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窓のない部屋にWindowsXP

9月1日は、子どもの自殺が最も多いと聞いた。

「夏休みが終わったら学校にいく」
「冬休みが終わったら学校にいく」
「春休みが終わったら学校にいく」
「ゴールデンウィークが終わったら学校にいく」

学校が長期休暇に入るたび、何回、母親に約束させられただろうか。

目の前の安直な安息と引き換えにされたそれは、
必ず条件付きだった。
約束を破ることが決まっているのに、約束をしないとその場が収まらない。

母親とか社会とか世間を欺くような圧力をもって長期休暇は僕を苦しめていた。

それでも、「夏休みが終わったら何事もなかったかのように学校にいけるようになる」という希望も微かに持っている僕もいた。だから、何度も僕は僕自身に幻滅した。「死にたい」と思った。

「どうして学校にいけないの?」「どうして他の子みたくできないの?」「お母さんが悪いの?」「そんなんじゃ社会に出て生きていけないよ!」

9月1日の朝。
悲鳴のような罵声を浴びせられた。
条件を満たせない僕は、永遠に許されることがない罪人であり、
世間に恥ずかしい存在であり、理解できない異物だった。

ふと、鬼ヶ島にいる鬼のような気持ちになる。
島に隠れ住んでいるのに、「鬼退治」と称して桃太郎たちは攻めてくる。
異物は、とことん排除するのが正義であり、
それが僕のためであり、世間のためらしい。

僕は僕の鬼ヶ島といえる自室に引きこもり、そっと桃太郎が去るのを待った。

ところで、僕の部屋は、正式には部屋ではないことを最近知った。
建築基準法で「採光が確保できる窓」が無い部屋は「無窓居室」というカテゴリになり、平面図上では「納戸」「サービスルーム」と表記されるらしい。

「無窓居室」である僕の部屋には
もちろん窓はない。エアコンもない。暖房もない。
光も風もない真っ暗な部屋だ。物理的にも感情的にも、闇の中で息を潜めていた。

そんなある日、光明が刺した。

離婚して別に暮らす父親から古いパソコンを貰った。
16才の梅雨の時期だった。
モニターに映し出されたのはどこまでも続く平原と青空だった。

それは確かに、新しい扉だった。
くだらない掲示板を覗いたり、ファンだったaikoのホームページの更新(手書きのイラストと変態少女文字で書かれたメッセージがアップされる)を楽しみにしたり、WinMXとWinnyで音楽や映画やドラマを漁った。会ったこともない人と掲示板で知り合ってメル友になったけど、怖くなって拒否したり、「ここではないどこか」をネットの世界で探し彷徨った。

結局、ネットに「ここではないどこか」は無かった。
けれど、大学生が運営するコミュニティスクール(格安で英語・ピアノ・料理などを教えてくれる)をネットで見つけて、怪しいな、カルトかな、それならそれでいいや!と飛び込んだことが、僕の人生のターニングポイントになった。

そのコミュニティスクールを仮にSセンターとする。

そこには国立大学の学生を中心に、留学生や障害者、子どもから高齢者までもが参加していて、僕が不登校だったことなんて霞んでしまうくらいにいろんな人間がいた。
普通になれないことを否定され続けた僕だったのに、もっと普通じゃない人たちが楽しそうに生きている。

人間同士が関わる以上、全部が仲良しというわけではないけれど、お互いが「違う人間」という前提から始まる関係性は、僕をホッとさせた。

「どうして学校にいけないの?」
学校という閉鎖されたヒエラルキーの世界に生きたくないから行かないんだ。Sセンターには通えてるよ。

「どうして他の子みたくできないの?」
当たり前だ、他の子と僕は違う人間なのだから。僕は僕のやれることしができない。

「お母さんが悪いの?」
僕が決めたことだから、僕の責任だ。勝手に背負って悲劇のヒロインをしないでくれ。

「そんなんじゃ社会に出て生きていけないよ!」
もっとヤバそうなヤツがここには山ほどいるけど、みんな生きているよ。社会はバカみたいに広いんだ。

今なら、母に・当時の僕に、そう言ってあげられるのにな。

考えてみると、人生のターニングポイントにはWindowsXPがあった。初めてのアルバイト、高卒認定試験(大検)、大学受験etc……。

パソコンの壁紙は、初期設定の草原と青空のままだった。ここではない、光が差し心地よい風が吹く草原を駆け抜けるイメージが、変化していく自分と重なった。そんな理想と醜い自分という現実とのギャップにもがき苦しむのだが、辛いけれど昔よりはマシな気がした。唇を振るわせながら戦って、たくさん負けて、ちょっとだけ勝つことができた。


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