見出し画像

簡単には共有し得ない感覚があるとき、どうすればいいか

自分が身体障害と向き合っていたとき苦しかったのは、「この自分の身体や心が感じている気持ち悪い感覚をわかってくれる人はいないのではないか」ということだった。

自分の感覚をいくら説明したとしても、相手が完全に同じ体験をするわけではない。理解しにくい感覚であるほど「わかってもらえた」と思えることは少なく、むしろ孤独感を強めることもある。

このように他者に共有するのが容易ではない感覚で苦しみを持つとき、どうすればいいのか。そして自分には到底感じ得ることができない感覚を他者が持つとき、どうすればいいか。これは自分の中にある1つのテーマであり、調べることの多い分野である。

たとえば以下の論説では、自閉症スペクトラム障害(ASD)児の特別な感覚に対して、どのように周囲が支援すればいいのかという内容で書かれている。
https://i.kawasaki-m.ac.jp/mwsoc/journal/jp/2017-j27-1/P13-P26_morito.pdf

「父母に抱きしめられても耐えがたい痛みを感じていた」5)と触覚の困難を語る一方で,「多くのASD児について,本当はスキンシップを求めている,狭くて居心地の良い場所に体を押し込むのは大好きだし幸せな気分だった」5)と表現し,「ただ,いつ,どのくらいの強さで体を締めつけられるのかを決めるのは自分でなくてはならない」5)と感覚特性を理解することが容易ではないことを示している.

触覚に非常に敏感な特性を持つ場合、抱擁が耐えがたい苦痛になるという。
他にも、味覚、嗅覚、聴覚などそれぞれで、一般的には気にも留めない場面が当事者にとっては困難の対象となる。

加えて、本人が自分自身の感覚の辛さを伝えることができなければ、周りも問題に気づけずに、正しく支援できない。伝えようと努力しても、理解されず、傷つくかもしれない可能性もあるなかでコミュニケーションするのは容易ではない。



日常的なシーンで、たとえば食事を共にしていても、舌で同じ味を感じているわけではない。同じ映画を隣で見ていてもそれぞれが感じているものは違う。「この色綺麗だね」と話していても、完全に同じ色には見えていない。

他者とつながりを感じたり、感覚や思いを共有することで安心したり、信頼したり、好きになったりするけれど、感覚があまりに乖離していてつながりを感じられないこともある。

自分では到底想像し得ない、感じ得ることができない感覚特性を持つ人に対して、何ができるのか。ずっとわからないし、完全に同じ感覚を持つことはできないけど、想像できる限りを尽くして、「あなたの味方だよ」という姿勢は貫きたい。


読んでいただきありがとうございます。「書くこと」を通して、なにか繋がりが生まれればうれしいです。サポート代は書籍の購入や旅の費用にあてさせていただきます。