#20 兼業生活「自分らしく、みんなのために」~狩野俊さんのお話(2)
「余分」といわれているものに目を向ける
室谷 狩野さんがいま進めている「本の長屋」プロジェクトは、本を通して人がつながることを目指しています。狩野さんが若いころ屋台でお酒を飲んでいた思い出を綴ったエッセイに、人が集まることを描いた場面があって。これが居場所づくりの原点なのかな、と感じました。
狩野 あのころは地方から出てきたばかりで、それまで出会ったことがないようないろんな仕事をしている人たちと屋台で会って話を聞いて。それがすごく面白かった。僕は本が好きですが、人間の肉声というのも、情報量が多くていいものです。その後、自分が飲食店のカウンターに立つようになって、相変わらずいろんな人が集まって話すのを聞いている。結局、一番楽しんでいるのは僕だろうと思いますね。
それこそ、うちの店には本好きな人が集まるし、アカデミックな分野の先生や出版社の人もよく来ます。日本の近代化について論じるのを聞いて刺激を受けたり、知的な楽しみが多い。日常のおしゃべりも、印象に残る言葉がいっぱいあります。
あるとき女性同士が話し込んでいて、「なんで男ってあんなに別れてから頑張るんだろうね。頑張るんだったら、付き合ってるうちにがんばれよ」と言ったのを聞いて、「そうだよなあ」とすごく納得しました。市井の人の声って、ときどき神様のお告げを聞いているような感じがします。
昔のことでいまだに覚えているのは、すごく仲の良かったご夫婦にもめごとがあり、離婚したときのこと。男性はずっと元妻のことが好きだったようで、しばらく経ってから店に来て、友人と飲みながら「当時は自殺も考えた」と切々と語るんです。その話を聞いている相手の方が泣いちゃってね。あれは忘れられません。
世の中には借り物の言葉で話す人も結構いると思いますが、僕がカウンターで聞いた話で、そういう言葉は記憶に残りません。どんな人であっても、生きている実感から出た言葉はインパクトがあってずっと残りますね。
室谷 私も仕事でいろんな方にお話を聞きますが、1人として同じ人はいません。工業製品ではない生身のものだからふぞろいで、そこが人間の面白さですよね。だからこそ人が集まる場所には面白いことが起きるのだと思います。一方で今の東京は、共同体と呼べるものがどんどん減っています。
狩野 地域住民が参加するお祭りがあるとか、自営業を継ぐ人が多いとか、そういうものが残っていれば別でしょうけど、そんな場所はもう少ないですよね。たとえば外から越してきた一人暮らしの大人が、いきなり住んでいる地域の自治会活動に参加しようとしても、なかなか溶け込みづらいかもしれません。
ちょうど昨日、電車で通信会社のコマーシャルを見ました。地方に赴任したバスの運転手が、いつも乗ってくるおばあちゃんがいないのに気がついて心配する。どうやら体調が悪いとわかり、ドローンで必要なものを届けるようになる。「テクノロジーが独居のお年寄りの不便さを解決します」という一見いい話なんだけど、根本的な問題は残されたままだよなあ、と。
このおばあちゃんが大きな病気にかかって動くこともままならなくなるとか、孤独死するとか、それ以前に独居の精神的な寂しさとか。人が生きて、徐々に死に向かう過程で起きる問題を、そんなに簡単にテクノロジーが解決してくれるとは思えません。
室谷 ドローンまでいかなくても、いまはネットで簡単に買い物もできるし、人と交流しなくても物理的には1人で生きていかれる。でも、それでいいということではないですね。
狩野 テクノロジーを使えば便利で、楽かもしれないけど、そのことと生きている満足感をどれだけ味わえるかはまた別の話でしょう。以前、東浩紀さんが「映画を観るというのは、自宅を出て電車に乗って映画館に行き、チケットを買って座席に座る。そこで何か食べながらスクリーンを観るというプロセスすべてを指すのであって、一部を切り取って『コンテンツ』というのは違うんじゃないか」とおっしゃっていて、そのことと通じるような気がします。
情報とか、テクノロジーとかだけではなく、その周辺にあるものに目を向けること。余分だといわれるようなものが人生に与える影響って実は結構大きくて、そこにもっと気を配るべきじゃないかと思います。
(つづきます→「お金じゃなくて知が増える、『知本主義』」)
※写真はすべて友人である写真家の中村紋子さん@ayaconakamura_photostudio によるものです