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『少年の日の思い出』と、少年の日の私
私には1つ歳下の弟がいるのだが、今でも小中学生のときの話題に花を咲かせることが多々ある。
その中で、国語の授業で読んだ物語にどんなものがあったかという話題になった。
スイミーから始まり、ごんぎつね、やまなし、カレーライスなど様々なタイトルが挙がる中、一つ特に印象に残っていた作品があった。
『少年の日の思い出』
蝶を捕まえることが趣味だった少年のお話だ。記憶に残っている人も多いのではないだろうか。
今回は当時の思いとともに、今一度『少年の日の思い出』の感想を書いていきたい。
*ネタバレとてもあり。気になる方は先に原作をお読みください。
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私は『少年の日の思い出』を初めて読んだ時のことを今でも覚えている。
主人公がエーミールの蝶(蛾)を盗んでしまって、許されることもなく物語は終わるという、なんとも後味の悪いバッドエンドと言っても差し支えないだろう内容は中学生の私にとって強烈だった。
理科の授業で1人静かにプレパラートを割ってしまった自分と主人公を重ね、読んでいるうちに鼓動が早くなるのを感じていた。
ただ主人公と共感できるのは自身の失敗に焦る心くらいで、私にはもっと関心の高い登場人物がいた。
エーミールだ。
彼の「そうかそうか、つまり君はそういうやつだったんだな」という発言は、多くの人の記憶に残っていることと思う。
そのセリフが有名なエーミールだが、作中ではまるで悪者かのように描写されている。
実際は悪者というより、主人公が苦手に思っていたというのが正確だろうが、主人公目線の文章なのだから悪者に見えるのは当然かもしれない。
私は中学生当時、「エーミールに似ている」と同級生に言われたことがあった。
言った本人がどういうつもりで言ったのか今となってはわからないが、嫌味や皮肉の類だったのかもしれない。
しかし僕はそれを嬉しく思ったのだった。
そもそもエーミールは物語の中で目立って悪いことはしていない。
家庭環境に恵まれ、優秀で、蝶に関する知識も多い。
むしろいわゆる優等生に該当するだろう。
強いて言うならば、主人公の蝶を見たときに褒めるでもなく淡々と鑑定するように評価してしまったのはあまりよくなかったとは思うが、悪事を働いたわけではない。
物語を初めて読んだとき、僕はエーミールに好感を抱いていた。
なんなら少し自分に似ていると思っていた。
非の打ち所がない少年、というのは僕が目指している姿だったし、自分のことをそう思っている節もあった。
さらに、主人公が自身の罪をエーミールに告白したシーン。
エーミールは怒りもせず、軽蔑するように先ほど記した有名なセリフを言うのだが、このやり口は僕にとって、とてもクールに見えた。
なぜ私はエーミールに惹かれたのだろうか。
なんとなく感じていた疎外感を、他人とは違う自分とすることによって昇華させたかったのではないか。
私は中学生当時、とても真面目だった。
ここで言う真面目というのは勤勉なことではない。
ルールは守ることは当然、先生の言うことに逆らうことなどほぼありえない。
学級委員も務めていたし、優等生にならなければと思っていた。
往々にして、真面目な生徒というのは煙たがられるものである。
私もなんとなく距離を取られていることを感じ取っていた。
そんな若干の孤独感の中で読んだ『少年の日の思い出』。
自分と同じような立場にいるであろうエーミールが、優等生を煙たがる主人公を一蹴する。
そんな構図に私は救われた気持ちになったのかもしれない。
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当時の私の心情について考えていたら、少し暗い話題になってしまったが、中学校生活についてはとても楽しく生活できていたので安心して欲しい。
ちなみに私は今でもエーミールが好きだし、自分に似ているとも思っている。
当時のじめっとした暗い心とは違い、明るくカラッとした気持ちでそう思える。
昔読んだ物語も、今もう一度触れてみると当時とは違う気持ちで付き合える。
大人になった今、少年の日を思い返す心を忘れないようにしたい。
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