プアン友達と呼ばせて/人間関係の非同期性について
今のこの私で出会いたかった、という人が何人もいる。悲しい別れ方をしたあの人。うまくコミュニケーションとることができなかったあの人。最後まで分かり合えなかったあの人。今の私だったら、きっともっとうまく関係を築けた。もう別れてしまった今となっては確かめようもない。
私にとって父はその一人だ。父は私が26歳の時に亡くなった。無口で怠惰で優しい人だった。そんな父の怠惰なところが大嫌いだった。自分が大人になってからは必死に働いて、決して父のようにならないようにしようともがいた。故郷である地方都市から上京して、必然的に父とは疎遠になった。上京して5年が経って、あまりにも急に病に倒れた父。伝えられていない色々なありがとうや、怒れていないことをたくさん抱えたまま、もう意識の戻ることのない父と過ごした最後の5日間のことは忘れることができない。
8月のある日に「プアン友達と呼ばせて」というタイ映画を観に、新宿武蔵野館に足を運んだ。「プアン友達と呼ばせて」は「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」のバズ・プーンピリヤ監督が手掛けたロードムービーである。こんなストーリー。ニューヨークでバーを経営するタイ出身のボスのもとに、バンコクで暮らすかつての親友ウードから数年ぶりに連絡が入る。ウードは「白血病で余命宣告を受けた自分の最後の願いを聞いてほしい」と言う。バンコクへ戻ったボスは、ウードと共にウードの元恋人たちを巡る旅に出る。カーステレオから流れる思い出の音楽。風光明媚なタイの各地域の風景。旅が終わろうというとき、ウードはボスにひとつの秘密を打ち明ける。
この映画はすれ違いの物語なんじゃないかと思う。
映画の中で、ウードは亡くなった父と数年越しにきちんと別れを済ませ、悼む。ボスはウードが亡くなってしばらく経った後に、ウードのついた嘘のことを許す。もうこの世にはいない、記憶の中のウードに手を振る。
誰かがいたということは消えることのない波紋を残す。その誰かと二度と会うことがないとしても。
人間関係というのは非同期なものなんじゃないかと思う。相手に伝えたことが即時的に伝わるとは限らないし、相手があげたものをすぐに受け取ってくれるとも限らない。誰かに伝えるべき言葉を、伝えるべき時に伝えられないこともしょっちゅうある。伝えられる方がいいことは言うまでもないのだけれど。
「家族」と「愛」は近いようで遠い。家族のことを深く愛していたとしても、わざわざ改まって「愛している」なんてことを日頃から伝えられる人はきっと少ない。父と私も例に漏れずそうだった。 私はもう今はこの世にいない父の愛について思い出そうとするとき、父の日記帳に書かれた私の名前のことを思い浮かべる。遺品整理をしている時に見つけた父の晩年5年分の日記帳には、毎年私が東京から故郷に帰る日にちに私の名前が書かれいた。
それから私は、小学生の時父とふたりで買い物に行った時に、差し出された手から目を背けた日のことをはっきりと覚えているのだが、その夜に父が「手を繋いでくれなくなった」と母にこぼしていたと聞いた時に感じた罪悪感のことも思い出した。これらが、父の愛が姿を変えたものなのかは今となっては分からない。
こうやって思い返してみると、思い出というものが思いの外饒舌なことに驚く。無口な父との思い出の中に、これからも父の感情や優しさを見つけるのかもしれない。
こうやって、これから父のことを考えて懐かしむ中で、私の中の父は、私と父との関係性は変わり続けるのだろうと思う。それで、いいのだと思う。