なんちゃってイクメンだったぼくを、三男が親にしてくれた話
「陽性反応でたよ」
仕事中、突然飛び込んできた妻のLINEを見て、ぼくは驚きのあまり思わず椅子から飛び上がった。
突然、飛び上がったぼくを、周りの人が怪訝な顔で見ている。
落ち着いてLINEを見返したけれど、やっぱりそこには「陽性」の二文字がある。
まさかの3人目の妊娠が分かった瞬間でした。
最初の出産で、妊娠するまであんなに苦労したのだから、簡単にできるわけがないと思っていたのですが、妻としては「わたしは2回目だからね。この感じは”来ている”と思ったよ」と、謎のシックスセンスで3人目の妊娠を確信していたようでした。
この突然の三男の誕生によって、ぼくは思いがけない自分自身の変化を経験することになるのですが、妊娠発覚時はそんなこと、まったく思いもしませんでした。
この記事は、それなりにパパと夫をしていると思っていた「なんちゃってイクメン」だったぼくが、本当の父親と夫になるまでのお話です。
うちの夫は「なんちゃってイクメン」のくせに「イクメン気取り」で困っているとか、なんでもやっているのになんで妻は文句を言うんだ?と悩んでいる方の参考になれれば嬉しいです。
意外にすんなり通った3ヶ月の育休申請
三男の妊娠が確定した段階で、ぼくは会社に三ヶ月間の育休申請をしました。
男性でそんな長期の育休を取った人はおらず、育児給付金の存在を知っている男性上司も少なかったため、「収入が途絶えてやっていけるのか?」と、仕事以外の面で気にかけられたのが意外でした。
ありがたいことに、三ヶ月間休みをもらうことに対して、会社側はネガティブな反応を一切せず、すんなりと申請は通り、引き継ぎに向けて急ピッチで仕事を進めていきました。
ですが、徐々に体が動きづらくなる妻のケアと、長男次男のケアのために早く家に変える日が続き、仕事時間が減りミスが増え始めたのです。
これはまずいと思い、引き継ぎを予定よりも早く終わらせ、育休へと突入しました。
誰もぼくを責めなかったですが、『育休なんか取るから仕事で失敗するんだ』と言われているようで、この頃は少し気に病んでいました。
幸い、大きな事故にはならなかったですが、仕事と家庭の両立の大変さを、この頃から徐々に感じ始めていました。
でも、社内で長期の育休を取る男性ははじめてだったので、女性社員から「偉いね」などと言われ、ちょっといい気になっていたのも確かでした。
そうこうするうちに、妻は帝王切開のため、出産1週間前に入院することになったのですが、これが戦争の始まりでした。
なんちゃってイクメン
うちには双子の長男と次男がいるのですが、彼らが3歳くらいになるまでは、それはもう大変でした。
0歳から1歳の時は、数時間おきの授乳でぼくも妻も疲れ果て、(これは人間のやることじゃない)と二人とも考えているくらいでした。
中でも、寝かしつけは熾烈を極め、ちょっとでも布団においたら「ピギャー!!」と泣き叫ぶので、双子を交互に抱っこしたり、時には二人同時に抱っこして、なんとか泣き止まそうと必死でした。
忘れられないのは、夜の21時くらいから朝の5時まで子どもを抱っこし続けた日のことです。
(止まない雨はない)(明けない夜はない)と自分に言い聞かせ続け、なんとか気力で一晩、双子を交互に抱っこし続けましたが、身も心も限界でした。
妻が最低5時間は連続して寝られるように、深夜から朝までの授乳をぼくが担当し、ぼくは朝早く会社に行き、残業せずに毎日早く家に帰っていました。
動物園や遊園地に行けば、二人とも「だっこ!だっこ!」と、まるで餌を求めてバシャバシャと集まってくる鯉のように騒ぎ立て、一日中二人を同時に抱っこしていました。
妻から見ても、妻の友人から見ても「よくやってくれている」と思ってくれていたようで、ぼく自身も(ちゃんとパパ業をやってるな)と思い込んでました。
、今となっては分かるのですが、この頃のぼくは「もっとも大事なこと」に気がついていなかったんです。
子どもの面倒をよく見てくれる「いいパパ」に見えたと思いますが、今のぼくから見ると、それは「大事なことに気がついていない」なんちゃってイクメンでしかなかったのです。
一時間早く保育園に着いた日
話を戻しまして、三男の出産のために妻が入院した時の話をしますね。
妻は病院に2週間ほど入院していたのですが、まず、この2週間がぼくを大きく変えました。
家にいるのは、ぼくと4歳の長男と次男の3人だけ。
子どもたちのご飯作りやら、保育園の準備やら、保育園の送り迎えやら、すべてぼくがやらないといけません。
まるでシングルファーザーになったような気持ちでした。
妻は忙しい日々の中で、子どもたちの栄養を考えて、いつもブロッコリーとニンジンを茹でたものを冷蔵庫にストックしていました。
タンパク質摂取のために鶏肉のハムを手作りして、これも冷蔵庫にいつもストックしていました。
ぼくも同じようにこれらを作り始めたのですが、最初の2〜3日はいいのですが、いつもいつもこれを作り続けるのって、ものすごく大変なんですよね。
子どもたちも飽きることがあって、「ハム食べない!」と駄々をこねたりして、(作ってあげたものを食べてくれないって辛い...)と気持ちが沈んでばかりでした。
忘れられないのは、子どもたちを初めて保育園に送りに行った日のことです。
子どもたちが保育園に通い始めて1年が経っていましたが、ぼくが送りに行ったのはその日が初めてでした。
リュックに入れる荷物は合っているか?保育園のどこに荷物を入れるのか?いろんなことが気になりながら、子どもたちを急かして急いでご飯を食べさせ、車に二人を乗せて保育園に出発しました。
でも、なんだか保育園の様子がおかしいのです。園庭には誰もおらず、建物の中にも人の気配がありません。
(あれ、おやすみか?)と不安に思っていた瞬間、駐車場から保育園バスがゆっくりと出ていきました。
ぼくらの前を通り過ぎたバスの後部席から、保育士さんがびっくりした顔でぼくらを見ています。
ふと、保育園のてっぺんにある時計を見ると、時計の針は8時を指していました。
(あれ、この時計、壊れてんじゃん)と思ったけれど、壊れてたのはぼくの方で、1時間も早く保育園に着いてしまったのでした...
あの時、見上げた時計は何年経っても忘れられそうにありません。
しかたないので家に帰り、みんなでシャボン玉で遊んで時間を潰したのですが、本当にぼくは子どもの保育園に関することを妻に任せっきりだったんだなと、しみじみ感じていました。
保育園は9時からと妻から聞いていたけど、たぶん、ぼくの中ではきちんと自分ごと化されていなくて、というか、ちゃんと妻の話を聞いていなかったんだと思います。どこか人ごとだったんでしょうね。
食事もそうですが、今までは妻が家の中のことを全部お膳立てしてくれていて、ぼくはただその上に乗っかっているだけだったってことに気がついたんです。
周りからイクメンだ、いいパパだなんて言われていい気になっていたけど、本当はそんなことはなくて、妻が作ってくれた、妻が整えてくれた世界の中で動いていただけなのに、ぼくは自分がどこにいるのかまったく分かっていなかったんです。
シャボン玉をプカプカ吹きながら(本当に、ぼくは何も分かってないな...)と落ち込んでいたのを今でもよく覚えています。
怒りたくないのに怒ってしまうと泣いた日
もう一つ、育休中のエピソードで忘れられないことがあります。
無事に妻と三男が退院し、賑やかな5人家族生活がスタートしたばかりの日のことです。
ぼくは、どうしても生まれたばかりの三男に気持ちが集中してしまって、長男次男にきちんとかまってあげることができていませんでした。
そのため、ちょいちょい長男次男を怒ってしまうんですよね。
早くご飯を食べなさいとか、歯を磨けとか、静かにしてとか、怒ってばかりで、それが本当に嫌になってしまったんです。
なにが嫌かって、長男次男のことは大好きなんですよ。ちょっと前までは二人のことを一番可愛がっていたのに、三男が生まれてからは、おざなりになってしまっているんです。
本当は大好きだから怒りたくないんです。でも、今は生まれたばかりの三男のことをケアしないといけないと思っているので、大好きな長男次男に辛く当たってしまうんです。
それが辛かったんです。
大好きな長男次男を怒りたくなのに、自分は怒ってしまう。
そんな自分が嫌で、妻の前で泣き出してしまいました。
「怒りたくないのに怒ってしまうのが嫌だ」
泣きながらそう妻に伝えたぼくをみて、妻は(やっと、お前もここまで来たか)と思ったそうです。
妻はぼくよりも2~3年早く、その境地に達していたんですよね。
ぼくが会社で仕事をしているとき、ぼくが出張で1週間家を空けているとき、ぼくの知らないところで妻は『怒りたくないのに怒ってしまう自己嫌悪』と一人で戦っていたんです。
その頃、そんなことを妻から言われても、ぼくは理解できなかっただろうなって思うんです。
実際、長男次男が1歳半くらいのある日の夕方にこんなことがありました。
ぼくが仕事から帰ると双子がテレビの真前でボーッと画面を眺めていて、妻は床に座り込んでボーッとしていました。
「こんな近くで(テレビを)見せるなよ」
と、ぼくは妻に言い、妻は(あ、あたし、しっかりしなきゃダメなのか)とまた、自分を責めてしまったのです。
その日、長男次男の相手でヘトヘトに疲れてしまった妻は、一日の疲労感とやっとぼくが仕事から帰ってきた安堵感で、力が抜けてしまって動けなくなっていたのでした。
また、別な平日の夕方、双子の相手で疲れ果てた妻は部屋の中で気を失ってことがあるそうです。
気がつくと、双子が目の前で遊んでいて(なにもなくてよかった....)と思ったそうですが、妻の肉体と精神は限界を超えていたんだと思います。
ぼくが当時の妻の気持ちを体感して理解できるようになるまで、そこから2~3年間という時間ともう一人の子どもが必要になったのでした。
人に頼るのって難しい
妻が3人目の妊娠のために入院して数日後、ぼくの母が応援のために家に何日か泊まりこんでくれました。
だけど、なにをお願いしたらいいか分からず、しばらくはただの居候になってしまいました。
母も余計なことをして息子から怒られたくないと思ったのか、あまり手出しはせずに、孫の相手をしようと思ったようですが、孫は突然の祖母の登場に驚いてなかなか慣れず、そばに寄ろうともしませんでした。
一方で母はお菓子屋さんに行きたいだとか、行きたいところがあるとのことで、色々連れ回され、(なんのために来てもらったんだか分かんないな)と悩んでいました。
料理にしても、掃除にしても、こっちのやり方があるので、教えるのも面倒だし、でもなにかをお願いしないとこっちも楽にならないしだし、しかもブロッコリーとニンジンを茹でて毎回食事に出していたら、母から「食事がつまんない。味気ない」と文句を言われ、(あんたのために作ってるんじゃない...!)と、母ともなんだか険悪な空気が漂い始めました。
本当に「人に頼るのって難しいな」って、このときに初めて気がつきましたね。
妻もぼくに対して同じようなことを思っていたのかなとも思うんです。ぼくも食事作りに対して文句を言った記憶があるので。
なにをどこまでどうやってお願いしたらいいのか、それを考えると(もう、自分で全部やればいいや...!)って思っちゃうんですよね。
結局、入院中の妻に「母に何をお願いしたらいいか分からなくて、手作り鶏ハムが飽きたと言ってコンビニで肉まんを買ってきて困ってる」と相談し
「向こうも何をどうしたらいいか分かんなくて困ってるのよ。これをやってくれと一回お願いしちゃえば楽になるよ。それに肉まんでもいいじゃない」
と、妻からアドバイスをもらい、とりあえず洗濯物を畳んでしまうことからお願いしました。
子どもたちの面倒も思い切って任せたら、何回目からか子どもたちもおばあちゃんに慣れてきて、泣くこともなくなったんです。
やってみないと分からないですね。妻に相談しなかったら、あのまま母はただの居候のままで、置き物みたいにずっと家にいて、ぼくはずっとイライラして、そのイライラを母にうまく言えなくてさらにイライラしていたと思うんです。
人に頼ることの難しさ、そして、自分も妻から見たら同じように思われていたことがあったのかなと、そんなことを考えさせられたエピソードでした。
もう、何もしたくないと涙が止まらなくなった日
育休も終わり、三男が一歳になった頃、ぼくは鬱気味になっていました。
詳しくはこちらの記事にまとめていますが、仕事と育児と家事と妻のケアで勝手にいっぱいいっぱいになっていて、心が限界にきていたんだと思います。
12月のある日の朝、いつものように会社に行こうとしたら、ぼくは玄関で涙が止まらなくなったんです。
妻に「もう、なにもしたくない...」と謎のメッセージを残したまま、不安げな顔をした妻をそのままに、ぼくは玄関の扉を閉めました。
結局、その日は午後は休みを取り、家に戻ってきました。妻は本当に安心した顔をしていて、ぼくが電車に飛び込み自殺するんじゃないかと心配していたそうです。
当時の一日のタイムテーブルを見ると、かなり無理をしていました。
お昼にブログを書いたりしていましたが、ゆっくりできる時間が皆無で、気持ちにまったく余白がなかったのが原因だったんだと思います。
4:30:起床
5:30~6:00:家を出る
※0歳児の三男が起きたらあやす
6:20~7:20:通勤時間
7:30~12:00:仕事
12:00~12:50:5分で昼食を摂り、子供の銀行口座開設など雑務をこなし、ブログを書く
※疲れが溜まった最後の頃はブログは書けなかった
12:50~13:00:仮眠
13:00~16:00:仕事
16:15~17:15:帰りの電車
17:30:帰宅
17:30~18:30:家族で夕飯(というか、5歳児二人の話を聞いたり、ケンカの仲裁をしたり、ご飯を食べさせたり、妻の話を聞いたり)
18:30~19:10:子供とお風呂
19:10~20:00:子供と遊ぶ
20:00~20:30:妻が子供を寝かしつけている間に皿を洗い、キッチンを掃除し、浴槽を洗い、洗面所を掃除し、洗濯機を回し、ダイニングテーブルを拭き、床に落ちているゴミを掃除機で吸い取り、リビングの子どものおもちゃを片付け、パン焼き機や炊飯器のどちらか、もしくは両方をセット。
21:00~21:30:寝かしつけが終わった妻と会話し、それぞれ別々に就寝
※妻が疲れている時は会話はなく、妻は三男と就寝
なにもかも完璧にやろうとするのは無理だし、なにかをするためにはなにかを諦める時もあるし、誰かに頼らないとやっていけないし、一人で抱え込んじゃいけないなってことに気がついたのもこの頃でした。
多分、ここから一年以内にシルバー人材センターさんに夕方の家事をお願いしたのだと思います。ぼくらが人間らしい生活を送れているのはシルバーさんのおかげなので、本当に毎日感謝しています。
二人で同じ方向を見る、二人で生活を作る
色々書いてきましたが、結局のところ、ぼくは妻が整えてくれた世界の中で「イクメン」を気取っていただけだったんですよね。
親の大変さをちゃんと理解したのは、三男のために育休を取ってからでしたし、妻が毎日なにを思っていたのか、なにを思いながら子どもたちと向かい合ってきたのか、その片鱗を知ることができたのも、三男の育休取得以降のことでした。
保育園に一時間早く着いてしまったり、母に何を頼んだらいいか分からなくて途方に暮れ、母が子どもたちの夕飯にファミマの肉まんを与えているのを見て怒ったり、肉体と精神の限界を感じて鬱気味になったり、ここに書ききれない出来事がたくさんあったけれど、そんな経験がぼくを変えてくれたんだと思う。
そんな経験が、ぼくに「妻と同じ視点」を与えてくれたんだと思う。
お互いが背中を預けあって、この戦場のような毎日を生き抜いていく。
まるで海外ドラマの特殊部隊のようにお互いの視点を理解して、オーケストラのように息を合わせて、家庭という日常を刻んでいく。
それを思うと、男性が家事育児をやることに優越感を覚えることは、なんて愚かなことなんだって思うんですよね。
そんなことを、三男はぼくに気がつかせてくれました。
長くなってしまいましたが、夫婦関係に悩む方の参考になれれば嬉しいです。
※この記事の裏話を妻とPodcastで話したので、リンクを貼っておきますね。
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夫婦関係に関するPodcastもやっています。こちらも聴いていただけると嬉しいです。