をしました。挫折や失敗もありましたが、最終的に前をみて努力を積み重ねました。
英語は留学したから身に着けられないのではないか?
このnoteを読まれている方はには「この人は留学したから実現できた」と思われますが、そんなことは全くありません。
英語ができるようになったのは確かに英語の勉強をして、留学をしたからに他なりません。
留学してアメリカに4年も住み、大学を卒業しているので、その過程で英語はできるようになります。
しかし、日本の大学に進学して、また日本で会社員をしながら、英語を身に着ける術はいくらでもあります。
日本ではTOEICの本も多く出版されていますし、英会話についても最近は格安なオンライン英会話でスピーキングスキルを磨くことができます。
効率やコスパは異なるかもしれませんが、努力次第でキャッチアップし、追い抜くことは全く不可能ではありません。
事実、私は日系のメーカーである富士通さんや日立製作所さん、NECさんとも常にビジネスで交流がありますが、多くの方が純ジャパの環境にありながら、英語を身に着けてらっしゃいます。
また、日経のSIerの方でも苦労はあれど英語を身につけ、顧客の情報システムの海外展開の仕事をされている方もいらっしゃいます。
私は取り組みが早かった方なだけで、後でキャッチアップするのは可能なのです。
最新のITも留学したから身につけられたのではないか?
私が留学したのは、ソフトウェアを中心としたコンピューターサイエンスを学ぶのは日本ではほぼ不可能だったからです。
しかし今はどうでしょうか?
コンピューターサイエンスは一定のアカデミックな世界である程度の地位を気づき、多くの大学で専門的に学ぶことができるようになっています。
また、AIやビッグデータなどより専門的な勉強ができる大学も増えています。
さらにいうと、文系でも理系でも日本の場合は、社会に出て、コンサルティング会社やSIerに入社すれば、会社がしっかりとした研修を提供してくれて、3か月くらいの期間で知識的には一人前に育ててくれます。
ましてやビジネスは旧来から多くの大学で履修過程を設けていて、いくらでもチャンスがあります。
あなたが今、社会人であっても、MBA〇〇というような本を読めば、留学しなくても、MBAのコースにいかなくても、いくらでも学ぶことができます。
また、日本にはレベル別、テーマ別に多くのビジネス本、自己啓発本が出版されていたり、こちらのnoteなどの情報商材、YouTubeやTwitterのようなSNSを通して、いくらでも学ぶ機会があります。udemyやスタディサプリ、のような学習媒体&アプリ、大学や企業のMOOC(Massive Open Online Course)などの活用もあなたを後押ししてくれると思います。
(本以外は私が学生の時は存在せず、体系的に学ぶには大枚はたいて留学するしかなかったのです…)
英語と同様にこちらも日本にいながら努力次第で身に着けることができます。
日本はチャンスの国
結局のところ、日本には多くの学習機会があるということです。
私はたまたまアメリカ留学によって、比較的早い段階から①と②のニーズの取り込みに成功しましたが、日本に居ても、特に社会に出てからもいくらでも学習してキャッチアップできる機会があるのです。
前章で説明した3つのポイントが方向性を示していると意識しながら、努力してみてください。
重要なのは、
方向性(質) x 努力(量)
で生まれるアウトプットの総量が成功につながるのです。
この総量が上がれば上がるほど、あなたの市場価値は高まり、年収は上がると思います。
日本はいくらでもチャンスがあります。あきらめずキャッチアップしてください。
可能であれば、サポートをお願いいたします!