マガジンのカバー画像

「生きづらさ」について

10
「生きづらさ」に焦点をあてたnote。社会的マイノリティな特性や、無意識のバイアス、ダイバーシティなどについて。
運営しているクリエイター

記事一覧

固定された記事

自身も差別に加担していると自覚すること ~マジョリティ側の特権について~

差別について語らない社会というのは、(たくさん存在する)差別がないことになっている社会である。 差別について語らないひとは、レイシスト(差別主義者)を育てることに加担している。 以上の、出口 真紀子さんによる講演記録がとても素晴らしかったので、それについてのnoteを書く。社会のマジョリティ側が気付かずして持っている「特権」についての話。 差別は個人の課題、つまり「差別をする人が悪い、その人の責任だ」というだけではなく、構造的、文化的な問題であるということが書かれてある

身体が思い通りに動くよろこび、そして動かなくなっても

日常において自分は健常者だが、スポーツにおいては障がいを持っていた。 15年間の卓球漬け生活のなかで、「身体が思い通りに動かない」という大きな壁が、常に目の前に立ちはだかっていた。 当たり前にできていた動作が突然できなくなる、というのは理解が追いつかないほど衝撃的で、自身の努力でどうこうできる問題では無いと悟ったときの絶望感はすさまじいものがある。 スポーツで見られるイップスや、音楽などで見られるジストニアには、意識とは関係なく、身体が意図していない動きや硬直をする症状

2023年の振り返り「没頭と人間的成熟」「自然資本と環境問題」「マイノリティと人権問題」

雪で覆われた乗鞍高原で過ごす年末。2023年の振り返りもしつつ、今後の人生で達成したい社会課題についても書いてみようと思う。けっこう長いしまじめなnoteです。 2023年の振り返り ~生活と遊びを深める~今の自身の生活がよいものかどうか判断するときに、自分が重要な指標にしているのは、「没頭」と「人間的成熟」という2つの側面。これら2つが達成されていれば、自分は生活に満足して心身豊かに毎日を過ごせる。 「没頭」という観点から2023年を見ると、非常に遊びを深められた一年だ

簡単には共有し得ない感覚があるとき、どうすればいいか

自分が身体障害と向き合っていたとき苦しかったのは、「この自分の身体や心が感じている気持ち悪い感覚をわかってくれる人はいないのではないか」ということだった。 自分の感覚をいくら説明したとしても、相手が完全に同じ体験をするわけではない。理解しにくい感覚であるほど「わかってもらえた」と思えることは少なく、むしろ孤独感を強めることもある。 このように他者に共有するのが容易ではない感覚で苦しみを持つとき、どうすればいいのか。そして自分には到底感じ得ることができない感覚を他者が持つと

偏食と「自分のせい」について

自分は幼少期から10代までかなりの偏食だった。野菜はほぼすべて食べられないので、小学校6年間の給食は完食したことがない。毎日片付けの時間にしれっと残すか、何でも食べてくれるクラスメートがいるととてもありがたかった。 今朝、発達障害のある子どもは偏食であることが多いという記事を見て、自分も食生活で苦労した経験がいろいろあるので、文章を書いてみようと思った。 「食べたくない」のではなく「食べられない」偏食の人は必ず言われたことがある、「何で食べないの?」「好き嫌いせず食べなさ

「身長高いね!」は褒め言葉、という無意識のバイアス

自分は身長が185cmある。はじめましての挨拶の際には、「身長高い!何センチですか?」「185cmぐらいです〜」というやり取りを、かなりの確率でやる。たぶん1000回以上している。 ここでおもしろいなと思うのは、必ず肯定的な言葉をもらうということだ。「身長高くて良いね〜」「スタイルいいね〜」など。「モテるでしょ〜」とあっさり言われることもある。 こういうシーンで、身長が高い=良いこと、褒めていい、という概念が浸透していることを実感する。 ではここで、自分が身長が高いこと

ジェンダーステレオタイプは、いつ形成されるのか? ~「男性は〜」「女性は〜」 ~

以下の研究を見て、「多くの人に浸透しているジェンダーステレオタイプは、生まれてからいつ形成されるのか?そんな情報をいつ浴びたのか?」ということに興味が湧いてきた。 全世界共通で持っている(持たされている)観念、というだけでおもしろいなと思うし、無意識のバイアスとどう向き合うか、というダイバーシティの観点からも、ステレオタイプは外せないテーマなのでよく調べる。 今回はジェンダーステレオタイプについての研究やおもしろかった記事をいくつか挙げていく。 https://www.

賞賛から生まれる副作用 ~社会的圧力とどうやって向き合うか

誰からも賞賛される物事がある。仕事、料理、人と円滑に喋れること、運動していること、夢に向かって努力していることなど。それらを自分が持っていると「すごくえらいこと」に当てはめられて、他から賞賛されるようになっている。 たとえば、楽しく働くことは誰からも賞賛される。「やりがいを持って働くのはすばらしい」「自分らしい働き方を」という言葉は大量に流れている。 しかし、この賞賛される物事にあてはまらない人は、否定されているような感覚になる。楽しく働けていない人、働くことが困難な人。

「周囲との違い」を見つけてしまうとき

人はどんな欠乏でも経験すると、それに心を奪われる。心は自動的に、否応なく、満たされていないニーズのほうに向かってしまう。 いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学という本に、この言葉が書かれていた。 *** 月に1回のオンラインカウンセリングを10月から受けている。4回目となると緊張も少なくなって、本音で話せるようになってくる。 毎回カウンセラーさんからいただいた気づきや捉え方は、生活にとても活かされていて、自分の中での複雑な部分がすっきりしていく感覚。 過去

同じ悩みを持つ人はきっといる~自分はマイノリティだと感じる人へ

「こんな悩みを持つのは、自分だけ」「わかってくれる人なんて周りにはいない」 そう思っていた時期が、僕にはある。 「イップス」という、身体が思い通り動かないスポーツ障害に、12歳から8年間かかっていた。今も治ってはいない。 イップスという症状自体はそこそこ知られているものの、実際に経験する人は極めて少ない。20~30人のチームメイトにはもちろん存在しないし、周りの知り合いにも聞いたことがなかった。 そんな稀有な症状に自分がかかった。 上記のツイートにも記したように、イッ