卒業とわたし
3月ももう後半、このシーズンになると自分に関係があろうともなかろうとも、「卒業」というワードを目にする機会が増えてくる。
日本に住んでいる限り、誰もが経験したことのある卒業。
しかしそこから何を思うかは人によるだろう。
人との別れが悲しいと思う人もいれば、やっと卒業できると思う人もいるだろうし、これから始まる新しい生活に不安がある人もいれば、楽しみで仕方のない人もいるかもしれない。
ただ世間一般に認識される卒業といえば、少し悲しい、涙耐えやらぬものであることがほとんどだ。
それは数々の卒業ソングや物語での卒業の扱いがそうであるからだろうし、やはり多くの人が少し悲しいものだと認識しているからであろう。
卒業は「学校」という友人とほぼ強制的に会う場がなくなることを意味し、どうしたってその後の友人との関わりは希薄になってしまうだろう。
しかし、これほど明確に別れのタイミングがわかっているのは、人生の中でも珍しいことではないだろうか。
別れが来るとわかっているからこそ悲しい気持ちになり、花やプレゼント、感謝の言葉や素敵な歌を贈り合うものだ。
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卒業は人との別れが注目されがちだがそれだけではない。
それまで身を置いていた生活環境からも別れを告げることとなる。
何年か所属していた学校という環境から離れ、新しい学校に行ったり、社会に出たりと、生活環境が一変する。
人生の中でこれほどまで大きく身の回りの環境が変わるタイミングもそれほどない。
そういった点においても卒業は私たちの生活にとって、とても重大なイベントの一つであるのだと認識させられる。
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卒業といえば、小学校中学校で卒業文集なるものを書いたものだ。
私の小学校では多くのものが将来の夢を、中学校では多くのものが学校生活の思い出を書いていたように思う。
おそらく他の多くの人たちも同じようなものだったのではないだろうか(とはいえ他人の卒業文集なんて見る機会がないので、自分の卒業したクラスの卒業文集しか参考例がないのだが)。
小学生から中学生になるにあたって書く内容が変化しているが、なんというか、本人が書きたい内容が変わったことももちろんあるだろうが、大人が生徒に何を書いて欲しいのかが変わったのだろうな、という気がしてならない。
小学生は前向きに将来に希望を持つ姿を、中学生には自分の生活、現実と向き合い、確実に歩みを進める姿を求められているような気がする。
そういった点で考えると卒業文集という名目で文章を書いていたものの、なんのしがらみもなく自由に卒業と向き合って文章を書いたことなど、誰一人ないのかもしれない。
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そこで、今また卒業文集を書いてみるのもいいかもしれないと思った。
文集というと、たくさんの人から文を集めないといけない気がしてしまうので、卒業の時の記録、日記くらいでいい。
他人からの目線や、先生の採点を気にすることなく、思ったことを記録する。
節目のタイミングに周りの人への感謝の手紙を書くことなども素晴らしいことだ。ぜひ書きたい。
さらに、そこに自分の気持ちの記録を加えてみる。
卒業という自身の周りの環境を大きく変える瞬間の感情の変化を記録しておくことは、きっと人生の大きな財産になる。
今回は「卒業」に焦点を当てているが、これから一人暮らしを始める、結婚する、転職するなど、自身の環境に変化がある時であればいつでも構わない。
なんなら卒業など人生の転換点でなかったとしても、自分の思うことについて文章を書いてみるのはいいことかもしれない。
書いてみることで初めてわかる自分の考えがあったりするものだ。
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皆さんにとっての卒業はどういったものだろうか。
毎年訪れる「卒業シーズン」に、自身の過去の卒業を振り返ってみるのも、もはや卒業シーズンのイベントかもしれない。
この3月に卒業する皆様、ご卒業おめでとうございます。
これから先のあなたの人生に、空の高い場所がありますように。