SONYデジタルペーパーDPT-RP1が救う、老眼読書ライフ、もうKindleしない?!
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前回までのあらすじ
昭和の大衆文学の巨匠・山手樹一郎を、老眼な私でも快適に読書を楽しめるKindle Oasis第8世代で読む――そのために私は、膨大な手間と時間と情熱を注いできた。ここでいう快適とは、「好きなと時に好きな場所で好きな姿勢でリラックスして好きなだけ」読書できることと定義する。
この快適な読書のためならなんでもする、たとえ快適じゃなくなっても、あれ?
山手義一郎のKindle Unlimited を50冊ほどダウンロードして耽溺
それでも山手樹一郎作品のほんのわずか一部、それらはほとんど絶版
もう古書を買うか、図書館で借りるか、うーむ
なんと国立国会図書館デジタルコレクションで286冊の山手作品を発見!
PDFダウンロードして
OCRでテキスト化して
Epubに変換し
Send to Kindleで転送!
さらに、読書体験を完璧にするため、挿絵入りのKindle本も作成
もー全然快適じゃない、沼か?沼なのか?これは?
まーでも、ここまで来れば、老眼でも昭和の大衆文学を快適に楽しめるはずだった。しかし、ようやく気がついたのだ―――
自炊本のKindle化に忙しくて本を読む暇がない!
Kindle Oasis 第8世代での読書にこだわるあまり、膨大なKindle化作業に追われ、肝心の読書時間が取れないのだ。これでは本末転倒だ。読書を楽しむはずが、気づけば私の時間はデータ処理に奪われていた。
この矛盾をどう解決するか?
答えはシンプル。
もうKindle化しない。
そもそもなぜ私はKindle Oasis第8世代なのか?
落ち着いて、一度立ち止まり、なぜ自分がKindle Oasis第8世代を愛用しているのかを改めて考えた。
iPad Pro 12.7がダメダメな理由(漫画見開きで見るには最高)
重い! 630g!片手で読めるかって?筋トレするならジムに行く。
目が疲れる! バックライトの攻撃で目が悲鳴をあげる。長時間読書なんて夢のまた夢。
片手でページ送りができない! 画面の端にちょっと触れたただけでもページが前後に飛んでいく、その度にもとに戻して、もはや苦行。
持ち運びが不便! 13インチは巨大すぎる。カバンに入るけど、気軽じゃない。
通知の嵐で気が散る!もちろん通知を切ってもつい、メールやSNSをチェックしたくなる意志の弱さを突いてくる
iPad miniがダメな理由
画面が小さすぎる:PDFは文字が小さく拡大・スクロールで迷子になる
ページ送りボタンがない:片手で快適にページをめくることができないし、これも画面の端に触れたらすぐに勝手にページがパラパラとめくれていく不便すぎて話にならない。
読書専用には誘惑が多い:これも通知や他アプリが読書を阻害する。
Kindle Oasis第9世代がダメな理由(これもすぐに売りました)
滑るアルミボディ:手に吸い付くラバー仕上げが廃止され、持ちづらく、読書中に滑り落ちやすく、寝ながら読んでて、ついうとうとして、このアルミ筐体が鼻を直撃する、痛いよ
バッテリー持続の不便さ:バッテリー内蔵カバーが廃止され、充電で読書が中断する悪夢
大型化で操作性が低下:7インチ画面は微妙に片手操作に持ちにくいし、ポケットにちょうど入らないジャストサイズ、第8世代が完璧だったのに、なぜ改悪?
Kindle Scribeがダメな理由(発売当日に買って、すぐに売りました)
重い:433gと重く、長時間の手持ち読書には不向き。
大きい:10.2インチとズーンと大きく片手持ちは不可能、ポケットに入らない。
物理ボタンがないじゃん:もはやKindleじゃない
Kindle Oasis第8世代が最高・究極・完璧な理由
手に吸い付くラバー仕上げ:滑りにくい素材で安心、長時間の読書に不可欠
物理的ページ送りボタン:スワイプ不要で片手でスムーズにページめくりができる、最高。もはやこれなしではKindleとは呼べない
バッテリー内蔵カバーの秀逸さ:長時間読書が可能で、バッテリー内蔵カバーを交換するだけで、充電による読書体験の中断を回避できる。(その代わり2台必要ですが、予備として6台持っているから問題なし)
軽量で小型:6インチ画面と文庫本と同じサイズ、本体はたった194gと重さも文庫本並み。寝転がりながらの片手読書に最適だし、いつでもどこでも持ち歩ける。
やっぱり目に優しいE Inkディスプレイ:紙のような表示で目に負担が少ない。
「Kindle Oasis 第8世代」という沼は「引き返せない」というより「引き返したくない」
沼は甘美だ。進むごとに新しい発見がある。未知の領域に触れるたび、脳内でドーパミンが溢れ出す。理性は「戻れ」と警告を発するが、感情がそれを無視する。なぜなら沼には「快」があるからだ。
たとえば、Kindle Oasis第8世代という小さなデバイスが、なぜこれほどまでに私を魅了するのか。それは、その機能やスペックそのもの以上に、「完璧な読書体験」という幻想を提供してくれるからだ。この幻想に触れるたび、「もっと良くなるかもしれない」という期待に取り憑かれる。それが新しいデバイスへの挑戦であり、読書環境の改善であり、さらなる快適を追求する旅路となる。
Kindle化に忙しくて読書できない
Kindle Oasis第8世代は確かに最高で究極なんだけど、Kindle化されていない山手樹一郎を読み続けるには、PDFからテキストを抽出し、Epubに変換して、SendToKindleで転送――その手間が読書時間を侵食していく。読むために準備するはずが、その準備に追われて肝心の読書ができない。
それでもわかる。「それも楽しみの一環じゃないの?」と突っ込まれるだろう。確かにそうだ。でも、それを繰り返すたびに気づくのだ。「もっと直接的に読める方法があるはずだ」と「もっと良くなるかもしれない」と脳が囁くのだ。そう底なし沼には底がなく、終わりがないのと同じように、そこで満足できないのだ、すぐ次を探したくなる、求めたくなる、もっと快適になるために、犠牲を厭わないのだ。
「終わりがない」という事実そのものが、沼にいる者にとっての快楽だ。
底がないからこそ、進む価値がある。どこまでも続く可能性を求めるからこそ、私はさらに深く足を踏み入れる。言い換えれば、沼とは「問いを問い続けるための場」だとも言える。
「沼」とは自己探求の場でもある
もう一つ重要なのは、沼が単なる「外的なもの」ではなく、実は「自己そのもの」であるという点だ。沼にハマるというのは、自分自身の中に潜む「理想」「快適」「美学」の追求であり、その延長線上に自分の欲望や価値観が現れる。
Kindle化しないで、PDFをそのまま読む
さらなる沼にハマっていくと、PDFが読めて、画面は13インチ、とにかく軽いこと、やっぱりKindleと同じE-ink、バッテリーは数週間持つこと、ページ送りが片手でできること、そんな読書端末はないのだろうか?
少なくともそれはもはやiPadPro12.7でもなく、Kindle Scribeでもない。
そこで出会ったのが、というか、前から目をつけていた、SONYデジタルペーパーDPT-RP1。もう製造も販売を中止になった、過去の遺物。でも、値段もこなれて、ヤフオクで2万円ちょっと。
まるで沼の奥底から現れた救世主のような存在だ。
13.3インチの大画面:老眼でもPDFの文字がしっかり読める。拡大もスクロールもいらない
軽量ボディ(約350gくらい):iPad Proの半分以下の重さで片手読書が可能。軽すぎる、これだけ大きくて、この軽量さだと、持っていて、本当に軽いノートを持っているような感覚。素晴らしい。本体の表面処理もざらっとしていて手から滑り落ちることはなく、ホールド感は最高。
ページ送りボタンはないけど、肩手持ちでも画面スワイプでページをめくれるユーザーインターフェースデザイン、ipadのように画面タッチだけでは勝手にページがパラパラめくれないから安心、軽〜くスワイプするとページがめくれる、もう勝手にページがめくれてしまうような悪夢はない、スワイプ感覚は確かに紙の本をめくるのに似ている、いや、本当によくできている!
E Ink技術:目に優しく、長時間読書でも疲れにくい。やっぱりこれ。
PDF専用設計:PDFが読める、PDFしか読めない、潔くて好き、まるで侍
結論:SONYデジタルペーパーDPT-RP1が究極
Kindle Oasis第8世代が「完璧なのKindle本の読書体験」なら、
SONYデジタルペーパーDPT-RP1は「究極のPDF読書体験」だ。
老眼という壁を越え、昭和の大衆文学の代表である山手樹一郎先生の作品を快適に楽しむために、私はこの2つを使い分けることに決めた。
どうする? →答えはシンプル――PDFをそのまま読む。それだけだ。
もうKindleしない?→ する時もある。でも、PDFもそのまま読める。これが、老眼読書ライフの新境地だ。
底なし沼へもう一歩
だがここで終わらないのが沼の矜持だ。このSONYデジタルペーパーをさらに快適に使うための「裏技」が見えてきた。PDFを読めるようにするだけでは満足できない。いかに「理想の読書環境」を整えられるか。それが沼の底なしたる所以だ。
底なし沼には底がない――だからこそ、私は進む。次回は、このさらに深い沼の世界へ。
つづく。いや、終わらない。