コミュニケーション欲の話

最近コミュニケーション欲について考えていて、別にこれと言った何か答えがあるわけではないですが、今の自分の状態などの記録しておこうと思います。

イケハヤさんのボイシーを聞いていてふと耳に残った『コミュニケーション欲』という言葉。

要は誰しも、いくら一人の時間が好きな人でも、コミュニケーションに対するある程度の欲求があって、それが満たされないと辛いし、故に無駄なコミュニケーションに走ってしまうという話。

このコミュニケーション欲というのが、イケハヤさんが言ってるのと私が感じているものと同じものなのか、そして大方の人が本当に抱えているのかということはわかりませんが、ボイシーを聞いてまさに私が足りていないものはこれかと考え始めたところです。

私は2016年の秋から留学し始めて、今年でヨーロッパ生活三年が終わろうとしています。最初の一年はイギリスのヨークで、最近の二年はハンガリーのブダペストで生活しています。なのでここ三年は日本から離れて、ずっと一人で生活してきました。

一人暮らし自体は大学生から初めて、それまではずっと両親と弟と住んでいました。途中数ヶ月実家に戻ったこともありましたが、一人暮らし歴は合計で五、六年ほどで、その後留学したような形になります。なので留学=初めての一人暮らしというわけではありません。

留学中のコミュニケーションはというと、イギリス時代はシェアハウスで他五人の学生と住んでいましたが、特にめちゃくちゃ交流するわけでもなく(キッチンで会ったら話したりたまに飲みに行く程度)、ほとんど孤独に授業かそれ以外は図書館で生活していました。お世話になっていた先生や同期の友達もいましたが、こちらもたまにご飯や飲みに行ったりという程度。

今はハンガリーにきて、色々要因があるとは思いますが、特に学部の規模が小さいがために、授業であろうがプライベートであろうがとにかく自分が喋る機会はかなり多くなった気がします。イギリスの時は百人を超えるクラスだったけど、今はクラスに六人しかいません。とてもアットホームでフレンドリーな雰囲気がいいなと思ってこの大学を選んだわけですが、小規模が故にみんな私に話しかけてきますし、定期的にプライベートな集まり(飲む、映画、読書会、ボードゲーム、音楽演奏・鑑賞など)に参加する機会も増えました。

さらに私の場合は去年からSNSでもコミュニティーに所属しているというか、知り合いの人がいるので、毎日誰かとオンライン上で話したり、たまに音声メディアでラジオ配信的なものをしたり、誰かと常に交流している状態といえばそうだなと思います。SNSは唯一の日本語での発信源なので、特に中毒的になりがちなのかもしれません。

今はまだ精神面では調子がよくて(おそらくジムに行き始めたことと、積極的にプライベートのお誘いを受けるようになったこと、定期的に連絡取る人ができたこと)、以前と比べるとネット中毒的な症状も(投稿数はまだ全然減らないんだけど)、感覚的には少しずつ少しずつましになってきている気がします。

コミュニケーション欲の話に戻ると、日本で一人暮らしをしていた時には感じなかった、常に誰かを求めるような欲求を感じます。日本にいる時にも感じてなかったことはないと思うのですが、特に留学前の仕事(本・雑貨屋さん)がかなりいろんな分野でのコミュニケーションを必要とする職業だったので、それでもうお腹いっぱいというか満たされていたのかなとは思います。

やっぱり留学は私のように一人が好きだと思っているような人間でも孤独なようで、特に母国語でのコミュニケーションを欲するようになったと思い始めるようになりました。とはいえ海外生活一、二年目はまだ新しいことも多く、そもそも環境に適応することが精一杯だったので(イギリスに引っ越し、翌年にはハンガリーへ)、常に日本語は恋しかったけれども今と比べるとだいぶ落ち浮いていたような気がします。同じ場所で二年目を終えようとしている今は、これまでと違った欲求があるなぁと日々痛感しています。

コミュニケーション欲というのは厄介で、SNSで数多の人と交流するようになってから特に気づきましたが、誰でもいいわけではないんですよね。コミュニケーションの量だけでいうと(質はおいといて)、今が人生で最大なんじゃないかなぁとすら思うほど、毎日色んな人と話すなあと思うわけです。でもこれでは全然満たされる感じははない。

少し前に若干鬱っぽいような気持ちになった時は、毎日書きたくもないのに大量にSNSに投稿して(今もたまに発作みたいにありますが)、若干気持ち悪くなりながらも、何かを常に発信し続け、それに反応があろうがなかろうがどうでもよくて、ただ書くことに意味があったように思います。今は依然投稿数は多いけど、でも単純に楽しいなぁと思いながらやっていることが多いし、割と本業の研究も手を付けることができるようになりました。

先のイケハヤさんの記事にあったように、彼にとっては家族(妻・子供)さえいればもう欲求が満たされるようで、余計なコミュニケーションを取らなくなって一人の時間が充実しているようなのですが、私の場合も果て特定の個人(あるいは小集団)を見つけることができれば、この欲求は収まるのかどうかと考えてみたり。

しかしながらこれは人間の三大欲求と同じで個人差がすごくある気もするんですよね。私は多分人が好きで、常に刺激的なコミュニケーションを求めている気がしています。今SNSに全力を注いでいるこのエネルギーを何かうまく分散させる手はないかと思っているところです。noteもその一つではあるけど、基本的に方向性が一方なので、もっと相互的な媒体に巡り会えればなぁ。

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