投資系大家と地主系大家
こんにちは。あとつぎじぬおです。
この業界に入るまで知らなかったのだが、大家って言ってもいろいろいるらしい。
地主になる前は、大家ってみんな不動産サイトを眺めてて、物件をできるだけ安く買って、できるだけ高く売るみたいなことを考えているものだと思い込んでいた。
株の投資家と大きな意味では同じなのかなと。
それは一部では正しくて、一部は間違っていた。
上記のような、収益を見込んで物件を仕入れたり、売却したりする大家を投資系大家とすると、僕のような先祖から相続した不動産を運用している大家を地主系大家と呼べると思う。
つまり、世の中では僕がイメージしていた投資系大家以外にも大家さんがいたということだ。
本記事では、投資系大家と地主系大家の違いについて書いてみたいと思う。
投資系大家と地主系大家の違い
地主である僕の立場から見ると、一番大きな違いは、不動産(土地)を持ち続けることを基本としているかどうか、ってことだと思う。
傾向として、投資系大家は不動産を手放すのを厭わず、地主系大家は不動産を持ち続けることを大事にしているのではないかと思う。
地主系大家にとっては、土地を手放すというのはすごくハードルが高い。
僕個人がそう感じている理由としては、下記のようなものがある。
地主系大家が土地を手放したくない理由
①先祖から受け取ったバトンを終わらせていいのかという葛藤
まずは大前提として、後継ぎはその不動産事業を自分で始めたわけではないので、それを終わらせることを自分だけでは決められないという感覚がある。
その事業は、当然先代がやってきたことだし、それを取り巻くいろんな人の協力があって、今日まで生き残ってきたものだ。
それを、自分の判断で売却するというのは簡単に決断できることではない。
というか、後継ぎ自身も、そもそも「受け継いだバトンを次に繋ぎたい」という強い意欲を持っている人が多いので、不動産を売却して完全に外部の人に渡ってしまうということ自体が、それに反しているわけだ。
百貨店大丸の創業家は下村家という家なのだが、そこで代々受け継がれている文書にも下記のようなことが書かれている。
この引用と同じように家督を解釈している地主にとっては、不動産の売却はできればやりたくないというのが心情ではないだろうか。
売却益云々ということはそもそも考えもしないという人が多いかもしれない。
②自分が生まれ育った地域でもある
これは、僕自身がそうなのだが、自分が生まれ育った地域にある不動産を運用している。
だから、事業のことを考える際には、自分の物件だけではなく、この街のこと、顔の知っている近所の方々、などいろんなことが頭に浮かぶ。
単純に資産価値や利回りでは表現しきれない要素が、地主の不動産には関わっている。
だから、自社の不動産がどうなっていくかということと同じくらい、それが地域社会にとっていいことなのか、という観点で事業を見ている。
簡潔にいえば、僕にとっては自分の故郷の街並みを作っている一部が、自分の不動産なのだ。
だから、街や地域に自分の不動産事業が生かしてもらっているという感覚があるし、そのような解釈は、投資系大家、その中でも特に区分マンション中心の方なんかは、あまりないのではないかと推測する。
(土地の上に何を建てるかということにタッチしないと思うので)
そのような地域と不動産の繋がりを考えると、やはり売却というのは地主にとってはあくまで最終手段としての選択肢という風に僕は捉えている。
ここで経営哲学者アインバールハイト氏の格言を引用したい。
地主としては、今、自分の手の中に経営があるのならば、今持てる土地(=資源)を最大限活用することが課せられた役割ではないだろうか。
まとめ
ここまで、地主系大家が不動産を手放したくない理由を書いてきた。
逆に、投資系大家は、自分が仕入れた物件だから、戦略の中にはそれを手放すということも当然選択肢にあるのではないかと思う。
そこが大きな違いではないかと。
念のため書いておくが、この記事で、投資系大家より地主系大家がすごいとか、そういったことを言いたいわけではない。序列についての話をしたいわけではない。
むしろ僕自身が、先祖から受け継いだものを運用させてもらっている分、自分一代で不動産事業をスタートし拡大している人は本当にすごいと思う。
だけど、言いたかったのは、投資系大家と地主系大家にとっての不動産事業はおそらく「違う競技」だということ。
それぞれ目的が違うので。サッカーと野球くらいに違うと思っててもいいかなと。
それを伝えたくてここまで書いてみました。誰かの参考になれば幸いです。
ではまた。
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