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賞賛から生まれる副作用 ~社会的圧力とどうやって向き合うか

誰からも賞賛される物事がある。仕事、料理、人と円滑に喋れること、運動していること、夢に向かって努力していることなど。それらを自分が持っていると「すごくえらいこと」に当てはめられて、他から賞賛されるようになっている。

たとえば、楽しく働くことは誰からも賞賛される。「やりがいを持って働くのはすばらしい」「自分らしい働き方を」という言葉は大量に流れている。

しかし、この賞賛される物事にあてはまらない人は、否定されているような感覚になる。楽しく働けていない人、働くことが困難な人。自分は賞賛される生き方ではないのだと。自分は不適合なのだと。なので、この圧力を受けないようにできるだけ普通になろうとする。賞賛の副作用としてこれらが生まれる。

この否定されている感覚、居心地の悪い感覚を取り除くのは難しい。どんな集団単位でも、マジョリティからの無意識の抑圧を受ける側の人々がいる。

そこに優劣はないはずなのに、優劣があるかのように社会に浸透している。そういう物事はたくさんあるだろう。


社会的圧力や、社会的マイノリティに関心があって、世の中に存在する価値観に当てはまらないときにどう対処するか、ということをよく考える。

社会的圧力 social pressure
凝集力の強い社会や集団における行動の基準 (たとえば慣習,社会規模,集団標準など) に対して成員が逸脱的行動に出る場合に,社会から強い圧力の加えられることをさす。

先日も「母親になって後悔してる」という本を読んで、同じことを考えていた。「母親になることは素晴らしい」「子供を持つことは素晴らしい」という圧力にさらされて母になり、「母親になったのだからしっかりしなさい」「育児がうまくできない母親はダメ」というレッテルを次々に貼られるおそろしさ。


こんな記事もある。マジョリティの特権を可視化する ~差別を自分ごととしてとらえるために~

「自分は差別なんかしていない」と思っているマジョリティ側が、実は目に見えないゲタを履かせてもらっていることにまずは自覚的になり、その理解を踏まえてマイノリティについて新たな考え方や行動様式を取り入れていくことである。

特権を持っている側がそれに気づいて、動かなければならないということ。「自分の特権に気づく」ということから始めたいと思う。

そしてなにかを賞賛するときは、社会的圧力に加担していないか、ということを自身で問い続けたい。

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