デザインは爪楊枝?魔法のステッキ?
最初の投稿は何を話そうか、
山ほどアイデアが頭を駆け巡っていますが、
やはり自分の起源を話すのが先だろう、と思い、
今日は自分の核についてお話ししたいと思います。
私の生い立ちを話すことになると、
アートのお話になりがちですが、なかなか新鮮かと思いますので最後までお付き合いください。
1.私はどこから生まれたのか?
わたしは、現代アーティストであり
現代アートの教授でもある父親と、
プロダクトデザイナーと母親のもとに生まれました
生まれは福岡県飯塚市、
その後すぐにアメリカ・フランスに在住し、スクールに通い、その後の学生生活を千葉県、東京都と転々とします
当時の現代アートのうち、
"もの派"の1人として活躍した父と、
20年間私は生活を共に過ごし、様々な経験を知らぬ間に共有してきました
コンテンポラリーアートの最先端と呼ばれるアメリカニューヨーク州のアートシーンを肌で感じ、私は幼少期を、まるで現代アートが酸素だ、というくらい
そばにあり近くにあることが必然で、
コンテンポラリーアートが生み出す独特な空気感
世の中のなによりも先進的、前衛的な空気感を感じて育ちました
父の生きた時代から、私の幼少期は
日本の現代アートに勢いがあり、私はそのコンテンポラリーアートを目の当たりにし、ありあまるパワーで私は形成されたのです
ただ連れ回されていただけです
しかし不思議なことに子どもというのは全てを感じとります
わかるわけのないコンテンポラリーアートを
理解せずとも感じとるのです
コンテンポラリーアートは非常に社会と密接に関わっている場合が多く、
大人でも"何が何だか?"みてもわからない
(理解することが良いことなのか、理解すべきなのか、分からない人は理解しようとしているのか、
などの論点は置いといて。)
なんて展覧会でよく口にしているおばあさま達を見かけることもありますが、
決して単純な作品はなく、単純な作品も一周回って単純になっていたり、まったく複雑だったり、
少なくとも、まだ話すこともできない1歳の女の子に全て理解できるような代物ではありません
ですが、だからといって美術館を駆け巡り
アーティストのお兄さんをぼーっと眺めていたわけではないらしいのです
私はこの20年間、自分の脳が成長するとともに
現代アートと呼吸をし、目を養い
考え方を変えながら生きてきました。
わたしは故郷がどこであるかと聞かれると
割と困ります
福岡は生まれた時しかいなかったし、幼少期は外国で育ちました。しかし学生生活は千葉や東京で育ったため、明確にどことは言えません
わたしはどちらかというと
変化するコンテンポラリーのアートシーンの中で
生まれ育ったのです。
2.私が爪楊枝を魔法のステッキにできた理由
私はデザイナーの母親をもちつつ、全くもって母親のデザインに興味がありません
今もです(笑)
母親のデザインは素晴らしく魅力深いものです
しかし"自分がやるとなればまた別の話になるモノ"
として感じてきました
それでは、コンテンポラリーアートの世界に行くのでは?と思うのが普通ですが、その通りで、私はコンテンポラリーアートを学ぶ気満々で17歳まで生きていました
しかし、父親が頑なに拒否し否定したため、わたしはその道を諦め、デザインの道に入ることを決めたのです
全く興味がなく、得意でもないデザインを
どう自分の武器にするか悩みました
最初は魔法のステッキを持つつもりが、
爪楊枝を持たされたような気分でした
デザインについて、
わからない、なかなか気が向かない、
わかろうとしてる時点でもう魅力を感じていない
そんな状況でした
なによりアート思考からデザイン思考に
思考を転換させることがとても難しいことでした
20年間アートを吸い続け生きてきて、
脳もアート脳で、無意識に作品にもアートへの感覚が滲み出てきます
それなのに受験の時にデザイン思考を美術予備校で
ブッ込まれ、たまったもんではありませんでした(笑)
受験は受験で楽しかったですが、
大学になんとか合格し、
さあ好きなことやってやろう!と奮い立ちましたが、
やはりデザイン科に入った以上は
"共感"というキーワードを放棄することはできませんでした。
(アートでも大事ですが、デザインの場合大事どころでは無いくらい重要です)
そのためわたし美術界、デザイン界の中で長く議論されてきた、デザインとアートの中間地点について深く興味をもつようになりました。
そこでわたしは生まれた時から今までずっと
自分の中にある一つの核をみつけました
デザインの力で、アートと人々を繋ぐ
これがわたしの核です
先程、コンテンポラリーアートの展覧会で
「凡人には何が何だかさっぱりねぇ、」
なんてよく聞くというお話をしましたが、
パパの話を周りの友達に先生にはなしても
よくわからないねぇ、そうねぇ、と諦めモードで話されてしまうことが多くありました。
(それはそれでいいのですが、それはそれでいいと言えるようになったのもちゃんと理由があるのです)
私は生まれた時からさっぱりなアート作品から
得体の知れない何かをもらったのに、
一般人には…凡人には…なんて!
そんなこと言わないで!
と幼い時は思っていました
そんな時、北川フラムさん率いる地域芸術祭であったり、パプリックアートの浸透の影響で、
社会に浸透するアートがとても魅力的でした
そのようなアートの姿や、地域に根強く結びつくアーティストたちが大好きでした
そこでわたしは魔法のステッキとして
デザインの力を借りることにしたのです
デザインは今のところ、アートよりも
より生活の身近なところにあります
それは共感がキーワードだからです
わけわからないけど何かをもたらしてくれるモノ
を、デザインの力で
アートを深く知らない方々に
生活を豊かにするために
繋げてあげたいとおもったのです
それがわたしの場合、経済、経営にまで繋がってきたということで
デザイン×アート×経営
となっているわけです。
こうしてわたしは20年を経て
やっと自分の力を発揮する目的を何となく掴み取りました。
これからもまだ、多角的に挑戦をするつもりです
本当にやりたいことは未だにわかりません
わたしにとっては現代アートよりも
自分自身の方が謎で不思議で仕方ありません
ですが、ワクワクすることがとても多くて
わたしはこれからもデザインとアートを
手放すつもりはありません
魔法のステッキが超能力になるくらいまでは
とりあえずがんばろうとおもいます^_^
次回からはわたしの面白いと勝手に思っている
考え方についてはなします!
最後まで読んでくださりありがとうございました
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