自由に表現できる喜び
絵を描くのもなにか作るのも子供の頃から大好きで、こうしてnoteに文章を書いてるように、書くことも大好きだ。
子供の頃、手紙を書くのが好きだった。
友達とやりとりした手紙は大きな巾着袋いっぱいになり、数年前までとっていた。
中学生になったら、友達と交換日記もした。
その日記帳は今でも捨てられずにとってある。
大人になっても手紙を書くのは好きだった。
外国から手紙を出したり、もらったり。
外国で仲良くなった友達に手紙を書いたりもらったり。断捨離が流行ってもなお捨てられずにとってある。
そして時代は変わり、個人宛てのものは手紙からメールに託され、誰宛てにというわけではない気持ちは、snsで表現されることとなった。
とにかく、私は人一倍内側にあるものを出すことが好きなのである。
なぜこんなにも出したいのか?!?!
自分というものをわかってもらいたいのか?
書くことで自分も自分についてわかることがある。
普段ふわ〜っとしか抱いてない気持ちを言葉にするっていうのは、自分の中をハッキリさせる。
言葉にするとき、その想いを正確に伝えたいのであれこれ考える。
自分が思う自分をちゃんと伝えたくなる。
今がまさにそうだ。
あまり何も考えず、さらさら〜といくこともある。そんなときは見えない誰かに手伝ってもらってるな〜と思う。
ということは、今日は自力で力んで書いてるのかもしれない笑。
そんな私とは反対に、元だんなさんは、公に自分の気持ちやプライベートなことを出すのを嫌がる人だった。そういうものは大切な人とだけシェアすればいいという考えだった。
そしてそれを私にも求めた。
出会ってまもない頃からよくケンカをしていたが、ケンカの原因は、ほぼこのへんの考え方の違いで、離婚の原因となったのもこの二人の考え方が永遠にすれ違ったままだったからだったと思う。
私はブログも書きたいし、Facebookにあれやこれやも書きたい。
私は顔を出すことも気にしないし、超オープン。
彼はとじてる人だった。
かといって暗いというのではない。
なんなら私以上に明るかったと思う。
明るさとオープンさはイコールではないし、明るさとおもしろさもイコールではない。
おもしろさでいうなら私の方が断然おもしろい!
なんの自慢?笑
話がちょっとそれたので戻そう。
私にとって、表現をしたいだけ好きにするというのは息をするのと同じぐらい大切なこと。
じゃあ、彼の言うように彼とだけ自分の気持ちをシェアしたり、ほんの一部の仲の良い友達とだけシェアするのではなぜだめだったんだろう?
あの頃もそれを考えてみたが、何を思ったのか思い出せない。きっと何も見つからなかったのだ。
今同じように考えてみる。
バシッとこれ!という答えが見つからない。
なんというか私の世界の一部とだけシェアするのは面白くないのだ。
ちっちゃい。
自分の世界全体と分かち合いたい。
多様性の中で交錯し、自分を感じたいというところか?
自分の世界の一部とだけシェアしても生きることにはならない。
いやー考えてもわからんーーー。
きっと、この次元で理解できることじゃないのかもしれん。
うん、そうゆうことにしとこ。
その方が答えでんかった理由にもなるしカッコイイ。
頭で考えてもわからない理屈抜きの衝動ってのはその人にとってとても大切なものだと思う。
そこが相入れないのは致命的。
その他のことは本当に優しく、いつも私の味方でいてくれた元だんなさんだったが、ここを受け入れてもらえないというのは、何よりも容赦なく、残酷なことで、優しさってなんだろうと考えたりもした。
私の立場からするとそうなんだけども、彼からしたら同じく、私のしてることは彼にとってとても残酷なことだったはず。
男性はあまりオープンにするのを好まない彼のような人が多いのかもしれませんね。
あれこれ出してるインスタ、よかったら覗いてみてください♪
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