『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んで
以前から読みたいと思っていた本をやっと読むことができた。
小説のような、実体験をもとにした告発文のような、不思議な文体で書かれているからこそ、この小説が現実に生きる人々の共感を呼び、反省を促すのだと感じた。
理不尽なルールを理不尽な論理でねじ伏せられるが、そこで行動を起こさないと黙認されてそれでいいんだと思われてしまう。一般的な常識に背けばそこには障壁が多く生きていくことがより困難になる。だからといって一般的に生きていてはその一般性がいつまで経っても変わらない。
ある特定の属性に生まれたからといって虐げられて、不利益を被っている側がそれを変えるために多くの時間と労力を惜しまなければならないのか。
最後の章前まで読んでこんなことを感じていた。
私は結局「どれだけ進歩的な男性なんだろうか」と自分に酔っているだけだった。
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この本はどれだけ声を上げても、理解を示した気になっても、社会構造は大きく変わらない理由を最後の章で上手く描いている。
女性に生まれただけでどれほど苦しんできたか、キム・ジヨンから学んだはずの精神科医が(本人もそれを理解していると述べているのに!)現実世界での奥さんや子どもに対しての関わりの拙さに関しては自己防衛の弁明ばかり述べているし、その苦しみを知っているはずの精神科医が結局はその社会構造を保っていく方に加担してしまう様は今の社会を、とりわけ特権を持っている側の不誠実な対応を上手く表していると思う。
以前より表面上は男女平等の意識が高まってきた社会で「私は女性の立場を理解している進歩的な人間です」という自負を持った男性が増えてくると思う(私もその一部)が、理解できたという思い込みによってそこで学ぶことをやめてしまったり、行動には移さなかったりすると社会構造としては大きく変化できない。
表面上の理解を示しただけの男性にならないためにどうすべきか、結局私も理解を示した風の男性にすぎないことを突きつけられた。理解を示すことも第一歩だけどその先に行かなきゃなんだよね。特権がある側が行動しないとやっぱり変わらないよね。
私は「男女平等であるべきだと思っているし、女性の苦しさや悩みについても理解を示しているし、こんな社会は変わってほしいと思っている」だけだったんだなと思い知らされた。
「理解を示す」とか「変わってほしいと願っている」とか考えるだけで結局は特権の上にあぐらをかいているだけじゃないの?
「複雑な問題なので解決策を考えるのは難しい」なんて言葉に結局は逃げるんでしょ?
特権が失われていない今でも行動できていないのにその特権が失われようとするその瞬間に私は行動できるの?
男性である特権を利用してその特権をなくすことができるの?
ここにどれだけそれらしいことを書いても行動しないなら何も変わらないよね?
私へ
こんな風に勉強して頭では理解しようと努めて、差別しないように気をつけて、それらしい発言をすることで「私は善良で進歩的な男性だ」という自覚を高めて私が私を誇らしく思うだけで、社会構造や差別を変えるための行動を起こさずにそこは気づかなかったフリをする人間なんだということをここに記しておくので何度でも読み直してください。
私より
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